うずらのブログ

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終身雇用の破壊は、付加価値や生産性を低下させる

『働き方改革、目先の残業対策に走るのは間違いだ~生産性の向上は付加価値の拡大で実現すべき~』(8/1 JBPRESS加谷珪一)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/50650
「働き方改革がクローズアップされてきたことから、大企業を中心に長時間残業を抑制する動きが顕著となっている。日本人が働き過ぎであるという問題は以前から指摘されてきたことだが、これまでのところ、目立った成果を上げることはできなかった。その点からすると、今回の残業抑制に対する各社の本気度は高く、これまでにない成果が得られる可能性も出てきたといってよいだろう。
一方で、各社の取り組みの中には、本末転倒なケースも散見される。正式な統計がないのではっきりした事は分からないが、数字上、残業を抑制するため、派遣社員フリーランスに仕事を丸投げするケースが大企業を中心に増えているという。(略)
働き方改革において重要なことは、社会全体の総労働時間を減らすことである。社会全体の労働時間を減らすためには、業務全体のムダを省くことが必須となる。特定の労働者の労働時間を減らしても、他の労働者の時間が増えてしまっては、社会全体での生産性は向上しない。(略)」

上記コラムの“働き方改革において重要なことは社会全体の総労働時間を減らすこと”という加谷氏の指摘には同意する。
氏が例に挙げたように、正社員の残業抑制を取り繕うために派遣社員や外注先へシワ寄せが行くようでは、働き方改革は掛け声倒れに終わってしまう。

また、マクロレベルでの労働時間削減には業務全体のムダを省くことが重要との指摘にも首肯できる。
我が国の労働現場、特に事務系の仕事にはムダな社内調整や決裁手続き、資料作成等が山積しており、各社や各現場でそうしたムダを省き、現場レベルへの決裁権限委譲を進めるだけで、全体の作業量の30%くらいは忽ち効率化できると思う。

と、ここまでの導入部分は良いのだが、このコラム、中盤以降、結論があらぬ方向へ脱線してしまう。

コラム後半から加谷氏の主張を抜き出してみると、次のような塩梅だ。

「(略)実は生産性を決めるパラメーターとしては、労働時間要因よりも付加価値要因の方が圧倒的に寄与度が大きい。生産性を向上させたいのであれば、本来は、時間短縮ではなく付加価値拡大に力を入れる方が合理的なのだ。
 ではなぜ、日本社会はもっとも効果的に生産性を向上できる付加価値要因に目を向けないのだろうか。おそらくその理由は、日本の労働市場が抱えるある課題について、無意識的に議論を避けようとしているからである。その課題とは、終身雇用と長時間残業(および強制的な転勤)との密接な関係性についてである。(略)
日本企業における、滅私奉公的な長時間残業や、個人の生活を無視した強制的な転勤は、すべて終身雇用を維持するための手段として機能していたというのが現実なのである。(略)
生産性を向上させたいのであれば、諸外国のように、付加価値の方を高めるべきだと考えている。付加価値の高いビジネスに取り組めば、必然的に労働時間は短くなり、働き方改革はごく自然に実現できるはずだ。」

加谷氏の主張を要約すると、次のようになろう。
①日本企業が付加価値向上に踏み込もうとしないのは、「終身雇用・長時間残業・転勤辞令」といった課題を是正する気が無いからだ。
②終身雇用を守ろうとする限り、滅私奉公的な長時間残業や、個人の生活を無視した強制的な転勤は避けれない。
③生産性向上には、長時間労働よりも付加価値向上を目指すべき。付加価値向上こそ、労働時間削減に役立つ。

氏は、よほど終身雇用がお気に召さないのか、終身雇用への固執こそが無理な労働体系を生む元凶だと妙に故事付けたがっているが、そんなものは根も葉もない詭弁や妄想の類だ。

彼は、終身雇用と長時間、転勤をトリレンマの関係に置き、長時間残業や転勤を理不尽だと思うなら終身雇用制度に見切りをつけるしかないかのように騙っているが、無論のこと、これら三者間に明確な因果関係などない。

長時間残業が無くならないのは、
団塊周辺世代の引退と、これまでの採用抑制による人口動態的な労働人口不足
長時間労働を当然視し、美徳とする日本人のバカげた労働観
③不況下で業務上の成果を出せぬ穴埋めに長時間労働という対価を支払おうとする労働慣行
などが原因であり、終身雇用制云々はまったく関係ない。

そもそも、この世の中には、終身雇用制を採りながら定時退社や転勤の無い職場なんて掃いて棄てるほどあり、加谷氏の意見は机上で生まれた妄想でしかない。

また、彼は、コラムの中で、
「企業は時代や市場の変化に合わせて古い事業を捨て、新しい事業を開拓していかなければならない。この時、新しい事業を行うたびに新規雇用を増やしていては、企業はたちまち余剰人員を抱えてしまうことになる。(略)人手が足りない時に、安易に人を増やしてしまうと、不景気の時に人件費が経営を圧迫してしまう」
と述べ、終身雇用制の下では柔軟な人員配置ができないから、最小限の人員を維持したうえで社員に無理な働き方を強いるしかない(=終身雇用制を廃し雇用を流動化させろ‼)、と主張している。

だが、こうした意見は、問題の本質を意図的にズラし、単に終身雇用制の破壊を目的とする“低レベルの議論”に過ぎない。

普通に考えれば、企業が余剰人員の敏感にならざるを得ないのは終身雇用制のせいではなく、単に不況の長期化による将来見通しの悪化のせいに他ならない。

加谷氏の終身雇用悪玉論は、将来に亘る不況の固定化や永続化を前提に騙られており、経済のパイが拡大しづらい環境下でのサバイバル策としての雇用流動化(終身雇用制の廃止)を勧めているが、質の悪い詭弁の化けの皮はすぐに剥がれてしまうものだ。

彼は、「生産性を向上させたいのであれば、諸外国のように付加価値を高めるべき」なんて偉そうに語っているが、不況を前提にした議論をしておきながら、付加価値を高めるための原資や源泉をどこから調達するつもりなのか?

彼のような経済素人は、夢を語り気合を入れれば、“付加価値や生産性がポンッと産まれる”と勘違いしているようだが、付加価値も、生産性も、供給に対する実需の量的&質的拡大無くしてこの世に産み出されることはない。

そして、その実需の源泉になるのは、人々の所得に他ならない。

終身雇用制を足蹴にし、雇用や所得を不安定化させておきながら、実需が増えるはずがないし、付加価値や生産性が高まるはずもない。

加谷氏のような観念論者は、世の中の仕組みをもっと勉強すべきだろう。