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うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

「国の借金」という免罪符にしがみつく亡者

『国の借金は国民にとって財産? 民進党江田憲司氏の摩訶不思議な財政学。」

(中嶋よしふみ BLOGOS)

http://blogos.com/article/180116/

いまや、“ネット言論界屈指の妄言メーカー”として確固たる地位を築きつつある中嶋よしふみ氏が、またもや珍説を披露してくれた。

民進党代表代行の江田憲司氏が、自身のブログにアップした「目からウロコの財政学講座」という記事で、“日本の借金は問題の無い水準であり、消費税増税も不要だ”と主張したことに対して、カビの生えた財政破綻論を基に強く批判している。

当の江田氏は、エセ政治家ごっこ集団の巣窟たる維新の党に一時期身を寄せて、「身を切る改革」やTPP推進、移民受け入れ、原発廃止、道州制推進などを訴えてきた生粋の新自由主義者であり、彼流の消費増税反対論は、あくまで、身を切る改革を優先させるための方便(=例の「増税の前にやるべきことがある」論)だと理解すべきだろう。

よって、江田氏のブログ記事を含めて、この先の彼の言説を擁護する気も信用することもないが、中嶋氏のように、自分は何の解決策も持ち得ていないくせに機能的財政論を意識的に忌避しようとする愚か者に猛省を促す意味で、反論記事を記しておきたい。

さて、中嶋氏の主張を要約すると次の4点になる。

【1.国債は借金では無く財産である?】

中嶋氏は、江田氏のブログ記事にある『国債は、子や孫たちへの「借金のつけ回し」、ってよく言われますよね。我々世代は将来の世代に借金を残しちゃいけないんだと。でも、ちょっと考えれば、これっておかしいって思いません? あなたが国債を買えば、それは「財産」でしょ。それが相続されれば、国債の満期が来た時、あなたの子や孫が国から元本や利子を貰えるんでしょ。生きている間に満期がくれば、その人(世代)だけで完結し、将来世代へったくれもない。(後略)』の部分を引用して、『なんとも理解しがたい内容だ』と強い疑問を呈している。

詳しくは触れていないが、中嶋氏は、「国債=国の借金=国民の借金」という妄想に囚われて、国民の財産が政府によって強制的に収奪されかねないかのような危惧を抱いているようだ。

国債の購入者にとって、それが相続も可能な財産である”という動かしがたい事実を受け容れようとせずに、ひたすら借金恐怖症に怯える勉強不足な輩は、なにも中嶋氏ばかりではない。

政治家や官僚、マスコミ、財界、識者ばかりか、一般大衆の中でも、むしろ、こちらの方が圧倒的に多数派であり、だからこそ、バブル崩壊以降25年にもわたり緊縮気味の財政運営が放任されてきたのだろう。

【2.国の借金は誰が返すのか?】

国債発行に対して、中嶋氏は、『借金によって得た資金は当然ながらその時点ですぐに使われる。大部分は年金・医療費等の社会保障費に使われる。そして将来、国債の償還(国債の保有者にお金を返す事)をするときには、その時点の税収で賄われる。つまり将来の時点で働いている人から所得税、そして勤務先から法人税などを徴収し、それを返済にあてる』と強弁し、“国債=借金のつけ回し、国の借金=次世代からの前借り”だと批判する。

さらに、『個人がローンを組めるのも、企業が融資を受けられるのも、将来にわたって収入・売り上げがあるからだ。これが国の場合は税収になる。借金が出来る理由は税収があるからだ。当然、返済する能力が無いとみなされれば国債の価値は暴落して金利が上昇し、それ以上の借金も出来なくなる』と捲し立てて、国家の収入は税収しかないと驚くべき珍説を披露している。

仮に、中嶋氏の妄想どおり、国家の収入が税収分しか充てられないとしたら、政府と民間経済との資金循環は税収額とそれと同額の予算執行額との間を行き来するだけに止まるから、実体経済は資金の拘束具を嵌られ、日本経済は円という通貨が導入された明治初期の経済規模のままで永遠の停滞を余儀なくされるに違いない。

何と言っても、政府が借金(=国債発行)をせず、通貨の増発もしないとなれば、そもそも、経済活動に使われる“お金の総量”が増えないのだから、経済のパイが拡大するはずがない

国債は“国の借金”ではなく、政府が便宜上引き受けている債務に過ぎず、裏を返すと、主な貸し手である機関投資家やその貸付原資を拠出する国民や企業の債権である、というのが正確な表現だ。

そして、それが自国通貨建て且つ国内投資家が多数を保有する限り、政府の償還能力や国債の償還金の行方をいちいち気にする必要はない。

なぜなら、政府(国家)には通貨発行権という大権があり、自国通貨建て国債の償還能力を危惧すること自体がムダなことで、円建てで償還された通貨も、円が日本国内でしか流通しない以上、何らかの形で国内に舞い戻ってくるしかないからだ。

そもそも、通貨発行権を有する政府が、わざわざ通貨発行ではなく利子付きの国債を発行する意味を考えてみればよい。

国債は、資金運用に悩む国民や企業に対する政府の支援策であり、そこに付される利子は、平たく言えば、前世代から次世代へのプレゼントだと言える。

中嶋氏は国債が増え続けることにイラついているようだが、まったく要らぬ心配だ。

国債は、永遠に拡大し続けることを義務付けられた経済活動を支えるための燃料や栄養分であり、常に総量を増やしつつ永続的にロールオーバーさせるべき存在なのだ。

そんなに国債の返済が心配なら、国債発行額と同額以上の政府紙幣国債整理基金として積み立て、順次返済原資とすればよい。

国債なんて、その程度のものなのだ。

【3.国債は日本人が買っているから問題ない?】

中嶋氏は、『外国人が国債を購入すると、国のお金が外国に流出する』と懸念を発した挙句に、『三菱東京UFJ銀行が国債の入札に有利な条件で参加できる資格を返上すると表明』しているぞ、と国債消化に黄色信号が灯っているかのように騒ぎ立てている。

外国人が買ったと騒いでいるが、それが既発債なら、その外国人に国債を売却した日本の機関投資家がいるはずだし、新発債を買われるのが嫌なら、日銀にでも買取りさせればよいだけだ。

それほど外国人に国債を買われるのが嫌なら、買取り資格に国籍条項でも設ける提言をしたらどうか。

また、今回の三菱東京UFJの参加資格返上騒ぎは、日銀のマイナス金利政策に対する抗議的な色彩の強いパフォーマンスであり、くだらぬマイナス金利政策を解除すれば、直に収まるだろう。

【4.国債流動性低下がリスクを高める】

『実際には日銀が国債を買い過ぎていることで国債流動性は極めて低下している。流動性が低いとはどういうことか。わずかな売買で価格が乱高下するということだ。(中略)

外国人投資家は国債の売却から円売りにつながる可能性があり、為替の乱高下につながる可能性もある。極端な円売りによる円安はエネルギー・食料を海外に頼る日本には打撃となる。そういった意味では自国民が国債を買う場合との違いは発生するかもしれない。ただ、円の信認が失われれば外国人ほどではなくとも日本人も円売りに走るだろう』という中嶋氏の主張は、これまでも、池田信夫大前研一あたりのいかがわしい自称評論家からも聞かされたような気がする。

先ず、日銀の既発債買い増しによる流動性低下に文句があるなら、国債の流通量を増やすよう政府に対して財政政策による新発債の大規模発行を訴えるべきだろう。

また、国債や円の売り浴びせによる円の暴落(極度の円安)が心配なら、中嶋氏も、円建てでのギャラやフィーの受け取りを拒否して、元建て、あるいは、ウォン建てで貰っておけばよいのではないか?

中嶋氏のように、中途半端な経済知識を振りかざす割りに、そこいらの主婦レベルの感覚から抜けきれず、緊縮脳や税収脳に束縛されっ放しのバカ者には呆れるよりほかない。

こういった幼児性を振りかざす田舎者には、通貨量の増発なくして、どうやって経済を発展させる気なのかと尋ねてみたい。

彼のような視野の狭い愚者には、通貨発行権や徴税権、行政権、立法権等といった大権を有し、経済活動から超越した存在である政府や中央銀行を、バランスシートや家計簿の枠に押し込めようとするバカバカしさに到底気付くことはできまい。

彼らのような緊縮脳や税収脳患者が大手を振って言論界で羽を伸ばし、疲弊した経済という爆弾を無思慮かつ無責任に手渡すことこそが、次世代への最大のツケ回しだと言えるだろう。