うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

"当たりくじが出ない"と癇癪をおこす幼児性

かれこれ7~8年前のことになるが、筆者が相談を受けたとある素材メーカーの経営者が、「経営成功の極意は成功するまでやり続けることだ」と得意げに語っていたのを覚えている。

その経営者は、ある化学物質を当時の常識レベルの数百分の1のコストで抽出できる技術を独自に開発して大いに注目され、まさに昇り龍のような勢いであったが、事業が軌道に乗りかけた矢先に、工場の暴発事故を繰り返して失脚するという憂き目に遭ってしまった。

ここ数日のイギリスのEU離脱騒動に関連する報道や世論のドタバタぶりを眺めていて、ふと、件の経営者のセリフを思い出した。

『英国民投票の結果は覆せないのか-週末に浮上した数々の疑問点を解消(Bloomberg 6月27日)』(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160627-69876150-bloom_st-bus_all)

記事では、今回の離脱派勝利が世界中に混乱を引き起こしている様子(実際に混乱しているのは、金融市場や株式市場で遊んでいる博徒たちだけだが…)を目の当たりにした英国民から、法的拘束力を有しない国民投票の結果を覆せないのかとの声が多数上がっており、2回目の国民投票を求める嘆願書に署名した市民は少なくとも160万に達した、と報じている。

上記の報道の他にも、離脱派の公約にウソがあったとか、世界中の動揺を見て離脱派が後悔している、中露が接近している、スコットランドの独立の動きがある等々、離脱派を動揺させる意図を含んだ未練がましい報道が繰り返されている。

イギリスのEU残留に強い未練を抱いているのは、なにも英国民ばかりではなく、EU諸国は無論のことアメリカや我が国、EUを主要輸出先とする中国などからも、同様の世論が広がっている。

筆者は、そもそも、大騒ぎし動揺している連中に“イギリスのEU離脱くらいでおたおたするな”と言っておきたい。

イギリスが他国に戦争を仕掛けたのならともかく、今回の結果は、イギリスがEU加盟以前の姿に戻るだけのこと、しかも、イギリスはユーロを使ってもいないのだから、慌てふためいたり悲観したりする方が間違っている。

むしろ、世界中の中低所得者層の雇用と所得を破壊し続けてきた新自由主義という悪夢を瓦解させるきっかけとすべきだが、その悪夢の上で惰眠を貪ってきた連中には、今回の投票結果こそ“悪夢”だったに違いない。

だが、“国民投票という究極の民主主義的手法”を経て出された結論、しかも、世界中のマスコミや政財界、識者の連中が総出で残留派支援キャンペーンを張り、EU離脱はイギリスに深刻な経済的損失や社会保障の瓦解、貿易の停滞をもたらすと脅し続けられた末の結論を、いまさら覆そうというのなら、以後、選挙という手法を捨て、民主主義云々というきれい事を口にするのは止めるべきだ。

マスコミの連中も、日ごろは「民意を無視するな!」、「民意を問え!」と偉そうに主張するくせに、自分の気に入らない民意が示された途端、目の前にある民意に疑いの眼差しを送るようでは社会の木鐸たる資格なんてない。

自らの意に沿う民意が出るまで選挙のやり直しを求めるなんて、当たりくじが出るまでカネに糸目をつけずにくじを引きたいと泣き叫ぶワガママなバカ息子のようなもので、言論人として最低の行為である。

冒頭に紹介した間抜けな経営者のように、“自分に都合の良い結果が出るまで失敗を認めない”というワガママが罷り通るほど世間は甘くない。

仮に、国民投票のやり直しといった事態に陥るとしたら、イギリスは“民主主義の母国”という金看板を即刻返上すべきだ。

また、今回イギリスで行われた国民投票という手法自体に対する批判も根強くある。

国民投票は国民の声を直接、政治の場に届ける「直接民主主義」の代表例だが、トランプ氏のような扇情的政治家に利用されポピュリズムにつながる、などという批判も多い。

要するに、議会制民主主義という政治機構を無視して、YESかNOかの二者択一を迫る国民投票を多用するのはポピュリズムの蔓延を助長するから危険だという主張だ。

確かに、国民投票という大規模かつコストのかかる手法を乱発するのは現実的ではない。

だが、今回の国民投票はキャメロン首相や保守党の公約を経て実施された経緯にあり、いわば、議会制民主主義から派生した産物だと言える。

結局、キャメロン氏が国民投票を選択せざるを得なかったのは、自由と共生というEUの理想(=夢想)と、それがもたらした雇用不安や所得低下、治安の悪化、異民族の浸食に対する畏怖等といった厳しい現実とのギャップを、イギリスだけでなくEU諸国の政治家がまったく埋め切れなかったことに起因している。

こうした事態を招いたことに関して、新自由主義のような毒素の強い政策の弊害を理解できぬほど政治家のレベルが低下していることが主因だと言えるが、それを許容してきた国民の側にもまた大きな責任がある。

そうした混沌とした現状の狭間に生じたのが今回のEU離脱問題であり、不勉強かつ正常な判断を怠ってきた国民自身が自分たちの過去にケリをつける意味でも、国民投票という手法は意義深いものであったと思う。

国民投票という手法に対しては、ポピュリズムを招来するという強い批判がある。

我が国でも、過去に起こった小泉元(バカ)首相や大阪の元中学生知事&市長に対する低レベルな国民の熱狂ぶりを見ると、ポピュリズムのリスクが潜んでいることは想像に難くない。

論者の中には、「政治とは妥協の産物であり、可能性のアートである」というビスマルクの言葉を引き合いに、“国民投票ポピュリズム”と決めつけて批判する者もいるが、政治家がビスマルクの言葉に甘えてグローバリストたちを相手に妥協ばかりを繰り返してきた結果が、現在の惨状を招いていることを肝に銘じるべきだ。

こうしたプロ気取りのバカには、「妥協しかできないくせに、偉そうなことを言うな!」と言っておく。

彼らとて、仮に投票結果が残留派の勝利であったなら、ポピュリズムだとか、議会制民主主義の否定だ、と文句を言うはずがなかっただろうことは想像に難くない。

結果によってコロコロ主張を変えるようでは、卑怯者の誹りを免れまい。

先日のTV番組でも、とあるコメンテーターが、イギリスのEU離脱に危惧を示しながらも、「イギリスは過去に英国病を克服した力があり、今回の危機も乗り越えてくれるだろう」とピントのズレたコメントをしていた。

彼の言う“英国病を克服した”云々は、サッチャー元首相による合理化策を主軸とする新自由主義的政策のことを指しているのだろう。

しかし、筆者は、この行き過ぎた新自由主義という危険な思想、とりわけ、中低所得者層の雇用と所得に永遠のアンカーをぶら下げ続け、“貧困の凝固剤”に成り下がっている悪質な疫病を世界中にばら撒いたことこそが、“真の英国病”だと思っている。