うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

緊縮主義者の経済センスのなさはジャンクの証し

すでに何度も拙ブログで述べてきたが、MMT(現代貨幣論・現代金融論)に対する筆者の見方は、

①積極財政による社会的課題解決が最優先(スペンディング・ファースト)

②貨幣は負債から生まれる(貨幣負債論)

③税こそが貨幣を駆動させる(租税貨幣論)

というMMT三要素のうち、①には全面同意するが、②③は何の根拠もない空想論でしかない、というものだ。

 

政府紙幣発行や国債を主軸とし、税に頼らぬ財政支出構造を組み立て、それを財源とする積極財政に基づく社会構造の再改革に踏み切るにあたり、貨幣負債論と租税貨幣論はまったく無用であるばかりか、邪魔にしかならない。

 

貨幣負債論と租税貨幣論のバカバカしさを指摘すると、「うずらの野郎はMMT否定派だ‼」と騒ぐアホもいるが、筆者は「国民生活や国富の維持向上のためなら、誰の負債にもならぬ“貨幣”を躊躇せず活用すべし」を持論としており、目指すべきベクトルはMMT論者と同じだと思っている。

 

さて、我が国は、“中間層の没落や不公正な税制、平均所得の低迷、医療・介護・年金など国民負担率の悪化、雇用の不安定化、最低賃金の低迷、就学コストの上昇、少子化の進行、婚姻率の低下、地方人口の減少、老朽化インフラの放置、科学技術力の疲弊、産業競争力の低下”等々、数え切れぬほど膨大な社会的課題を抱え、その症状は悪化の一途を辿っている。

 

我々が20年以上の長期不況から何時まで経っても足抜けできないのは、“政・官・財・報・学・民”、つまり、ほぼ国民全員に近い層が、貨幣や財政に対してまったく無理解、あるいは、大きな誤解を抱えたままであるのが最大の原因だろう。

 

まったく明ける気配すら感じられない平成不況の闇は、

・国家財政を家計簿と見間違え、

・政府の借金を国民の借金だと勘違いし、

・国家による通貨発行権を知らず、

・経済成長と幸福の追求を諦め、

・本当の国富が何であるかまったく考えようともしない、

あまりにも幼稚で怠惰な国民が自ら招いた厄災なのだ。

 

長期不況という切迫感の薄いぬるま湯に浸かった茹でガエル(国民)は前進するのを嫌い、緊縮主義者(反国民主義者)の唱える念仏を聞きながら衰弱死するのを願っているように見える。

 

『日本は「トンデモ経済理論」MMTの成功例か』(JBPRESS 池田信夫)

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56283

「(略)MMTも、無限に財政赤字を増やせると言っているわけではない。彼らもインフレが起こったら財政赤字の拡大を止めるべきだというが、どうやって止めるのかについての説明は曖昧だ。

 政治家は景気対策が好きなので財政赤字を増やすのは簡単だが、減らすのは大変だ。それは日本の消費税をめぐる騒動をみてもわかるだろう。インフレになったら、すぐ政府が歳出を削減するとか増税すると想定するのは現実的ではない。(略)

金利はなぜ上がらないのか。MMTには金利や物価を決める理論がないので、それはわからない。MMTはゼロ金利を前提するだけで説明できないゼロ金利限定の理論なので、金利が上がったら使えないのだ。(略)」

 

拙ブログでもお馴染みの池田氏は、骨の髄まで緊縮主義が染み渡っている。

彼が積極財政やMMTを支持する日など永久に訪れることはないが、コラムの内容があまりにも酷すぎるので、緊縮主義者を支持する国民へのあてつけの意味からも、その矛盾や過ちを指摘しておきたい。

 

緊縮論者は、不景気には無関心な割に、ありもしないハイパーインフレには強い警戒感を抱きがちだ。

 

池田氏は、積極財政派はインフレ防止策に無警戒だと不満げだが、金融政策を筆頭に為替政策や財政支出額の調整、税率や課税対象の見直し、関税の活用、投資や金融取引規制など手段はいくらでも転がっている。

何なら、手始めに高額所得者の所得税率や社保負担率、法人税率などを大幅に引き上げてもよい。

 

また、彼は、「政治家は景気対策が好きなので財政赤字を増やすのは簡単」だと時代錯誤も甚だしい妄言を吐いているが、筆者は少なくともこの20年間に“景気対策が好きな政治家”なんて見たことも聞いたこともない。

そんな奇特な政治家がいれば、日本が長きにわたり不況に苦しめられることはなかったはずだが?

 

彼のような緊縮主義者は、“国債増発=金利高騰”という時代遅れの公式を信じ切っているから、「金利はなぜ上がらないのか」という理由が解らぬようだ。

こんなものは、

・長期不況がもたらした需要不足による企業や家計の投融資意欲の低下

・日銀の量的緩和政策による金利調整

・日本国債に対する絶対的な信頼感

で簡単に説明がつく。

 

池田氏は、「MMTはゼロ金利を前提するだけで説明できないゼロ金利限定の理論なので、金利が上がったら使えない」と述べ、金利がゼロ水準からちょっとでも上昇すると積極財政論やMMTが瓦解するとでも言いたげだが、見当違いも甚だしい妄想だ。

 

かつて政策金利(前身の公定歩合を含め)は、1970~80年代に最高9%にまで達したことがあり、その期間は、我が国が積極財政方針を取り力強い経済成長を実現していた時期と見事に重なる。

 

緊縮主義者の連中は、積極財政への方針転換を阻止するために、ハイパーインフレとか次世代へのツケ回しを盾に文句をつけたがるが、そんな陳腐な言い訳は何の役にも立たない。

高度な生産力を有し、極度の需要不足に苦しむ我が国ではハイパーインフレなど発生しないし、「国債通貨発行権で保障された政府負債=国民の資産」は次世代への財産贈与であってツケ回しではない。

 

超低金利やゼロ金利というぬるま湯で長風呂したせいか、未来永劫ゼロ金利が続かないと金利高騰で財政破綻するかのような大バカ論を吐く者も多い。

緊縮主義者の連中は、金利にアンカーを架ける量的緩和政策をつかまえて、財政規律を弛緩させる愚策だと非難するが、ゼロ金利の罠に嵌まっているのは自分たちの方ではないか。

 

だが、そもそもゼロ金利なんてのは“緊急避難措置”であり、金利正常化に耐えられないほどひ弱な経済状態を前提とするのがおかしいのだ。

 

池田氏はコラムの後半で「MMTはゼロ金利という前提条件が変わると成り立たないが、正しい点もある。それは経済政策の目的は財政の安定ではなく経済の安定だという主張だ。財政の健全化は経済の健全化の手段なので、均衡財政は政府の目的ではありえない」と一つだけまともなことを言っている。(枝葉の部分や前後のニュアンスにツッコミどころはあるものの…)

 

“経済政策の目的は財政の安定ではなく経済の安定だ”

“均衡財政は政府の目的ではありえない”

 

このレベルの常識を理解していながら、いまだに緊縮主義や新自由主義的発想から抜けられないのが不思議で仕方ない。

 

だが、コラムのさらに後段で「安倍首相は今のところギャンブルに勝っているが、それは今が経済的には「平時」だからである」のくだりを見て、やはりこいつはポンコツだと納得させられた。

 

20年不況や前代未聞のゼロ金利を「経済的平時」と言い切るセンスのなさ、感度の鈍さは、経済論者としてもはや致命的だ。

所詮、ジャンクはジャンクでしかない。