うずらのブログ

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経済学の名を穢す教科書主義者

「「比較優位」というリカードの“詐欺的理論”が今なお生き延びている不可思議 前編」  経済学者のトンデモ理論(2007.7.7「晴耕雨読」より)
http://sun.ap.teacup.com/souun/848.html

「まず、「自由貿易主義」は、それが有利だと考える国家が主張する「保護貿易主義」だと考えている。
自由貿易がお互いの国民経済にとってメリットがあるという理論的根拠としては、「比較優位」という考え方が示されている。
「比較優位」は経済学で幅広く受け入れられている(流布されている)理論であるが、現実と歴史をとてつもなく捨象したモデルにおいでのみかろうじて成立するものでしかない。(略)
グローバル化が進んだ戦後世界でも、日本を除く先進諸国は「比較優位」を度外視して食糧自給率100%をめざし、自由主義の権化と見られている米国でさえ、繊維・鉄鋼・家電・自動車・半導体と次々に対日貿易規制を強要してきたことなどを思い浮かべれば、「比較優位」が、建前や理論は別として、現実としては受け入れていないことがわかる。(略)」

経済ブロガーの晴耕雨読氏が、比較優位論という詐欺理論の息の根が止まらぬことを嘆いていたのは、もう10年以上も前のことだが、比較優位論という“机上の幼稚論”を騙るエセ論者はいまだに絶えない。(さぞかし、氏もイラついているだろう)

近頃、とあるサイトで比較優位論に心酔する酔っ払いが、こんな寝言を吐いているのを見かけた。

● “皆が得意なものを作って交換する、そうすれば世の中の生産量=消費量が増え、誰もがハッピーになれる”、それが比較優位だ

●比較優位は「個々人の得意なもの→生産性が高い→機会費用が低い」だから、最もGDPが大きくなるのは、全員が「最も生産性の高い財・サービスを生産」することだ

●経済活動とは、誰もが比較優位を実践している状態であり、例外はまったくない

●教科書レベルの知識も無しに経済学を批判するのは噴飯もの。教科書を理解しているかどうか見分ける第一関門は「比較優位説を理解している」かどうかだ

やれやれ…、現実よりも教科書を信じぬこうとする狂信者には施すべき処置が見当たらぬ。
一度ハマった宗教から足抜けするのは本当に難しいものだと嘆息するしかない。

比較優位論を無邪気に信奉する者は、えてして需要不足(供給過剰)のリスクに鈍感だ。
要は、生産にばかり気を取られ、需要の役割を完全に無視している。

リカードが例に挙げたイギリスとポルトガルのぶどう酒と毛織物の生産にしても、「各々が比較優位な生産に特化すれば両国のぶどう酒と毛織物の合計生産量が増える=両国がハッピーになれる」と単純化したものだ。

生産力が脆弱でモノが乏しく、常に飢餓や物資不足のリスクに直面していた時代ならともかく、世界中にモノが溢れ、先進国のみならず途上国ですら買い手不足に悩む現代では、「生産増加=ハッピー」とはならない。

需要(消費)の裏付けがない生産、つまり、生産物の対価支払いが約束されていない生産行為など、コストをドブに捨てるだけに終わる。
生産したワインや毛織物が確実に売れるという前提条件がないうちは、比較優位で生産力を増やす意味などない。

また、比較優位説が例示するように、国単位で特定の産業や職業に労働力を特化させるなんて、あまりにも現実を無視した夢物語だろう。

そもそも、「職業選択の自由」という人権の根源的な部分を蔑ろにする行為だし、さんざんワイン製造のスキルを積んできた職人が、羊の世話や紡績機の操作をできるはずがなく、単に労働生産性を著しく低下させるだけに終わるのは確実で、イギリス人は毛織物生産に特化した方が生産量も増える云々なんてのは、社会の仕組みを知らぬ小学生の妄想でしかない。

さらに、いい加減なのは、「誰もが経済活動で比較優位(その人の得意なもの=生産性の高いもの)を実践しており、例外は一つもない」という主張だ。

我が国には6,000万人もの労働者がいるが、自分が“得意かつ生産性の高い”職業に就いていると自信を持って応えられる者なんて、ほんの一握りに過ぎないことくらい誰にでも解る。

NTTコムリサーチの調査では、約6割の人が今の仕事に対して納得しておらず、やりたい仕事に就いている人は40%しかいない、という結果が出ている。
https://www.tensyoq.com/job-suitable-for-me/
また、PGF 生命の調査によると、仕事・職業の満足度で『満足している』(「非常に」と「やや」の合計)は 38.9%という結果だった。
http://www.pgf-life.co.jp/hpcms/news/NB300.do?NID=1370

こうした調査結果を踏まえると、大まかに言って、得意な仕事や満足できる仕事に就けているのは、最大に見積もっても労働者の4割ほどしかおらず、“誰もが経済活動で、その人の得意な仕事を実践している”という大嘘はすぐにバレる。

第一、全員が生産性の高い仕事に就けているのなら、日本のGDPが停滞し続けるはずがないし、国内企業の70%近くが赤字という体たらくをまったく説明できない。

 

まぁ、比較優位論を偉そうに吹聴するからには、まさか当の本人が働いていないなんてことはないだろうが、もし、生産拡大を熱く語っておきながら、自分は長期間仕事をサボっているとしたら大問題だ。

何の生産活動にも寄与していない“休職のプロ”風情が、他人の生産を騙ること自体、まことにおこがましく、まったく説得力がない。

現実を冷静に見つめようとしないエセ論者に限って、妄想が詰まった教科書を拠り所にしたがり、外部の指摘や批判で持論が崩壊しそうになると、“経済学を理解しているのか”、“教科書を読んだのか”と、学問や書物を盾にして自身の非才や勉強不足の言い訳をし始めるものだ。

こんな卑怯者に寄り掛かられては、当の学問や教科書もいい迷惑だろう。

本来、学問とは、現実と照合しつつ自分の頭で考え構築した見識や理論を、自らの足で支える気概と行動を以って、初めて周囲から認められるものだと思う。
端から既存の学問や書物に逃げ込み、それらをシェルター代わりに乱用する不届き者は、己の不明を恥じるべきだろう