うずらのブログ

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フェイクメディアの終焉

トランプ米大統領が“最も腐敗し、偏見に満ちた主要メディア”を選ぶ「フェイクニュース賞」を見事に受賞したのは、米紙ニューヨーク・タイムズに掲載されたポール・クルーグマン氏のコラムだった。

さて、フェイクぶりではアメリカに引けを取らぬ我が国のメディアだが、その総本山たる新聞業界が経営危機に直面している。

『「新聞崩壊」はたった一年でこんなに進んでしまった~このままでは経営維持できないレベルだ』(1/10 磯山友幸/経済ジャーナリスト)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54095

「新聞の凋落が2017年も止まらなかった。日本新聞協会がまとめた2017年10月現在の新聞の発行部数合計(朝夕刊セットは1部と数える)は4212万8189部と、1年前に比べて115万部減少した。
2007年は5202万8671部だったので、10年で約1000万部減ったことになる。最大の発行部数を誇る読売新聞1紙がまるまる消えた計算になる。
新聞発行部数のピークは1997年の5376万5000部で、2000年以降は前年を上回ったことがなく、2008年あたりから減少率が大きくなっている。(略)」

新聞発行部数の減少に歯止めが掛からない。
磯山氏のコラムによると、発行部数のピークは1997年で、2000年以降は一貫して対前年比マイナスが続いているそうだ。

新聞の命運が、橋本行革により日本凋落の起点となった1997年にピークを迎え、小泉バカ政権による構造改悪騒動が始まった2001年辺りから漸減地獄の泥沼に嵌まり込んだのは、彼らにとって強烈な皮肉だと言える。

新聞社を筆頭とするバカマスコミどもが公共事業叩きや歳出カットに明け暮れた20年が、長期デフレ不況を常態化させて日本人の所得を大幅に減らし、巡り巡って、当の新聞社の屋台骨を揺るがしている。

“財出を削れ、社保もカットしろ、グローバル化だ、日本人の給料を中国人並みに減らせ”とさんざん世論を煽り立ててきた挙句に、自分たちの食い扶持を減らしてしまったのだから、いい笑い種だ。

我が国の人口は減少に転じているが、核家族化や一人暮らし層の増加もあり、世帯数は昭和45年辺りから右肩上がりに伸びており、2015年の総世帯数は5,332万世帯と、2000年の4,678万世帯と比べて14%近くも増えている。

本来なら、世帯数の伸びは新聞社にとってビジネス拡大に寄与するはずだが、上記コラムのとおり、2007年→2017年の10年間に19.1%も部数を減らしてしまったのだから、無能の極みと罵られても致し方あるまい。

新聞を取らなくなった理由としては、
・テレビやインターネットなど他の情報(源)で十分だから…74.5%
・(そもそも)新聞を取っていない…41.5%
・新聞は高い・お金がかかる…29.2%
などが挙げられる。(http://www.garbagenews.net/archives/2238523.html

端的に言えば、所得が減り続ける中で毎月3,000円(朝刊)以上もの出費に抵抗感があり、わざわざおカネを支払う価値も見いだせないと考える家計が増え続けているということだろう。

これは大変良い傾向であり、このまま歯の抜けるように購読者が減り続け、大手紙から順に倒産の憂き目に遭うことを願ってやまない。

多くの国民がネットニュースで十分と答えているのは、新聞社による押しつけがましい論評や偏向報道を嫌い、余計な加工が施されず鮮度の高い一次ソース発の情報を求めているからに他ならない。

世間知らずの論説委員が書いた偉そうな社説や、社会経験の乏しいデスク風情が脚色したニュースになどカネを払う価値がないと思われているのだ。

日本新聞協会加盟の新聞社は全国に98社あるそうだが、各県1社に全国ニュースをカバーする通信社が1社あれば十分で、フェイクニュースを撒き散らすだけの“公害新聞社”は消滅すべきだ。

また、新聞の紙面構成は、各社とも一様に、一面→政治面→国際面→経済面→株式欄→文化欄→スポーツ欄→地域欄→お悔やみ欄→社会欄→テレビ欄といった具合に統一されており、TVの番組構成も、TVショッピング→朝のニュース→ワイドショー→昼のくだらない番組→ドラマの再放送→夕方の情報番組→夜のくだらない番組→ドラマ→夜のニュース→深夜のくだらない番組→テレビショッピングと、同じようなプログラムが横並びでタレ流されている。

バカマスコミどもは、外に向かって「護送船団方式はもう通用しない」、「業界慣習による悪しき横並びを糺せ」と偉そうに批判するくせに、自分たちは横並びの護送船団体制を決して崩そうとはしない。

報道という特権に安住し、カルテル紛いの悪しき談合を繰り返す報道機関を厳しい世間の風に当てるため、一つの提案をしたい。
それは広告掲載媒体に対する掲載責任の厳格化と厳罰化だ。

新聞等の広告を見て購入した商品の性能や内容が虚偽であったため購入者が損害を受けた場合に、広告媒体である新聞社や出版社、広告代理店などが購入者に対して法的な責任を負うか、という問題は非常に曖昧で、パチンコ攻略法を載せた雑誌に尊大賠償命令が下った例はあるものの、大和都市管財抵当証券商法に関する新聞広告、ジー・オー・グループの詐欺商法のテレビCM、エンジェルファンド投資詐欺事件の雑誌広告、平成電電の出資者募集の新聞広告に関する事件などの大型案件では、新聞屋TVなどの責任が否定されている。
http://stuvwxyz.cocolog-nifty.com/blog/KOUKOKU100823.html

新聞は、社会の木鐸を自負する以上、記事と並列で掲載される商品・サービスなどの広告の品質保証にも相応の責任を負うべきであり、広告対象物の品質に関する広告媒体側の掲載責任と賠償責任を厳しく定めた法律の制定が必要だ。

日経新聞ですら紙面1ページ(A15段)の全面面広告料金は2,040万円もするが、これほど高額な料金をふんだくっておきながら、形だけの審査で社会的責任を免れようとするのは、あまりにも厚かましい。

しかも、新聞広告をよく見ると、一面や政治面といった目立つ場所に、怪しい新興宗教や精力剤、根拠のない健康食品、インチキ臭いスピリテュアル本の広告などが堂々と掲載されているが、クオリティペーパーを気取る言論媒体に相応しい内容だと自信をもって言えるのか?

時代遅れのフェイクニュース乱造誌の命脈は、単純計算であと40年ほどと推計されるが、一年でも早くこの世から消えても構わないと思っている。