うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

政府は、とにかくカネを使え

富士通、希望退職2850人=461億円の費用計上-今期』(時事通信社)

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190219-00000088-jij-bus_all

富士通は19日、ITサービス強化と間接部門の合理化を目指したリストラ策の一環として実施した希望退職者の募集に、2850人が応募したと発表した。退職日は3月31日で、割増退職金などの費用として2019年3月期に461億円を計上する。(略)」

 

富士通の希望退職募集のニュースは、もはや決算期の風物詩と化した感もあるが、このところ、NECエーザイ協和発酵、キリン、アルペンコカ・コーラなど早期退職や希望退職を募るニュースが後を絶たない。

 

経営者の連中は、口を開けば「業界は人手不足で人材確保に一苦労だ」とボヤくが、いったい何処の話をしているのか? (要は、安月給&キツいノルマに文句も言えない奴隷が足りないと言いたいだけなんだが…)

 

名だたる大企業が、屋台骨を長年支え続けたエース級社員たちを冷酷な追い出し部屋送りにする様を見て、「仕事もしない穀潰しの中高年はゴミ箱行き」、「年功序列を排し、真の実力主義の導入を‼」と気勢を上げる若者世代も多いが、10~20年後に自分の首を切り落とす断頭台の切れ味を称賛する頭の悪いバカだろう。

屠殺場行きのトラックを待つ列の後方で屠殺人に喝采を浴びせる豚と同じだ。

 

豊富な業務ノウハウや人脈を有するベテラン社員を標的に苛烈なリストラと首切りの嵐が吹きすさぶのは、40~50歳代の高所得層(経営視点から視ると高コスト層)を雇うだけの売上や収益を稼げないからで、とどのつまりは、国内のビジネス需要が極度に冷え込んだまま一向に回復していないことに尽きる。

 

企業の経営資源は「ヒト・モノ・カネ・情報」などと言われるが、ベテラン社員の大量喪失により、経営の根幹たる“ヒトと情報”が一挙に失われ、残ったモノやカネの劣化に直結する。

それを証拠に、大規模なリストラを断行した企業ほど、その後何度も追加リストラを余儀なくされ、企業価値の下落に歯止めがかからない。

リストラという「麻薬」は常習性が極めて高く、自傷行為を伴い経営を蝕み続けるものだ。

 

こうした企業の体たらくを見るにつけ、国内需要の回復が急務だと思い知らされる。

なぜなら、リストラや人材の使い捨ては、我が国最大の強みである生産力・供給力・サービス力という“国富”を劣化させ、豊かで便利な国民生活を一気に破壊し、貧困と暴力が支配する後進国へと転落させる危険を孕んでいるからだ。

 

にもかかわらず、内需回復を求める声は相変わらず小さすぎるし、それに欠かせぬ積極財政主義には“ムダ遣い”だの“不正の温床”だのとレベルの低いレッテが貼られ、国民から忌み嫌われている。

 

筆者は、平成の次の元号が終わる頃に、我が国のGDPはいまの半分以下にまで落ち込み、G7どころかG20から外され、失業率は9~10%にも達しているのではないかと、まじめに心配している。

 

世界をリードする生産力や技術力、サービス力を何とか維持できている今のうちに、そうした国富に十分な養分を与えられるよう、積極的な財政政策に舵を切らないと、生産力そのものが壊死してしまい、財政政策そのものが効力や意味を失う世界、つまり、需要が供給の高度化につながらず、単にインフレを加速させるだけの暗黒の時代を迎えざるを得なくなるだろう。

 

財政政策を推す論者は「政府はカネを借りて、使え」と、積極的な国債発行による財源捻出を主張する。

これには筆者も大いに賛同する。

 

巷には、「1000兆円を超える国債は国の借金。次世代に負債のツケ払いをさせるな」だの、「収入が50万円しかない家が、毎月50万円も借金しているようなもの。増税に耐えてでも無駄遣いを減らせ」だのと、国債の何たるかをまったく理解していない大バカ者の妄言が溢れかえっているが、そんな戯言をまともに相手する必要はない。

 

本気で豊かになりたいのなら、政府にカネを存分に使わせ、懸命なる労働と旺盛な消費や投資を以って、それを十分に吸収してやればよい。

その過程で、国民の消費に対する欲求はより高度化し、企業はそれに応えるべく生産やサービス技術を磨き、国全体の国富がより堅牢かつ強靭化するという善循環につながるだろう。

 

くだらない清貧の思想とか、カネの使い道の清濁に関する異様な拘りは、そうした循環と発展を阻害する薄汚い汚泥の類いでしかない。

 

筆者は、「政府はカネを借りて、使え」に加え、「政府はカネを造って、もっと使え」と主張したい。

 

前回のエントリーでも説明したが、国家が、経済活動の源泉となる「貨幣」を実体経済に流通させる方法には二つのやり方がある。

一つは、政府が民間からカネを借りる「国債発行」であり、もう一つは、政府が直接的に貨幣、つまり、「政府貨幣(紙幣でも可)」を製造する方法だ。

 

国債発行は長年の実績やノウハウの蓄積があり、貯蓄超過になりがちな民間経済主体に対する利払いを通じた資産運用の手助け、国債売買のオペレーションによる貨幣流通量の調節、金融緩和や引き締めによる金利水準の調整などといった役割があり、これらは今後も十二分に活用すべきだ。

 

問題なのは、国民の「国債=国(国民)の借金⇒私たちの税負担が重くなる」という猛烈な国債アレルギーをいかに治癒するかという点だ。

 

国債は政府の借金であって国民にとっては資産”、“他国の例を見ても解かるように、国債発行残は永久に増え続けるもの”という説明には合理性があり、聖域なきバラマキを善しとする筆者みたいな人間はたちどころに首肯できるが、借金コワい病を患う多くの国民を納得させるのは極めて難しい。

 

まして、「皆さんが欲しがる“貨幣”って、ほんとは負債なんですよ」なんて言った日には、「なにぃ~! カネが負債だって? じゃぁ、最後は国の借金を負債で返すの? カネが負債ってことは外国から借りないといけないってこと? ナニいってんのかサッパリ解からんわ??」とバカにされるだけだ。

 

「世の中には、預金みたいに返すことを許されない借金もある」とか、「国債とは、政府が国民からモノやサービスを借りた証」といった言い訳は通用しない。

 

預金は金融機関にとって拒否できない借金に等しいが、それを以って国債発行の許容に結び付けるのは難しい。

勉強不測の国民から、「預金(借金)増加に困っているなら、銀行はもっと企業に融資すればよい。何も国債を買う必要はないだろ?」、「銀行が国債を買うのは、政府を甘やかすだけだ」とアホな反論を焚きつけるだけに終わる。

 

また、政府は国債発行で捻出したカネを財源に様々な事業を行うが、個々の事業の対価は都度清算済みであり、モノやサービスを借りているとは言えない。

政府が借りているのはカネであって、モノやサービスではない。

 

借金恐怖症に駆られた国民に、いい加減なことを言うと、「政府は国民が貸したモノやサービスを返せ。いますぐ、国債という借金を減らせ」と大騒ぎされるだけだ。

 

緊縮財政や増税止む無しとばかりに自殺行為を受け容れる国民に訴えるべきは、「政府はカネを借りて、使え」と「政府はカネを造って、もっと使え」の両方であり、どちらか一方だけでよいというものではない。

 

手段の清濁に固執せず「政府はカネをもっと使え」を実行させることこそが、物事の本質や根幹なのであり、“借りるor造る”の二者択一論争をすることではない。

 

借りるという行為以外でカネを発生させるのはご法度だなどと時代遅れも甚だしい戯言を言っている場合ではなかろう。

 

政府がカネを積極的に使えば、民間は必ずそれを追従し、民需隆盛につながる。

政府の役割は、消費や投資は生産力や供給力を強靭化させるために不可欠な行為であるということを民間経済主体に理解させ、実感させるために範を垂れ、先鞭をつけることに他ならない。

 

カネを使う(=民間のビジネスチャンス拡大、家計所得UP)ことが大切なのであって、“公共事業は仕事を生むから善”、“給付金は怠け者に対する施しだから悪”という幼稚な発想を捨て、公共事業も善、給付金も善、減税も公務員増員も善という原則を理解せねば話は前進しない。

 

財出拡大を訴えると、ハイパーインフレが怖いから無税国家は成り立たないとか、ベーシックインカムは働く意欲を喪失させるとかいうトンデモ論が沸き起こるが、こういうことを言う論者は、生産の概念を質や付加価値ではなく量でしか測れない「胃袋経済論」に囚われ、日本の工業力を前近代的視点でしか理解していない、呆れるほど周回遅れの経済観しか持ち合わせていない。

 

ハイパーインフレ対策として絶対に欠かせないのは、生産力の高度化(生産性向上)と人材育成、流通基盤の整備に尽きるが、国富喪失のリスクに直面する我が国のサプライサイドを修復するために、貨幣の資産性を活用した積極果敢な財政支出なしに、どうやってそれを成し得るというのか?

 

国債=次世代へのつけ回し論や財政破綻論、金融緩和万能論、増税不可避論、貨幣負債論、租税貨幣論などといった類いの愚論を布教するのにムダな時間を費やしている暇はない。。

 

「政府はカネを借りてでもよい、造ってでもよい。とにかく、もっと使え」と言うべきだ。