うずらのブログ

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新自由主義者は生き方を変えろ

世の中に新自由主義の毒がすっかり回ったせいか、「終身雇用制は悪」、「企業は株主のもの」という呪詛にも似た穢れた言葉を耳にすることも多い。

今回は、終身雇用制度を毛嫌いする狂信者のコラムをご紹介したい。

『死にゆく日本の終身雇用「サラリーマン」』

http://www.msn.com/ja-jp/money/news/%e6%ad%bb%e3%81%ab%e3%82%86%e3%81%8f%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e7%b5%82%e8%ba%ab%e9%9b%87%e7%94%a8%e3%80%8c%e3%82%b5%e3%83%a9%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%9e%e3%83%b3%e3%80%8d/ar-BBtGlQf

(執筆者:アーバン・レーナー/元ウォール・ストリート・ジャーナル・アジア編集長)

コラムの内容は、上記のURLからご確認いただきたいが、端的にまとめると以下のようになる。

①日本の経営文化は、産業経済を作り上げるには生き方を変える必要があることを理解した支配エリート(=安倍ちゃんのこと)によって、大きな変革を迫られている。

②こうした改革がうまくいけば、株主や利益、会社の存続意義に対する日本人の考え方を大きく変えることになり、その指標の1つとなるのが名高い終身雇用制度である。

③終身雇用制度には弱みがある。それは、企業は株主ではなく社員のためにあるという考え方を終身雇用制度が助長していることや労働の移動を制限し、起業家精神を妨げていることだ。

年功序列があるがゆえに、業績よりも勤務時間や同僚との関係が重視され、凡庸な人材ばかりが増える。重要な地位には往々にして最も資質のある人ではなく、序列で次の順番にある人が就く。

⑤不要な社員をレイオフしやすくすれば企業にとってプラスになる。日本に蔓延するリスク回避志向を排除するためには終身雇用制度を止めねばならない。そうでもしない限り日本は変われない。

コーポレートガバナンス改革によって投資、成長、賃上げ、国際社会からの尊敬を手に入れることが重要だ。

ひとことで言うと、「企業は株主のものだと狂信するバカの言いなりになるために、日本人は生き方を変えろ」ということだろう。

この手の狂信者は、“終身雇用は悪、人材流動化や起業家精神は善”という固定観念や「日本企業=完全なる年功序列」という妄想に囚われており、概してディマンドサイドの重要性に対する認識が甘い。

レーナー氏は、「年功序列は業績よりも勤務時間や同僚との関係が重視される風潮を生み、凡庸な人材を増やす」と決めつけているが、実際には、年功序列サービス残業とはイコールの関係にはなく、単なる言いがかりにすぎない。

仮に、年功序列が完全に機能しているのなら、黙っていても入社年次順に昇進できるはずだから、サービス残業みたいな無駄な行為を以ってわざわざ忠誠心を示す必要なんてないはずだ。

サービス残業が蔓延する背景には、上司や同僚、部下などといった競争相手の中で、自己の忠誠心や仕事への熱意をアピールして差をつけるには“必死に残業する姿勢を見せる”という視覚的かつ記録にも残る定量的なデモンストレーションを行わざるを得ないという事情があるからだろう。

入社年次順に出世できるのなら、サービス残業なんてする必要はなく、定時退社して差し支えないはずだ。

しかし、実際にサービス残業が蔓延しているのは、社内競争に勝ち抜くために“残業という延長戦”でのアピールが欠かせないためであり、年功序列が完全には機能していない証左の一つと言える。

また、企業は株主のものという虚言もたいがいにしてもらいたい。

そもそも、“企業は株主のもの”というセリフは、投資家の都合による壮大な詭弁にすぎない。

日本企業では、自己資本比率自己資本/総資本)が20%未満の企業割合が圧倒的に多く、株主なんて偉そうにしていても、ただでさえ小さな自己資本のごく一部を提供しているだけのことであり、経営に必要な資金の面倒を見ているわけじゃない。

だいたい、資本金なんて創業時以外に経営の大きなファクターになることはないし、特に、株式が流通性を持つ上場企業の場合、“株主”という立場は、市場価格に応じて売買される権利の一つに過ぎず、実際に株主が経営に参画することもほとんどない。

要するに、株主なんてものは、企業運営に一滴の汗もかかない人間(株式市場という賭場で遊んでいる暇人)であり、そんなものが経営に口出しする権利などなかろう。

会社は株主のものなんて、とんでもない虚言であり、会社は社員と経営者のものであるというのが常識的な考え方である。

レーナー氏は、雇用の流動化にも熱心なようだが、安易な雇用の流動化は家計の将来不安を招き、与信行為の縮小と不動産・耐久消費財の減退に直結するだろう。

氏は、人材の流動化や業績連動型の報酬が優秀な人材の待遇向上につながると言いたげだが、そんな恩恵に与ることができるのはほんの一握りに過ぎない。

だが、マクロ経済を動かすのは、一部の高所得者ではなく、掃いて捨てるほどいる中低所得者ゾンビ企業の類であるという事実を、レーナー氏は理解できていないようだ。

人材を流動化させると、必然的に雇用と所得が不安定化し、労働者や家計の長期所得予想の不透明化を招くことになる。

そうなると、住宅や自動車という長期分割弁済を伴う高額商品の購入にブレーキが掛かり、所得の見通しが不透明化することにより金融機関も長期の与信に慎重姿勢を取らざるを得なくなる。

つまり、人材の流動化は住宅ローンや自動車ローンの大幅な縮小を招き、経済に負のインパクトを与えることになるということだ。

また、雇用の不安定化は居住地の不特定化にもつながり、これまでにも増して転職による移動機会が増えるだろう。

そうなると、引っ越しに掛かる移動コストを考慮して日常的な購買行動が制限され、消費抑制効果が発生するとともに、所得の不安定化による結婚機会も益々減少し、更なる少子化につながる恐れがある。

さらに、安定した雇用のイスの絶対値が減ってしまうと、そうしたイスを得るための努力を端から放棄する風潮(=どうせ努力しても無駄だという諦め)が蔓延し、学生の学習意欲や学力レベルの大幅な低下も免れまい。

努力により獲得できる地位の絶対数が相応に存在すれば、目標に向かって努力する価値を見出せるものだが、その数が極端に減ってしまうと、どんなに頑張っても手に入れることは不可能だと先読みする者が増えてしまい、非正規の職にしか就けないのだから勉強なんてするだけ無駄だと決めつけ、努力すること自体を諦め放棄した方が合理的だという判断に行き着くだろう。

レーナー氏のように雇用者目線やサプライサイドでしかものを考えられぬ幼稚な人間は、自分にとって都合の良い範囲にしか目が行き届かないものだ。

彼のような妄想家は、もっと実社会に出て、世の中の仕組みや市井の人々の行動原理を学び直す必要があるだろう。