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うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

IPhoneですべてを騙るシロウト論

「関税がなく、何の規制も存在しない完全なるフリートレードの世界」、そんな妄想に年中浸りきっている“TPP信者”や“野放図な自由貿易信者”の発想は極めて幼稚だ。

彼らは、国境のない世界を夢見る青臭い中学生みたいなもので、行き過ぎた自由貿易論の愚を指摘されると、すぐに逆ギレし、“鎖国か、完全なるフリートレードか”という幼稚な二者択一論を振りかざす。

我が国は、ここ10年間の輸出入額が、それぞれ毎年50~80兆円にも達する世界に冠たる貿易大国であり、すでに十分すぎるほどの“自由貿易国家”と言ってよい。

だが、フリートレード教徒としては、いつまでも“日本=時代遅れの鎖国国家”でいてもらわないと困るため、いかなる統計数値をも認めようとはせず、“規制緩和だ、市場開放だ”とバカ騒ぎしている。

フリートレード教徒の頼みの綱は牛肉・オレンジの自由化とIPhoneで、持説を主張する際に、決まってこれらを持ち出してくる。

だが、1991年の牛肉・オレンジ自由化により、国内の肉牛生産農家やミカン栽培農家の数は激減し、国民一人当たりの牛肉やミカン類の消費量も減少の一途を辿っているなど、自由化の恩恵どころか「被害と損害しか出ていない」というのが正解だ。

彼らは、案外、お上りさん気質の田舎者だから、“世界企業”とか“グローバル・サプライチェーン”みないた言葉にコロッと騙され、無条件に憧憬を抱きがちだ。

IPhoneのように、サプライチェーンが世界20カ国以上にも及ぶ製品こそが、自由貿易の産んだ金の玉子だと信じて疑わず、“これぞ自由貿易の真髄、食糧だって安い国からどんどん買えばいいじゃん”と軽いノリで判断するから情けない。

不要不急の電子機器のサプライチェーンの話と、国民の生命や健康に直結するだでなく、幅広い裾野の関連産業を抱える食糧生産の話を一緒くたにして論じるべきではないし、IPhoneサプライチェーンが善だから、食糧品をすべて外注すべきという結論にはならない。

IPhoneのグローバル・サプライチェーン一つを取っても、アップル社目線なら是とすべき製造形態なのかもしれないが、よりマクロ的な視点、例えば、アップル社を抱える国や地方政府レベルの目線で判断すると、国外に散らばっているサプライチェーンを国内に集約し内製化を進める方が、雇用や国民所得に与えるプラスの影響は遥かに大きくなる。

グローバル・サプライチェーンなんて気取っているが、そんなものは、あくまで、アップル社という一企業の都合に過ぎず、国家というマクロ単位でモノを考えると、サプライチェーンの環をできるだけ極小化して自国内に収める方が国益に適うだろう。

グローバル・サプライチェーンと言えば、自動車産業も同じだが、自動車産業は、むしろ、サプライヤーの現地調達率向上を図り、野放図なサプライチェーンの拡大を見直す動きをしている。

部品の安定調達、短納期化、品質維持、カントリーリスクの低減などを目指しており、フリートレード教徒が抱く時代遅れの拡大論とは真逆の発想で、サプライチェーンの縮小化や集約化を図っている。

農林水産業GDPは5.6兆円程度とされ、その多寡の如何にかかわらず、それだけの産業規模が現に存在しているという事実は動かしがたい。

6兆円近くの経済規模を誇る巨大な産業を無理に縮小させるメリットが、一体どこにあるというのか?

むしろ、国民の健康志向や安全志向にマッチした農林水産品の開発への取組みを支援するなど、産業振興や技術開発により高付加価値化や産業としての拡大を図るべきで、そういった国家を挙げての取組みが、国内の関連産業へプラスの波及効果をもたらし、経済の国内循環をより高めることにつながるのだ。

日本が得意とする農林水産業を、つまらぬフリートレードの生贄に仕立てる必要などない。

フリートレード教徒の連中は、言うに事欠き、“農業を過度に保護すれば、農業者をいつまでも農奴に縛り付けることになり、より生産性が高く8時間労働や週休二日といった“今どき当たり前”の産業に向かうことを妨害してしまう“などとバカげた寝言を吐いている。

彼らは、“より生産性の高い(=高収入)の仕事は何なのか?”について、何も具体的に語れないし、「サラリーマン=8時間労働+週休二日」というあり得ないシロウト論を騙っている。

いまどきのホワイトカラー層が直面しているのは、ブラック企業が横行し、長時間労働が常態化する過酷な職場環境であり、正直に言って、3K職場と揶揄される農林水産業の方が遥かに恵まれている。

確かに、統計上のサラリーマンの労働時間は、畑作農家などより低い数値が出ているが、そんな数値など単なる建前で、拘束時間の実態は、軽くその1.5~2倍にも達っしている。

農林漁業者のように、自分の裁量で計画を立てることができ、やればやるだけ実になる(=努力が収入に直結する)性格の仕事は、サラリーマンよりも、遥かに有意義だろう。

最後に、フリートレード教徒の「貿易というのは取引であって,モノとモノの交換。より多くのモノを手に入れるのが富であり,カネが富ではない」という戯れ言にも触れておく。

“貿易がモノとモノとの交換”、“カネではなく、モノを手に入れるのが富”という見方は、ハズレとまでは言えないまでも正確ではない。

マクロ単位で見れば、モノの輸出→資金決済→モノの輸入・・・という構図が連続し、真ん中を端折れば、モノとモノとの交換と言えなくもないが、貿易に携わる企業や個人が究極的に求めるのは、残念ながら「カネ」である。

カネを入手する目的やカネの存在意義は、最終的にはモノやサービスの消費に行き着くはずだが、現実は単純ではない。

特に、デフレ不況の真っただ中にいる企業や個人は、モノやサービスの購入権たる“カネ”を至高なものと捉え、カネの貯蔵意欲が増大する。

カネが貯蓄に向かい、消費(=モノを手に入れる)に向かわぬため需要が低下し、深刻な不況を招いているのだ。

フリートレード論を振りかざし、野放図な自由貿易が蔓延すると、海外との価格競争に敗れた国内産業が低迷し、やがて内需の縮小を招き不況が到来する。

「より多くのモノを手に入れるのが富であり,カネが富ではない」なんてのは、不況の世の中には当て嵌まらぬ単なる精神論で、多くの企業や家計は、そもそも、モノを手に入れるためのカネがないのが最大の悩みなのだ。

そんなことも解からぬ青臭い夢想論者に、経済を語る資格などない。