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うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

金融政策は限界、構造改革は賞味期限切れ

『石原経財相「金融・財政には限界あるが構造改革には限界ない」』

(2016/5/24 日本経済新聞

石原伸晃経済財政・再生相は24日の閣議後の記者会見で、20~21日に仙台市で開いた主要7カ国(G7財務相中央銀行総裁会議で金融・財政・構造改革にバランスよく取り組むことが確認されたことに関し「金融政策にも財政政策にも限界がある。一方で構造改革には限界がない」と語った。その上で「構造改革の手を休めてはならない」と述べ、規制緩和をはじめとした成長戦略の取り組みを重視していく姿勢を示した。

 現状の景気判断については「緩やかな回復基調に変わりはない」と語った。追加経済対策の有無は経済状況を確認したうえで「するとしたら秋の臨時国会で決める」と説明した」

最近、その存在すら忘れかけていた石原伸晃だが、上記の日経記事で報じられているとおり、相変わらず迷走しているようだ。

彼は、過去にも、福島第一原発の “サティアン”呼ばわりや報道ステーションで中国の尖閣諸島侵攻に対する危機認識不足発言等々、数多くの失言や舌禍事件を繰り返してきた人物だ。

この程度の無能なボンボンを重要な経済財政担当大臣職に就けるとは、自民党の危機管理能力のあまりのレベルの低さに、改めて愕然とさせられる。

石原氏は、元々、経済政策に対する確固たる主張や信念を持ち合わせているわけではなく、“改革・規制緩和グローバル化”という流行り言葉に根拠のない憧憬を抱く「無自覚型の新自由主義者」であろう。

なぜ改革が必要なのか、それが日本の行く末や経済にどういった恩恵をもたらすのか、といった点について、具体的かつ根拠ある説明もできないくせに、周囲の意見や時流に流されて、それが善だと信じ込んでいるだけの風見鶏に過ぎない。

彼の「金融政策にも財政政策にも限界がある。一方で構造改革には限界がない。構造改革の手を休めてはならない」との発言から、“構造改革という神話や心霊現象の類い”を妄信して疑わない改革信者臭がプンプンと漂っているが、発言内容自体は、アベノミクスに対する昨今のマスコミの論調とよく似ている。

やはり、バカ同士の思考回路には相通ずるものがあるのだろうか…

石原氏は、財政政策金融政策を腐す一方で、構造改革を手放しで持ち上げているが、この手の構造改革万能主義者の思想の根底には、3つの政策に対する次のような固定観念があるのだろう。

①財政政策は国の借金を増やすだけの悪手で、景気浮揚策として一時的に用いることが許されるカンフル剤に過ぎない。

②金融政策は専門用語が多すぎて理解できないけど、肌感覚からして、大して役立っていないように思える。

③世界の潮流は構造改革だ。政治にしろ、経済にしろ、旧習を排して改革せぬ限り世界から孤立してしまう。

以前から世間の風当たりの強い財政政策は別として、黒田バズーカと称される異次元の金融政策は、当初こそアベノミクスを輝かせた(真の功労者は、政権発足直後の補正予算による財政政策なのだが…)が、さしもの黒田バズーカも、ここ2年余りは目立った成果を出せず、完全にオオカミ少年化している。

最近では、エコノミストやマスコミの連中も、日銀の追加緩和策に期待するどころか、「金融政策に限界はない」という黒田総裁の負け惜しみを信じる者も(哀れなリフレ派の連中を除いて)いなくなった。

現在の異次元緩和策は、財政政策を否定(=新発債の発行抑制)したまま年間80兆円もの既発債を買い増しするだけで、単に、日銀と国債を保有する金融機関との間の両替機能にしか成り得ていない。

黒田総裁は、国債を日銀に売却した金融機関が、手持ち資金を使って企業や家計向けの融資を活発化させるはずだし、インフレ予想の拡大に伴い企業や家計が消費や投資に踏み出すはずだと強弁するが、そうした空論は、ピクリとも反応しない現実により、頭から否定されてしまった

おまけに、マイナス金利という弊害だらけの奇手に頼らざるを得ないありさまで、年金や医療保険などの資金運用難の問題もあり、さすがに金融政策に対する風当たりも相当強くなりつつある。

まさに、金融政策一本足打法(=財政政策抜き)は土俵際に押し込まれて限界を迎えているといってよい。

では、石原氏イチオシの構造改革はどうだろうか?

これについて、いまさらくどくど解説するまでもないが、「構造改革は、それ自体が経営資源に恵まれた大企業の権益をより拡大させるための思考であり、中小企業や家計への適正な資金分配を阻害するとともに、財政政策を否定する風潮を蔓延させて内需停滞の主要因となり、経済成長の足を強烈に引っ張り、経済基盤の棄損や財政悪化の遠因となった」と断じるよりほかない。

橋本行革時代や小泉バカ政権による構造改悪騒ぎ以降の経済政策は、一貫して構造改革路線を柱に据えており、ここ数年は、これに金融政策が加わったものの、財政政策は忌避されっ放しであったことは明らかだろう。

果たして、その間の経済的パフォーマンスはといえば、GDPをはじめ家計支出や物価水準、生産指数、設備投資など、あらゆる指標が大停滞時代を余儀なくされてきた。

新自由主義者の連中は、こうした惨憺たる結果を突き付けられても、「それは改革が足りないせいだっ!!」と醜い言い訳に終始してきたが、実体のない蜃気楼をいくら追い続けても永遠に答えは出せないだろう。

何を聞かれても「構造改革」という答えしか書けない落第生は、早々に教室から退出すべきだ。

石原氏の「金融政策にも財政政策にも限界がある。一方で構造改革には限界がない」と語った。その上で「構造改革の手を休めてはならない」というセリフは、丸っきり間違っている。

正しくは、「金融政策頼みの経済政策には限界があり、構造改革は賞味期限が切れている。一方で財政金融政策には限界がない。力強い経済成長を実現して、適切な分配構造を構築するためにも、大規模かつ長期的な財政金融政策の手を休めてはならない」だろう。