うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

貨幣負債論の限界

筆者は出張などで長時間移動する際に、時々自ブログを読み返すことがある。

改めて過去記事を読むと、よくもまぁ、毎度毎度、カネを刷れだの、カネをバラまけだの同じことばかり言えるもんだ、読者の皆様もさぞ飽き飽きしているのではないかと、我が事ながら苦笑を禁じ得ない。

 

これまで筆者が、“経済成長や国民生活向上のために貨幣(お金)をもっと扱き使え”と言い続けてきた真意は、貨幣そのものの商品価値や負債性を認めず、貨幣という存在を「経済発展を通じて国民生活を豊かにするための生産(供給)・消費(需要)を誘発できる唯一にして最大のツール」だと考えているからである。

 

そもそも、国民にしろ、企業にしろ、個々の経済主体が働いたり、モノを作ったりする最大の動機は、「貨幣に対する飽くなき欲求」であろう。

なぜなら、貨幣ほど交換ツールとしての有用性や利便性が高く、優れた資産価値を持つものはないからだ。

 

ボランティア絶対主義の変わり者を除けば、この世で誰もが最も欲しがるのは『貨幣(お金)』であり、先進諸国において不況という異常事態が生じ国民を不幸に陥れるのは、たいがい所得に直結する貨幣不足のせいであり、それをもたらすのは、貨幣に対する国民の誤解と偏見によるものだ。

 

さて、巷には「貨幣=負債」という論が溢れ、学術的にもそれが正しいとされるが、筆者は少々違和感を禁じ得ない。

 

確かに、国債発行による貨幣創出は、企業や家計といった経済主体の投資(借金)を起点としており、“貨幣は投資や借金により生まれる”という理屈は尤もらしく聞こえる。

 

この「貨幣=投資(借金)起源論」を強力に提起しているのは、ステージ・チェンジがお得意のリフレ派の連中であり、彼らが信奉するインフレ・ターゲット理論が、“金融緩和による実質金利低下と通貨安をテコに投資を誘発すれば、貨幣が増発され経済成長を実現できるはず”という発想に立脚していることからも明らかだ。

 

だが、財政政策を無視したインタゲ万能論は、現代日本のように極度の需要不足経済下では、その効力を失い、物価目標未達を繰り返し、周囲から失笑を買うハメになっているのはご承知のとおり。

 

家計にしろ、企業にしろ、誰もが将来の所得や収益の漸増に自信を持てない状況下で、投資や借金に積極的になれる者はごく一部に過ぎず、いくら政府が投資を呼び掛けても、互いに横目に他人の投資を期待するだけで、自ら進んで人柱になりたがる者はいない。

 

つまり、「貨幣は投資や借金によってのみ生み出される」という論は正確性を欠いており、「貨幣は通常の場合、投資や借金から生まれるが、通貨発行権を有する政府がその権限において自由に創造することもできる」と説明すべきだ。

 

なぜなら、現実に毎年2,000億円以上の政府紙幣(硬貨)が発行され流通しており、誰の負債にもならない政府紙幣(造幣益)を、財出や消費税撤廃、社保負担軽減、ベーシック・インカムによる社会保障の強化などの財源としてもっと大規模に活用すれば、“国の借金問題”という最大の足枷となっている大嘘が霧散し、大した効力もないインタゲ理論に頼らずとも、我が国はもっと力強く経済発展できるからだ。

 

1,000兆円を超えるとされる国の借金(正確には政府の借金)問題も、政府所有の資産や日銀保有国債などを考慮すれば、その実態は120兆円くらいに過ぎず、何の問題もないのだが、世界一の借金大国という虚言に憑りつかれた国民の負のイメージを一掃するのは難しい。

 

そこで、政府紙幣の発行という大権を発動し、国債発行額と同額の国債整理基金を準備して、「その気になれば、政府はいつでも借金を返せるんですよ」と、借金に怯える国民を安心させるやり方もある。(実際に国債償還には使わず、あくまで同額を積み立て続けるだけ)

 

本来なら、こんなバカげたことをする必要はないが、国債や貨幣の仕組みを頑なに理解しようとせぬ多くの国民を黙らせるには、これくらいの荒療治も必要だろう。

 

また、「貨幣は債務と債権の記録である」との論もあるが、これも正確とは言えない。

 

貨幣を債権・債務の記録や帳簿になぞらえるのは理解できなくもないが、貨幣自体に膨大な取引データが保存されているわけではない以上、過去に累積した債権・債務の個々の決済に使われてきたことは認めるが、それらの膨大な記録とまで称するのは明らかに言い過ぎだ。

 

貨幣を所有する者にとって実際に影響を与えるのは、直前に行われたモノやサービスの提供(=貨幣の取得)と、次の消費行為(=貨幣の供与)のみであり、それ以前の過去の取引や自分が貨幣を渡した相手が貨幣をどう使おうがまったく無関係であり、債権・債務の記録という説明はピンと来ない。(「どこに何の記録が残っているの?」と怪しまれるだけ…)

 

貨幣は債権・債務の記録というよりも、個々の決済に用いられた便利なツールと呼ぶべきで、貨幣そのものは負債でも何でもなく、債権・債務の決済残高を数値的に示すための単位でしかない。

 

さらに、貨幣を国家のバランスシート上における資本金に位置付け、「資本金=自己資本=負債」とする考え方もあるが、これにも異論がある。

 

資本金は決算書の貸借対照表の右側(負債勘定)に記載されるため、負債だと誤解されがちだが、資本金は「資産勘定」と「負債勘定」との差額を表す「純資産(純粋な資産)」であり負債ではない。

 

一般的に、「負債」とは他者に対する金銭的な返済義務を課された債務を指すが、資本金にそんな返済義務はなく、あくまで純然たる「資産」である。

 

株主への配当金を以って資本金の負債性を主張する向きもあるが、配当そのものに義務はなく、380万社近い国内企業の中で、実際に配当している有配企業は恐らく数%にも満たず、「配当=返済義務=債務=資本の負債性」というのはかなり無理がある。

 

貨幣は、日銀の貸借対照表でなぜか負債勘定に計上されているため、「貨幣=負債」との誤解が広がっているが、本来、貨幣には何の返済義務も、返済すべき対価も存在せず、政府紙幣(硬貨)と同様に、「造幣益」として計上すべきなのだ。

(そもそも、通貨発行元である(=政府と同じく、存在そのものが通貨と同様の)日銀に決算書は不要というのが筆者の持論なのだが…)

 

貨幣は負債だと言うが、最終的に貨幣が内包するはずの負債を決済できる者なんでどこにも存在せず、実際に貨幣を発行する政府や日銀は貨幣に対する何の返済義務も負っておらず、せいぜい破損した貨幣の両替くらいしかやらない。

 

だいたい、負債や資産云々は、家計や企業間の経済行為によって生じる債権・債務を指すもので、それらの決済に使われるだけのツールに過ぎない貨幣には無関係な話だ。

貨幣は、個々人や企業間の取引(債権・債務)の決済ツールとして紐づけられるがために、あたかも負債であるかのように誤解されているに過ぎない。

 

実体経済下の商取引において、貨幣という何にでも使える資産を受け取った者が、価値相応のモノやサービスの提供を義務付けられるという意味での債権・債務は生じるだろうが、それを以って「貨幣=負債」と呼ぶのは無理があり過ぎる。

 

もし、貨幣を活用した積極財政を強く訴えるのなら、貨幣の負債性ばかりを強調するのは、国民の貨幣使用意欲を萎縮させるだけで、あまりにも筋が悪い。

もっと貨幣の持つ資産性を前面に出して、国民や企業が安心して投資や借金を増やせる環境づくりを意識すべきだ。

 

現在、国民の平均年収は20年前に比べて1割近くも減っている。

 

本来なら、20年かけて倍増していてもおかしくない年収が、逆に減り続けているのだから、その累積差損たるや膨大であり、こんな惨状でいくら投資の必要性を叫んだところで、国民の心に響くはずがない。

 

「給料が増えるアテもないのに、これ以上借金をしろと言うのか? ふざけるな‼」と逆ギレされた挙句に、「借金が増えるくらいなら、成長しない方がマシ」と居直られるだけだろう。

 

資本主義経済にとって投資(借金)による供給能力拡大が成長に不可欠なのは当然のことだが、貨幣不足により需要が冷え切った氷河期経済下でいくら投資や借金の有用性を叫んでも、これといった商機もなく、返済目途も立たない家計や企業の反発を喰らうだけに終わる。

 

誰かが借金を増やさないと貨幣も増えないとの指摘は、当たっている面もあるが、所得逓増期待に対する確度が高まらぬ限り、民間経済主体が借金を増やすはずがない。

 

過去の経済拡大期に家計や企業が果敢に借金を重ねてきた動機は、「時間を買うこと」に尽きる。

 

旺盛な需要に支えられ実体経済が活況を呈し、次々と溢れ出すビジネスチャンスを他者より一秒でも早く掻き集めたいという欲求が高まり、金利を払ってでも資金を用意する時間を短縮化したいと思わせるためには、民間経済主体に借金をしろと命じるよりも、彼らが進んで借金をしたくなるような好況状態を先ず用意することが先決なのだ。

 

そのためには、旺盛な需要の元となる国債や貨幣の増発に対する国民の忌避感をきちんと拭い去っておくことが必要で、ネガティブイメージの強い貨幣の負債性を前面に出して説明するのは逆効果だ。

 

貨幣とは誰もが欲する最高の交換ツールであり、その資産的効用をより強調し、政府の積極的な財出によって需要創造のための資金を民間経済に大量に供与し、国民所得向上と更なる供給力の強化につなげるという前向きな提案をすべきだ。

 

「日本に財政問題は存在しない」という当たり前の事実を国民に迅速に理解させるためにも、貨幣負債論をやたらと連呼するのは控えて、国民や企業が大好きな貨幣を、その懐に大量にねじ込んでやることだ。

 

その供給方法は、政府発注の事業拡大(=財出)を通じても善し、BIや減税などの給付を通じても善しで、手法の清濁に固執せず、国民や企業の経済成長や所得漸増に対する期待を燃え上がらせることのみを考えればよい。

 

「貨幣は負債である」というアプローチから、積極財政が国民に理解されることはあるまい。