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うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

高校生からもバカにされる「本物の痴識」

現代ほど人々にとって、経済学が軽く頼りない存在に映る時代はない。

先進各国は、産業空洞化や雇用条件の悪化による内需縮小に端を発する低成長に喘ぎ、著しく勃興した新興諸国も、生産物の買い手である先進国の内需低迷の煽りを受け、一時の勢いは完全に削がれている。

こうした低迷期に、経済学はいかなる答を明示するのか興味深いが、世界の貿易量の伸びが明らかに鈍化し0%に近づきつつあるのに、主流派経済学派の連中は、十年一日の如く「構造改革・規制改革・輸出振興」の三バカ論を主軸とする提言を続けている。

緊縮脳に侵された大多数の国民は、経済学者の三バカ論に易々と誑かされてきたが、不景気が長期化するにつれ、経済対策や社会保障政策の強化を求める本音が、ついつい、世論調査の結果なんかに出てきてしまう。

国民は、経済や通貨の本質などまったく理解する気もないから、“緊縮財政を崇めつつ、自分の生活に不都合が生じると政府に景気対策を求める”という矛盾だらけの身勝手な行動を取りがちだ。

そうかと言って、経済学者や論者たちが確固たる信念を持って持説を堅守しているわけでもない。

彼らの言説や主張は、世論動向に合わせて意外とコロコロ変わっている。

筆者は、この手の柔軟性の高すぎる(=信頼性に欠ける)学者や論者のことを、外部環境に応じて簡単に立場を変える「ポジショニング派」と呼んでいる。

ケインズ派→緊縮財政派へ見事に変身した吉川洋氏、構造改革派でありながら都合が悪くなると財政政策の有効性に触れる榊原英資氏・竹中平蔵氏・山崎元氏、構造改革派→日本経済衰退派に落ちぶれた水野和夫氏、金融政策万能派のくせに時々財政政策に頼ろうとするリフレ派の連中等々、ポジショニング派の蔑称を架すべき論者は大勢いる。

彼らに共通するのは、持説の論拠が怪しくなったり、実体経済への処方箋を書けなくなったりすると、前言を翻して財政政策に甘えようとする点である。
そのくせ、苦境を脱するや、また直ぐに財政政策を批判し始めるのが悪い癖だ。

先日も、とある経済系ブログを眺めていると、性質の悪いポジショニング派がいた。

(教科書読め‼でお馴染みの)彼は、財政政策嫌いを公言し、
『え?「財政出動しろ!国債発行しろ!公共投資しろ!そしてGDP増やせ」ですか????
そんな「変動相場制」で、財政政策など、効果がないことはISーLMの簡単なマンデル=フレミングモデルさえ知っていれば、財政政策は無効なことぐらい、一目瞭然です』
と財政政策の無効性を強く主張していたにもかかわらず、別の日のエントリー記事では、
『(不況期には)総需要管理政策で、「金融政策」で、企業投資を、「公共投資」で政府支出を増やせ!』
と真逆の主張をしている。

確か、MF理論がある限り、変動相場制の下では財政政策は無効のはずだが??

さらに、彼は、『日本の底力をフルに発揮する、潜在成長率(実質GDP成長率)は、0.5~0.8%程度しかありません』、『日本は、潜在成長率「1%程度の成長」しかできません。GDPギャップは限りなくゼロです』、『アベノミクス批判する人は、日本が2%、3%、4%、どんどん成長できるとでも、思っているのですか?』
と、日本経済の成長力を強く否定しておきながら、別のエントリーでは、
『(生産性や経済成長率に)限界がある? GDPの高さ(先進国と後進国)の違いは、「生産性」の違いです。「生産性」を引き上げるのに、「限界がある」????? 
そんなもの、「絶対」にありません。
 明大飯田先生によれば、人間、寝ていても、つまり、1年たてば、1%程度、生産性が上がっているそうです』
と、“黙って寝ていても1%くらいは成長できる”と力説している。

確か、日本の潜在成長率は1%未満だったはずだが??

性根がいい加減な論者や持説に自信のない論者ほど、コロコロ言説を変えざるをえない。
それほど、現実は学問に対して厳しいものなのだ。

件のエセ教科書学派の信者は、
GDP=Yを増やす魔法のような方法があれば、だれも経済学なんてやりません。そんな答えがあれば、経済学でウンウン、考えることは不要だからです』
と、早くも、厳しい現実から逃亡を図ろうとしている。

しかし、GDP(=国民にとって富の源泉)を増やす処方箋すら書けぬ経済学など、まったく存在価値がない。
経済学が不況を解決できぬなら、そもそも経済論を口にする資格もないし、すべきでもなかろう。

そんな役立たずは、自室に籠って教科書と遊んでいればよい。