うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

貨幣負債論は積極財政論やMMTを墜落させる

(*)GW中の記事投稿を休ませていただきます。次回の投稿は5月9日(木)の予定です。

 

 

財政赤字容認、米で論争激しく 異端「MMT」左派・若者が支持 大衆迎合に利用懸念』(4/13 日経新聞
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO43692690S9A410C1EA3000/
『米国発の異端の財政拡大論「MMT」 日本では懸念も』(4/17 朝日新聞
https://www.asahi.com/articles/ASM4K0436M4JULFA018.html

アメリカのMMT論争がいかなる決着を見るか定かではないが、結果としてメインストリームに躍り出るのは難しくとも、せめて経済論壇の一角に確固たる地位を築いて欲しいと願っている。

日本のマスコミは、太平洋の向こう側で過熱する経済論争が飛び火するのを恐れ、MMTに対して“異端”だの、“大衆迎合”だのとレッテルを貼り、予防線や防御壁を拵えようと必死になっている。

筆者としては、
・自国通貨の発行権を有する政府は、財源の制約なくいくらでも支出が可能
財政支出の制約となるのはインフレ率のみ(=歳出による供給力の向上が不可欠)
財政赤字の解消など不要であり、歳出拡大による社会的課題の解決という大命題を最優先すべき
という従前からの持論と一致するところが多いため、MMT理論の普及を擁護したい立場だが、MMTが広く支持を得て国民の間に根付くためには、かの理論を信奉する支持者が陥りがちな貨幣負債論や租税貨幣論という大いなる勘違いを正しておかねばなるまい。

MMT支持者、特に、日本国内にいる生真面目で頭でっかちな信者たちは、MMT理論を支える貨幣負債論と租税貨幣論に目を輝かせたがる。

彼らは、「ラーメンに喩えると、貨幣負債論はスープで租税貨幣論は麺。貨幣負債論と租税貨幣論のハーモニーこそがMMTだ」なんてアホなことを言うが、貨幣負債論のスープと租税貨幣論の麺の組み合わせなんて、“出汁の効いてない味噌汁と茹ですぎのパスタ”をぶち込んだ出来損ないのゲロ不味ラーメンみたいなものだ。

どうも日本のMMT信者の様子を見ていると、積極財政論の普及や、それを活用した社会的課題解決や国民生活の向上を目指すよりも、貨幣負債論と租税貨幣論の布教活動に熱を上げているようにしか見えない。

我が国に着弾したMMT砲弾が、守旧派の緊縮財政派(=反国民主義者)を破壊するのか、あえなく自爆して味方を殲滅してしまうのか、MMT理論に注目が集まりつつある今が、非常に重要なターニングポイントになるだろう。

そこで、かの理論が国民の支持を得て、積極財政政策拡大の着火剤となれるよう、MMT理論の根幹を腐らせる悪いガン細胞とも言える貨幣負債論と租税貨幣論の過ちを指摘しておきたい。

なぜ、それらがガンなのか。
それは、政府による歳出拡大を主張するのに、“負債”を出発点や帰結点にしたがる点に尽きる。

彼らは、負債こそ信用の証しだと言うが、負債を追う者の信用を最終的に担保するのは、負債ではなく「資産」の多寡である。
借金王が存在を許されるのは、借金の返済を保証する資産の存在があるからにほかならない。

経済の発展とともに負債総額が増大し続けるのは当然だが、負債のビッグバンが容認されるためには、それ以上のスピードで膨張する資産の存在が必要だ。

国民や民衆は負債にマイナスのイメージしか抱けぬ生き物だから、負債を強調し過ぎる経済論者は、自ら足枷を嵌めたまま競争に挑もうとするようなものだ。

国の借金恐怖症に駆られる民衆を説得するのに、負債拡大論だけで十分だと高を括っていると、「借金を永久に積み上げる気か(# ゚Д゚)」、「借金は借金だろっ! 孫やひ孫にツケ回しする気か?」と猛反発を喰らって痛い目を見ることになる。

近代以降、膨大な額に膨張し続けてきた国債残高のグラフを示すだけで国民が納得すると思っているのなら大間違いで、それを担保する通貨発行権という資産面からのアプローチが欠かせないし、税と国債に頼り切ってきたこれまでの歳入構造を、通貨発行(政府紙幣)を主軸とする構造へ転換するようきちんと提言すべきだ。

負債や債務が増えることへの心理的抵抗感を拭い切れない民衆を黙らせ、歳入・歳出の規模や構造のパラダイムシフトを図るためには、資産拡大論を主とし、負債拡大論を従とする積極財政論を組み立てるべきだ。

以下、貨幣負債論&租税貨幣論信者の主張を並べて、順番にその矛盾点や勘違いを指摘していく。

【主張1】
『貨幣とは移動可能な借用書』

⇒素朴な疑問として、なぜ「借用書」という表現を使うのか、さっぱり理解できぬ。
普通に「貨幣とは移動可能な資産、もしくは債権(債券)」と表現する方が遥かに理解しやすいのに、わざわざ負債や債務のイメージを前面に出す意味が解らない。
貨幣を受け取る代わりに商品を差し出す行為を負債と呼び、その連鎖を表現するために借用書という言葉を使うのだろうが、人々が貨幣に求める機能はモノやサービスの取得であり、それらの販売者が負う義務など後回しだ。
モノやサービスの販売者にしても、自分たちがモノを造りサービスの提供に勤しむ最大の動機は“貨幣という絶対的な資産”を手に入れるためであり、自らに課された義務を果たすためではない。
管理通貨制度の下、国家による強制通用力が保障された貨幣の受け取りを拒否する変わり者など存在せぬ以上、あえて負債サイドから貨幣の役割を説明する必要は微塵もない。
貨幣負債論者は、「貨幣は負債」という幻想を押し付けたいがあまりに、無理な説明をしていないか?
貨幣とは、“それを差し出せば、誰もが喜んでモノやサービスを提供したがる資産である”という方が遥かにスッキリする。

【主張2】
『貨幣の返済期限は預金と同じで、いますぐだ』

⇒残念ながら、預金の返済期限は“いますぐ”ではない。定期預金や積立預金にはきちんとした払い戻し期限(満期)があるし、普通預金当座預金とて、窓口やATMの開設時間外には引き出せない。
そもそも、貨幣に“返済”という概念すらない以上、返済期限など存在しない。
この世には、貨幣の返済を迫る相手もいないし、何を以って返済しろというのかまったく理解できない。
貨幣に返済期日があるというのなら、発行元の印刷局造幣局に出向き返済を迫ってみるがよかろう。間違いなく、守衛さんに追い返されるだけに終わるだろうが…

【主張3】
『貨幣という負債は、貨幣によって返済する』

⇒正直言って、「貨幣が負債というのなら、何を以って返済するのか?」という問いに対して、これほどレベルの低い答えが返ってくるとは思わなかった。
この程度の答えを聞かされるくらいなら、質問しなければよかったと心底ガッカリしている。
民間での商取引や政府の国債償還に当たり、負債や債務の返済に貨幣を使うのは当然のこと。
筆者が聞きたかったのは、貨幣負債論者が、日銀券ばかりか政府発行の硬貨(政府紙幣)まで負債性を帯びると主張する以上、政府や日銀が貨幣を所有する国民に対して、何を以ってその負債とやらを清算するつもりなのか、ということだ。
貨幣に負債性など無いから、そもそも返済の必要性も術もないというのが正解なのだが、なぜか貨幣による商取引の返済や清算行為を持ち出すような詭弁を弄するとは、情けないことこの上ない。
返済や清算を迫られるのは、債権・債務の関係が生じた場合のみであり、貨幣はそれに使われるツールでしかなく、貨幣自体が負債性を負うわけではない。
貨幣負債論者は、債権・債務という商行為と、そこで使われる貨幣というツールとの区別ができていないから、意味不明な負債論に惑わされているのだろう。
負債を負債で返済するなど愚の骨頂であり、貨幣を貨幣で清算するのは単なる「両替」でしかない。

【主張4】
『政府が発生させた貨幣=負債は政府の負債なのだから、政府が負担して通貨を発行し返済すればよい』

⇒政府が発行した国債(政府の負債)を貨幣発行(政府紙幣)で返済するならともかく、政府が造った貨幣を貨幣で返済するなど、無駄の極致、バカの極みだろう。
自分が何を言っているのか解っているのか??
貨幣が負債で、その負債の返済財源に、別の負債である貨幣を充てるなんて、「えっ! 借金を借金で返すの?」と国民に嗤われるだけだ。
貨幣負債論者は、企業が仕入れ債務を、他社が振り出した約束手形(振出し者の債務)で支払う例を挙げ、これを正当化しようとするが、手形発行高がピーク比で93%も減ってしまった今、約束手形による債務支払いなんて極めて稀でしかなく、借金を借金で返す行為を正当化する理由にはならない。
もっとマシな説明をしないと、貨幣(お金)の本質への理解を歪ませ、MMTそのものの品位を貶めることになるとアドバイスしておく。

【主張5】
『世間一般で思われている、銀行預金を又貸しして融資を行っているというのは間違い。実際は借手が書いた借用書という負債と、銀行から見ると負債である銀行預金の負債と負債を交換しているだけ』

⇒貨幣負債論者は、“融資が預金を創造する”という表現を好む。
確かに、銀行がA社に融資した貸付金は、A社の預金口座に入金され、それが使われたとしても、支払先の預金口座に入金されるだけだから、融資が預金へと姿を変えるのは正しい。
だが、融資さえやっておれば預金を創造し続けられるとでも言うかのような表現は、あらぬ誤解を生むし、実態に即しているとも言えない。
かの悪名高い日本振興銀行新銀行東京といった素人銀行が、いい加減な融資で不良債権を噴出させ、結局は預金不足による資金繰り破綻で倒産した事実から、融資拡大だけで銀行経営を維持することなど不可能なことがよく解る。
全銀協の資料では今年3月末の総預金が756兆円に対して貸出総額は501兆円と相変わらず預貸差は250兆円以上もあるが、預金÷貸出=1.5倍でしかなく、借金(貸出・融資)が信用創造の源だと言い切るには、あまりにも迫力が足りない。
せめて、この値が5~6倍くらいにならないと、信用創造機能がフル稼働し、融資が預金を創造しているとは言えないだろう。
1.5倍程度の値なら、融資は預金の又貸し説の方が数倍腑に落ちる。

【主張6】
『税金は政府の財源では無い。だけど、無税国家には反対。無税にしちゃうと、租税貨幣論が成り立たないから…』

⇒「我々は、政府と国民の関係を公共サービスの対価として税金を払っていると思い込むのは天動説と同じ間違い。実際は、税金は政府支出の財源ではなく、税収とは無関係に通貨(お金)を発行して国民に支払っているのだ」とまで言い切っておきながら、無税国家の可能性を否定するのは自己矛盾も甚だしい。
税収と無関係に政府が自由に支出できると聞かされた国民は、当然、大幅な減税や無税国家の出現を期待するだろうが、臆病な彼らがそこまで踏み込むことはない。
税を国家財政と切り離すのなら、税の役割を「社会的不公正の是正」と「高インフレ防止用の消火器」に限定すべきだが、なぜか、租税貨幣論というポンコツ理論を持ち出し、税に貨幣流通の駆動力の役割を負わせようと必死になる。
この世の中に、税があるから貨幣の通用力や流通力を信用するというオメデタイ人間なんて残念ながら存在しない。(一部の特殊な理論の信者を除いて…)
現実には、貨幣が好きすぎて脱税という違法行為に手を染める者も多い。パナマ文書で脱税を晒された脱税者たちは、税制を否定し嫌いつつ貨幣を信奉するわけだが、こうした守銭奴たちを見るにつけ、租税貨幣論など空想上の書生論でしかないことがよく解かる。
そもそも、自分の身の回りを見渡しても、納税を動機として円を使用する変わり者など誰一人いない。筆者も長年いろんな人と会ってきたが、国税が怖いから円を使うなんてバカを見たことがない。
貨幣を嫌う者は滅多にいないが、税を嫌う者はごまんといるという一事をとっても、租税貨幣論が成立する余地など一ミリもない。
法定貨幣ゆえに国内での通用力が保障されているという事実こそが、貨幣を駆動させるのであり、税制云々はほぼ無関係だ。

【主張7】
政府紙幣とは、正に借用書であり、負債そのもの』

⇒現実にある政府紙幣は、政府発行の硬貨のことを指す。これを負債と言うのなら、硬貨が、政府のバランスシート上のどこに負債勘定として計上されているのか明示してもらいたい。
併せて、政府のバランスシートの資産勘定に「現金・預金」と計上されている事実にどう反論するのか拝見したい。
硬貨が政府の負債であるなら、一般常識からして、それを所有する者が政府に何らかの対価(負債の清算)を求めることができるはずであり、明日にでも造幣局へ出向き、500円硬貨を突き付けて「俺に借金を返せ!」とゴネてみるがよかろう。
日銀発行の紙幣だけでなく、政府紙幣まで借用書とか負債扱いするに至っては、「バカ論もここまで来たか」と天を仰ぎたくなるが、積極財政を唱えつつ、負債をばら撒こうとするおかしさに気付かないのか?
紙幣(貨幣)は無論のこと、政府紙幣(硬貨)も負債ではなく、政府や中央銀行実体経済を動かすために供給する資産以外の何物でもない。
そうした基本すら理解せず、積極財政を主張するなんて如何わしいことこの上ない。
「貨幣が負債なら、いつ、誰に、何を以って返済するのか?」という問いに、まったく意味のある回答すらできていないし、「負債である貨幣を増発して、世の中が借金だらけにならないのか?」、「貨幣という負債を、貨幣という別の負債で返済するのはおかしいだろ?」、「税金があるから貨幣が流通するなんて、いったい誰が信じてるの?」という国民の疑問にも、納得できる回答が返ってこないし、これまでに出てきた回答もジャンクなものばかりで呆れ返っている。

〖結論〗
・貨幣負債論の信者は、信用取引の定義を曲解し、それを普遍化しすぎるあまり、この世の取引をすべて「誰かの負債は誰かの資産」の公式に押し込めようとするが、それが間違いのもと。それが通用するのは、両者が債権・債務の関係にある場合のみであり、経済行為の大半を占める消費においては、貨幣とモノやサービスとのやり取りが一瞬で決済されるケースがほとんどで、そこで使われる貨幣は受け取った者にとって“資産”であり、誰の負債にもならぬまま実体経済を循環し続ける。

・貨幣は負債(国債・融資)によって発生するというのは一面的な理解に過ぎない。現実には、政府紙幣(硬貨)の発行というルートでも造り出せ、それは負債とは言えない。国債そのものが政府の負債であるのは間違いないが、その負債性は、国債により生み出された貨幣にまでは及ばない。貨幣は、国債という政府債務を償還するために用いられるツールでしかなく、ツールそのものが負債性を帯びることなどない。

・積極財政論の拡大のためには、国民に蔓延する国の借金恐怖症の払拭が不可欠。国債という政府債務の拡大を懸念する国民を黙らせるには、何らかの財源を示さねばならない。国債の永続的膨張を正当化するためには、政府の通貨発行権という絶対的資産の存在が欠かせない。よって、政府紙幣を負債呼ばわりするのは、積極財政論の支柱を自ら切り倒そうとする裏切り行為だ。

・貨幣が流通するのは、国家が定めた法廷貨幣として通用力を保障されているからにほかならず、税制の存在は、一国が有する供給力や流通基盤、金融システム、法律遵守力など様々な社会基盤の一つに過ぎない。現に、租税を嫌う資産家が誰よりも貨幣を選好する一事を見ても、租税のみが貨幣を駆動させるという戯言が、誰の信用も得られない虚言や空論でしかないことが解る。

・社会的課題解決を放り出し、メソポタミアのツケ払い帳のような下らぬ事例を根拠に、貨幣負債論へ強引に誘導しようとするのは、経世済民の目的を忘れた何よりの証拠。国民生活向上のために何をすべきかではなく、論拠薄弱な書生論の布教活動に勤しむ様は、まことにみっともない。

・貨幣負債論や租税貨幣論という現実を説明できぬ虚言を吹聴する信者は、積極財政による社会的課題の解決というMMTの根幹を蔑ろにし、「財政拡大=負債拡大=国民負担増大」というルートから緊縮主義者に攻撃材料を与えるだけの邪魔者でしかない。

・このままでは、積極財政論やMMTは貨幣負債論という“お荷物”のせいで墜落を余儀なくされるだろう。貨幣負債論の信者たちは、「自国通貨を持つ政府は、財政的な予算制約に直面することはない」、「政府は財政赤字を気にせず、社会的課題解決に果敢に対処すべし」という積極財政論の柱をいま一度噛みしめてもらいたい。