うずらのブログ

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天災の人災化は不幸しか生まない

『私たち19遺族は本当のことを知りたいだけだ~大川小はなぜ51分間も校庭に留まらせたのか』(12/12 東洋経済オンライン)
http://toyokeizai.net/articles/-/200781

「2011年3月11日に発生した東日本大震災の大津波。当時校庭にいたとされる78人の児童のうち、70人の児童がここで亡くなり、4人の児童が今も行方不明のままだ。11人いた教職員も10人が命を落とした。(略)
児童23人の19遺族は、石巻市宮城県を相手に真相究明のための訴えを起こした。「金が欲しいのか」と心ない声にさらされることもあった。しかし、現場であの日何が起きていたのかが明らかになるまで自分たちは闘う、親たちの決意は固かった。
仙台地裁は昨年10月、教員らは津波の襲来を約7分前までに予見できたと認定し、学校側の過失を認めた。現在、仙台高裁で控訴審を争っている。(略)」

6年前に東北から関東地方太平洋岸を襲った東日本大震災は、1万8千人を超す死者・行方不明者を出す大惨事となり、多くの国民の心身に深い傷を残したが、何より残念なのは、悪夢のような大災害に遭い生死を分けた者同士による事後のいがみ合いが絶えないことだ。
いや、“いがみ合い”という表現は正確性に欠ける。
むしろ、不幸にして家族や親族の死に見舞われた者が、生き残った側を一方的に責め、罵倒する構図という方が正確だろう。

大川小で起きた悲劇を巡る裁判では、
「なぜ、51分もの間、子どもたちを校庭にとどめたのか。なぜ、すぐ目の前にある裏山への避難がなされなかったのか。なぜ、「山へ逃げっぺ」と不安げに訴えた子どもの声は教師たちに届かなかったのか(※上記コラムより抜粋)」
と、災害現場における教師の対応が強い非難に晒され、仙台地裁では教師側の過失を認める結果となった。

原告たちは、51分間も何をやっていたのかと教師の対応を責めるが、逆に言うと、地震発生後に何も起きなかった時間が50分間もあったがゆえに、津波の襲来を想像できなかったと言えないか。
北海道南西沖地震の際は、地震発生後10分ほどで津波が到達したと言われ、一般的に津波襲来は30分以内が目安と説明されることも多いから、50分という長すぎる時間が、逆に津波は来ないかもという判断をもたらした可能性も否定できない。

悲劇の現場となった大川小は、石巻市釜谷地区の北上川河口から約4㌔の川沿いに位置し、河口から十分に離れていたこともあってか、石巻市ハザードマップでも浸水地域から外れ、こともあろうか避難場所に指定されていた。

災害が起きた後であれこれ文句をつけるのはたやすいことだが、4㌔といえば結構な距離で、東京湾でいえば永代橋から浅草やスカイツリーあたりの距離感に該当する。
東京湾岸で地震が起きたとして、浅草の仲見世見物をしている観光客のうち、津波の襲来に怯える者がいったい何人いるだろうか?

大川小とて同じ事で、いくら近くを北上川が流れているとはいえ、津波が4㌔以上も川を遡上して襲ってくるとは想像できなかっただろう。
津波といえば海から来るものであり、河川を何㌔も遡り襲ってくるなんて、誰が想像し得ただろうか。

事実、被害のあった石巻市釜谷地区の住民の多くは、「ここまで来るとは誰も思わなかった」。と口を揃えて証言しており、同市河北総合支所によると、防災無線の避難呼びかけは一度きりしかなかったそうだ。

つまり、一般住民の多くが、まさかここまで津波が来ることはないと判断していたのであって、大川小の教師過失の有無を問うなら、こうした周辺地域の常識を基準に判断すべきだろう。

また、中央公論2011年8月号「なぜ大川小学校だけが大惨事となったのか」の記事でも、大川小の児童の父親から、“大川小のケースは「あくまでも天災」だ”という証言とともに、「釜谷は300年以上、津波が来ていなかったと言われた地区で、50年前のチリ地震津波でも被害はなかった。津波への警戒心は薄く、実際に地元住民も多数亡くなっているんです。あの裏山は急斜面で、低学年の子では登れないと思います。私も息子も、たまたま助かっただけです。先生も死なせたくはなかったはずです。昔からの顔見知りばかりの集落の保護者の間に、悲しい温度差ができてしまったのは本当に残念です」とのコメントがあり、大川小の悲劇を人災化したがる風潮に一石を投じている。

日常生活から一瞬にして猛威を振るう大天災の眼前に引き出された者に冷静な行動を期待するのは、あまりにも酷だろう。

学校は安全な場所、子供の命を守る場所というきれいごとを押し付けるのは勝手だが、先生とて火災訓練ぐらいはしているだろうが、防災の専門家ではないのだから、想像を絶する大津波を想定した避難訓練などしていなかったはずだ。

原告側の遺族たちは、「本当のことが知りたい。この悲劇を繰り返さないために」と強調するが、いくら学校側を責めても、“突然の大地震に動揺し我を失い正常な行動をとれなかった”という回答しか返ってこないだろう。

他の小学校ではきちんと避難したところも多いのに、なぜ、大川小だけが逃げ遅れたのかと非難する声もあるが、津波による災害の大きさは地形や建造物によりまちまちであり、想像を超えた不幸がたまたま重なった結果としか言えないし、他の地域においても一部の地区に被害が集中した例がいくらでもある。

大川小の悲劇を経て生存した教師たちは、かわいい生徒たちを亡くした悲しみと遺族に対する自責の念に苛まれ、いまも重い十字架を背負い続け、呼吸すらまともにできぬ毎日を送っていることだろう。

本来なら、不幸にして愛する我が子を亡くした遺族とともに、子供たちの命を奪った震災を憎み、互いに心の傷を癒し合うべき両者が法廷で対峙せねばならないのは、天国にいる子供たちにとって最大の不幸なのではないか。

突然襲ってきた天災や大災害を前に、一般人の正常能力を超える対応や判断を期待するのは過剰な要求でしかない。
不幸な結果を未来の教訓として活かすためにも、後講釈で高いハードルを課し、互いの過失を罵り合うのではなく、起こった事実を淡々と積み上げ、それに対する具体的な対応策を淡々と練り上げることこそが大切なのだ。