うずらのブログ

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リスク論を感情で騙る反原発ゴロ

みなかみ町:町長自動失職前田氏 最後まで反省や謝罪なく』(9/18 毎日新聞

https://mainichi.jp/articles/20180919/k00/00m/040/086000c

「セクハラ問題が浮上している群馬県みなかみ町前田善成町長(51)に対し、町議会は18日、辞職ではなく全会一致で失職を突きつけた。セクハラ問題の発覚から4カ月半。前田氏からはセクハラ問題についての反省や謝罪の言葉は最後まで聞かれなかった。(略)」

 

件のセクハラ町長というよりも、「卑しい痴漢野郎」と呼ぶべきバカ者がようやく失職したようだ。

 

この事件は、今年4月18日に群馬県みなかみ町内で開かれた団体の送別会に参加した前田氏が、トイレから出てきた団体職員の女性(前田氏の娘と同じくらいの年齢)に無理矢理抱き着きキスをしたとして被害者の女性から訴えられたもので、こともあろうか、この痴漢野郎は事実関係を認める発言をしておきながら、反省の色すら見せず、逆に、女性に対し新聞への謝罪広告掲載や損害賠償を求める訴えを起こしたというのだから、呆れ果てて開いた口が塞がらない。

 

言い逃れできない証拠を眼前に突き付けられても、自らの行為がもたらした落ち度が公然の事実となっても、都合の悪い事は一切認めようとしない卑怯者は後を絶たない。

 

前田氏の醜態ぶりを見ると、前代未聞のブラックアウトを惹き起こしておきながら反省も謝罪の言葉も一切なく、北海道電力にすべての責任を擦り付けようとする反原発のゴロツキ連中と瓜二つだ。

 

原発アレルギー患者という生き物(だいたい緊縮主義者と“≒”なのだが…)には、理性もなく、国家全体を俯瞰する視点もない。

 

彼らは、自分が好まぬ“特定のリスク”をこの世から根絶やしにせねば気が済まないという「差別主義者」や「弾圧主義者」であり、理性的な議論を嫌う。

 

彼らが推す再生エネルギーの脆弱性や不安定さ、自然環境に及ぼす悪影響などのデメリットから目を背け、自分たちが忌み嫌う原発の安全性や電力安定供給性を認めたくないばかりに、「原発=リスクの塊」という事実無根かつ根拠ゼロのレッテル貼りをし、世論を総動員して言論封殺するしか打つ手がない。

 

合理性や論理性に劣るがゆえに、最後は暴力的なポリティカル・コレクトネスを振りかざして周囲を威圧するしかない未開の野蛮人そのものだ。

 

そんな野蛮人のひとりがイキって創作した“KYな汚物”が、いわれなき風評被害に苦しむ福島の方々の怒りを買い撤去された。

 

『防護服着た像、福島市が撤去へ 「賛否分かれ設置困難」』(8/28 朝日新聞

https://www.asahi.com/articles/ASL8X4SLSL8XUTIL01R.html?ref=yahoo

東京電力福島第一原発事故を受けて制作され、今月初めに福島市内に展示された子どもの像「サン・チャイルド」について、福島市の木幡浩市長は28日、撤去すると発表した。「賛否が分かれる作品を『復興の象徴』として設置し続けるのは困難」と述べた。(略)

市が18~27日に実施したアンケートでは訪れた110人中、移設・撤去を求める意見が75人、存続が22人だったという。(略)」

 

子供をダシに使うのは、エセ平和主義者気取りの反原発ゴロの常套句だが、子供に厳つい防護服を着せ、さも放射能汚染の危険性を煽るような虚像は、放射能被害など微塵もない福島市内に飾るモニュメントとしてまったく相応しくないことくらい一般常識で解るはずだ。

 

その程度の常識すらないのが、原発を敵視するゴロツキの教養レベルであり、人品の卑しさが滲み出ている。

 

作者のヤノベケンジ氏は、自身のHPで一連の事態を釈明している。

だが、型通りの謝罪文はあるものの、自分が反原発活動に目覚めた経緯を長々と謳い、防護服やガイガーカウンターといった「原発放射能リスク」をいたずらに強調するアイテムを用いて根拠不明なレッテル貼りを意図した醜い行為を正当化しようとする痛々しい言い訳ばかりが並び、反省の色がまったく見受けられない。

【参照先】http://www.yanobe.com/

 

福島第一原発事故発生当初こそ、現場に近づくには厳しい規制が課され、皆が仰々しい防護服を着せられていたが、数ヶ月もすると、現場取材に行くマスコミは一様に防護服を脱ぎ、普通の格好をして原発施設内や周辺をうろついていたではないか?

 

また、福島第一原発に近い浪江町南相馬市でも、野生のイノシシや猿が以前の10倍以上も捕獲されたとの記録もあるし、野生化した牛が数を増やして元気に草を食む様子も確認されている。

 

原発アレルギー患者の妄想どおりなら、事故現場となった浪江町内は市の街と化して然るべきだが、事実は見てのとおりで、動物たちの逞しい姿からは放射能の影響など微塵も確認できないではないか?

 

放射能バカのゴロツキどもは、自分の脳内という狭小な世界から外界に出て、事実と現実をじっくり見つめ直すべきだ。

妄想に溺れるのは勝手だが、野良電波や違法電波を外に向けて堂々と発信するのは止めてもらいたい。

 

原発に限らないが、この世に存在するあらゆるものにはリスクはつきもので、完全にゼロ化するのは絶対に不可能だ。

 

昨年我が国では自動車事故による死者は3,694名にもなり、世界中で飛行機事故は過去十年間の平均で26.6件発生し546.3人ずつの死者を出している。

また、2016年の大学病院や国立病院機構で起きた医療事故は3,428件あり、うち死亡事例は281件にもなる。

 

これだけ多数の事故や死者を出しておきながら、「自動車や飛行機の使用を止めろ、医者を監獄に入れろ」という声が上がらないのは、それらがもたらす社会的便益の大きさに皆が相応の経緯を払っているからだろう。

 

原発の事故リスクはこれらと比べて著しく低く、ほぼノーリスクと言っても差し支えないが、病的な原発アレルギー患者からいわれなき誹謗中傷を受け、世界で最も危険な破壊装置であるかのようなレッテルを貼られている。

 

だが、原発が社会生活や産業基盤の維持に欠かせない電力の安定供給を、数十年の長きに亘り続けてきた実績を推して、社会に与えた便益は自動車や飛行機、医療に引けを取らぬくらい大きなものだから、国民は原発やその稼働に携わってきた方々に対して謝意を表し、きちんとした敬意を払うべきだ。

 

リスクに怯え、リスクから逃げ回るのは、禁断の地の入り口に結界を貼り祈祷と生贄を捧げる未開の野蛮人か猿の所業であり、科学技術を以って明日を切り開こうとする先進国たる国家に暮らす国民の態度ではない。

 

筆者は、福島や福島第一原発を“フクシマ”や“フクイチ”と呼ぶことを忌み嫌う。

 

そうした軽率で心ない言い回しを安易に使うのは、福島を放射能汚染されたか土地であるかのように蔑視し、醜悪な差別や偏見を助長することにつながる。

 

今回の北海道胆振東部地震で起きたブラックアウトという大事故の再来を防ぐためには、北海道のみならず、全国的な電力供給体制の整備を理性的に論じなければならない。

 

なにせ、事故後の北電の発電構成には、北本連系による本州方面からの電力供給が組みこまれており、仮に本州で一時的な電力不足が発生すれば、北海道内で再度ブラックアウトが起きる事態に直結してしまう。

 

大規模リスクを防ぐ基本中の基本は、「分散による最適なポートフォリオ」を確立することである。

 

エネルギー政策であれば、火力(LNG・石油・石炭)と原発、水力、再生エネによるバランスの取れたエネルギーミックスを実現することが何より重要であり、東日本大震災以前の我が国のエネルギー構成は、これが高次元で具現化され理想的な状態だった。

 

しかし、反原発派の煽情的な放射能リスクに踊らされた国民が熱狂的にゴロツキどもを支持し、全原発の稼働を止めたため、エネルギー構成は極めて歪で不格好に変貌し、安全保障リスクは急激に高まっている。

 

さらに、原発全廃により増える化石燃料費は年間4.5兆円程度と推計されるから、この8年間で35~40兆円もの富が無駄に流出してしまったが、ゴロツキどもはこうした大失態にも知らぬ顔をし、原発稼働に反対し続けるなど、その態度は無責任極まりない。

 

エネルギー政策における原発稼働は、即効性と確実性を兼ね備えている点で、経済政策における財政政策の役割と共通するところがあるものの、狂信的な反原発論者や緊縮主義者の抵抗や妨害に遭い、日陰者扱いされているのは、我が国にとって大いなる損失である。

 

祈祷や念仏は、病人の治療に何の効果もないばかりか、症状を悪化させ重篤化するだけだ。

狂信者どもは、一刻も早く非科学的な迷信や妄信と手を切り、目の前にある現実や事実を直視すべきではないか。