うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

リスクの定義をコロコロ変える反原発ゴロ

伊方原発、差し止め認めず 大分地裁』(9/28 日経新聞

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO3586355028092018ACYZ00/

四国電力伊方原子力発電所3号機(愛媛県伊方町)の運転差し止めを求め、豊後水道を挟んで対岸の大分県の住民らが申し立てた仮処分申請で、大分地裁は28日、申し立てを退ける決定をした。「阿蘇山の巨大噴火は差し迫っていない」と判断した。(略)」

 

9月25日の広島高裁に続き伊方原発再稼働を認める判決が出された。

 

当然すぎるくらい当然の判決で、「9万年も前に起きたかも知れない阿蘇山破局的噴火が再度発生し、それが伊方原発をピンポイントで破壊する」という微粒子レベル未満のフィクションや妄想を理由に原発稼働を差し止めようとするなんて、あまりにもキチガイじみている。

 

少なくとも小学校2年生以上の常識と知能があれば、差し止め請求を認める判決なんて恥ずかしくて出せるはずがない。

 

記事によると、「住民側の河合弘之弁護団長は「極めて無反省な内容。『社会通念』で逃げるなら法律など要らなくなる」と批判。申立人の一人、中山田さつきさん(64)は「裁判所には福島の原発事故をきちんと受け止めてほしい」と話した」そうだが、ネジの外れた申立人や弁護団の連中には、バカもほどほどにしろと言っておきたい。

 

① 9万年前に阿蘇山破局的噴火が起きたという科学的な証拠

② ①が起きたとして、伊方原発を粉砕できるだけの物量の火砕流が130㎞(130mではない‼)も離れた場所にピンポイントで届いたという科学的証拠

③ ①②をクリアしたとして、今後原発稼働期間中に再び阿蘇山破局的噴火が起きるという科学的証拠

④ ①②③をクリアしたとして、噴火による火砕流伊方原発を直撃して破壊すると言う科学的な証拠

 

原発ゴロのバカどもは、最低でも上記4つの条件くらいはクリアする科学的データを揃えたうえで訴訟を起こすべきだが、当の訴訟屋たちには、そんな常識は通じない。

 

データもエビデンスも無く、有るのは妄想と闘争心だけという体たらくだが、彼らは恥も外聞もなく提訴を乱発し、社会機構の運営や運用の邪魔をする。

本当に蛆虫以下のゴミくずだ。

 

「幻覚と思い込みで四国電力の業務を妨害しておきながら、裁判所が示した常識的な判決にケチをつけるな‼ 極めて無反省なのはお前らのことだろっ‼」と、薄汚い蛆虫どもを叱り飛ばしたい。

 

狂信者どもは「福島の原発事故をきちんと受け止めてほしい」なんて言うが、頭のおかしなヒステリーおばさんが“福島”という言葉を発口にするたびに風評被害が撒き散らされ、福島のブランドが汚されることに気づかないのか?

 

広島高裁で伊方原発の運転差し止め命令が取り消された際にも、住民側弁護団の海渡弁護士が記者会見で「原発は1万年に1度という事象にも対応しなければいけない、というのが国際的に確立した考え」と突拍子もない大嘘を吐いていたが、世界中の何処に『1万年に1度のリスク』に備えた施設があるというのか。

 

1万年に1度のリスクを具体的に例えるなら、直径1㎞クラスの小天体が地球に衝突し直径10kmのクレーターと地球規模の寒冷化を惹き起こす可能性に等しいとされる。

 

こんなファンタジーの世界にしか起き得ないリスクに備えねばならぬなら、原発を止める以前に、地球上を飛ぶすべての飛行機、外洋を航行するすべてのタンカー、陸上を走る回るすべての自動車やトラックを止める必要があるだろう。

 

なにせ、自動車より遥かに安全な乗り物とされる飛行機ですら、死亡事故に遭遇する確率は0.0009%に過ぎないが、過去十年間の平均で年間26.6件の事故と546.3人もの死者を出しており、1万年に1度のリスクに対応できるほど安全とはとても言えない。

 

だが、反原発ゴロの連中から、事故発生時の死亡確率が100%近い飛行機を飛ばすなとか、国内で年間3千人以上も死者を出す自動車を走らせるなといった声はまったく出てこない。

それは、小狡いゴロツキどものいう「リスク」の定義が極めて恣意的かつ曖昧だからだ。

 

普通の感覚なら、「リスク=死に直結する事故や病気」と捉えるべきだが、福島第一原発の事故(※福島第一原発津波災害を受けた被害者の一員であるというのが筆者の持論)による直接的あるいは一次的な死者はゼロという事実がある以上、反原発ゴロにとって“リスク=死”と定義づけるのは分が悪い。

よって、彼らは、放射能汚染による将来的な甲状腺がん発生の恐れ云々とあり得ない妄想を持ち出して話を逸らし、いますぐにリスクを顕在化させられぬ失態を誤魔化そうと必死になっている。

 

この世で最も恐れるべきリスクは「死」であり、リスクの強弱や大小、軽重を比較するに当っては、死に直結する確率の高さを以って判断すべきだ。

 

原発ゴロの連中は、偉そうにリスク論を語るつもりなら、まず死者数や死亡確率の高さを基に物事を判断すべきだ。

原発アレルギーの蛆虫どもは、運用や稼働による死亡確率が原発施設よりも遥かに高い自動車の存在を強く非難すべきで、彼らが為すべきは原発差し止め訴訟ではなく、大手自動車メーカーに対する自動車製造差し止め訴訟であろう。

 

原発を止めたいがために「リスクの定義」をコロコロ変えるのはまことに恥ずかしいことだ。