うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

日銀券に負債性など無い

国民の誰もが何よりも大好きなものは、何か?

多分それは、「お金(紙幣)」だろう。

 

これを欲しがらぬ者はいないし、世の中の経済活動は、一義的には、この『お金』を得るためになされていると言っても過言ではあるまい。

 

むろん、「お金」という存在の向こう側には、更に、個々人が欲するモノやサービスという存在があるのだが、それらは、個人の立場や嗜好により千差万別だから、この世で唯一、万物との交換権を有する『お金』こそ、経済活動の最大の果実と言えよう。

 

お金(紙幣や貨幣)の定義について、筆者は、ここでくどくど語る気はない。

ただ、「国内に存在するあらゆるモノやサービスとの間に絶対的な交換権を有する存在であり、実体経済の流通や決済を円滑化させ、国富たる供給力に需要という対価を与える原資にもなり、供給力の永続的な維持向上のために不可欠な存在である」と理解している。

 

しかし、世の中には、便利な「お金」に足枷を付けたがり、“「お金」に債務性があるのか”と要らぬ疑問を持つ人間が結構いるものだ。

 

『日銀券は日銀の債務か』(日経新聞「大機小機」12/9 執筆者:山河)

 

「日銀は、発行した日銀券(お札)を負債として貸借対照表(バランスシート)に計上している。

日銀券は本当に日銀の負債なのか否かを検証してみよう。

 日本が日清戦争の賠償金として得た金・外貨を使って金本位制を導入したのが1897年。

このときから第1次世界大戦勃発で金本位制を停止した1914年まで、日銀は日銀券と金を交換(兌換=だかん)する義務を負い、1円当たり0.75グラムの金と交換していた。

この時期、日銀券は明白に日銀の負債であった。

 しかしその後は、30年初~31年末の金本位制への一時的な復帰(いわゆる金解禁)を除けば、現在まで日銀は銀行券と金との交換義務を負っていない。

このため個人が日銀券を日銀の窓口に持っていったとしても、せいぜい傷んだお札を新しいお札に交換してもらえる程度で、日銀券は日銀の負債とは言えない。

 

では日銀券には負債としての性格がまったくないのだろうか。

例えば「日銀には負債性がないのだから、政府の負債である国債を日銀が買い取って、すべて日銀券に置き換えてしまえば、巨額の政府債務は返済する必要がなくなる」と論ずる人がいる。

本当なのか。

 

 日銀券による国債の置き換えは、国債買い入れで膨大に膨らんだ日銀券及び日銀券と等価な民間金融機関が保有する日銀預金(日銀当座預金)を日銀が「将来にわたり回収しないし、日銀預金には金利を払わない」と決定すれば実現する。

物価が大幅に上昇しても、日銀は決して金融引き締めを行わないと決めたのと同じだ。

 日本経済がデフレから脱却し、安定的に1~2%程度の賃金・物価の上昇を達成できた時点で日銀がゼロ金利を解除できないと物価の上昇は加速していく。

ゼロに近い金利でお金を借りて劣化しない不動産や貴金属などに投資しておけば将来利益が出るので、投機が拡大するからだ。

 物価の上昇は、それによる日銀券への取引需要増加が、発行された日銀券に見合うときまで継続するだろう。

日銀券の取引需要は大ざっぱに言って国内総生産(GDP)の1割弱と見込まれるので、物価が10倍以上に上昇するまでインフレは止まらない。

 日銀が物価安定を目標とする限り、日銀券には負債性が存在する。」

 

なにせ、緊縮教の総本山たる日経のコラムだから、結論が「日銀券に負債性あり」となるのは、予想がつく。

 

しかし、執筆者の山河氏は、文中で、日本が金本位制を排して以降、日銀券に負債性が無くなった事実を認めている。

氏が記した「個人が日銀券を日銀の窓口に持っていったとしても、せいぜい傷んだお札を新しいお札に交換してもらえる程度で、日銀券は日銀の負債とは言えない」という部分が、まさに、日銀券に負債性が存在しない事実の動かぬ証左であり、これ以上に的確な説明はない。

 

日銀券が、日銀のバランスシート上の「負債」の部に計上されているのを盾に、日銀券に債務性や負債性があると述べる勉強不足の論者もいるが、奇しくも、“日銀券債務派”の山河氏も認めざるを得ないように、日銀券には両替の義務(これすら本当にあるのかどうか疑わしいが…)はあれど、債務性や負債性なんてない。

 

ネットで検索したところ、「負債」の定義は、『他から金銭や物資を借りること。その借りたもの。また、債務。』で、「債務」は『特定の人に対して金銭を払ったり物を渡したりすべき法律上の義務。多く、借金を返すべき義務。』とされている。

 

いまどき、無銭飲食の負債を皿洗いのバイト(=労働の供与)で返すような変わり者もいないだろうから、債権・債務や資産・負債は、すべて「お金」を通じて決済・清算されるのが常である。

 

つまり、債務性とか負債性とかいう言葉を使う際に、それらは「お金(=金額)」という単位で具現化され、それらを最終的に清算する手段もまた「お金」によるのだ。

 

よって、「お金(紙幣)」の発行元たる日銀に負債など存在しないし、日銀券に債務性や負債性が課せられるはずもない。

なにせ、債務や負債自体が「お金」なんだから…

 

山河氏は、日銀の異次元緩和政策により、「日本経済がデフレから脱却し、安定的に1~2%程度の賃金・物価の上昇を達成できた時点で日銀がゼロ金利を解除できないと物価の上昇は加速していく」と述べた挙句に、「日銀券の取引需要は大ざっぱに言って国内総生産(GDP)の1割弱と見込まれるので、物価が10倍以上に上昇するまでインフレは止まらない。

日銀が物価安定を目標とする限り、日銀券には負債性が存在する。」なんて荒唐無稽な主張をしている。

 

そもそも、これだけ長期間ゼロ金利を続けておきながら、いまだに、たったの2%という低レベルの物価目標すら達成できていないのに、ゼロ金利と加速的な物価上昇とを関連付けて論じること自体、まったく説得力がない。

 

金利と物価に明確な相関性が生まれるのは、ディマンド・プル型の好景気が十二分に過熱してからの話であり、そもそも、需要不足型不況期には、金利をいくら弄っても、物価に大した影響はない。

 

また、日銀券の取引需要から、10倍以上ものインフレを推計するのは、あまりにも根拠不明かつ杜撰なやり方で、それなら、積極的な財政刺激策によって日銀券の取引需要を大幅に増やし、GDPに占める相対的割合を落とせば、潜在的なインフレ率の上限が下がるという結論になるのではないか。

(=大規模な財政政策を打つことにより、将来的な高インフレを未然に予防できる)

 

氏は、財政政策を忌み嫌うあまり、無理矢理、日銀券に負債性を負わせようと、愚にもつかないヘボ理屈を並べている。

 

しかし、日銀の異次元緩和を通じて数百兆円もの「日銀券と国債との置き換え」が行われてきたが、物価は、“加速的”どころか2%程度の低いハードルすら越えられないではないか。

どこぞのエセ教科書学派(実質1名)によると、「5兆円も財政支出をすれば、たちまちインフレになる」そうだが、何処の国の話をしているのだろうか?

 

また、氏は、「日銀が物価安定を目標とする限り、日銀券には負債性が存在する。」と論点をすり替えようとするが、「負債」の意味を解さぬ屁理屈でしかない。

 

氏は、「物価安定」を「低成長」や「未成長」と同義で用いているようだが、それこそ、国富を損なう大きな負債につながることが解っていない。

 

低成長は、成長を続ける他国との相対的な競争に敗れ、買い負けや輸入物価高騰による悪性インフレにつながり、研究開発投資の劣化による技術力の低下や比較優位産業の喪失に直結する。

つまり、日本の最大の強みである『供給力=国富』をドブに捨てることになる。

 

まあ、リフレ派やエセ教科書学派の連中によると、「日銀の金融政策の目的は、物価目標(物価安定)ではなく、雇用改善」だそうで、日銀は物価安定を目標にはしていないようだから、どうやら、日銀の負債性など心配する必要もなさそうだが…