うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

構造改革主義者の潜在成長率は、たぶんマイナス

先日、取引先の管理職と面談した際に、若手社員の愚痴を聞かされた。

彼曰く、「近頃の若手は理屈ばかりで行動が鈍い」、「デキない男ほど自分のポテンシャルに過剰なほど自信を持っている」だそうだ。

文句を垂れてる本人だって、若い頃には、さんざん上司や先輩の足を引っ張っていたはずだが、サラリーマンたるもの、得てして自分への評価は甘く、他人への評価は辛くなりがちなのは仕方ないか…

彼の愚痴は置いておくとして、「ポテンシャル」という言葉を聞いたとたん、なぜか、構造改革派が大好きな「潜在成長率」が頭に浮かんでしまった。

「潜在成長率」の定義は次のとおり。

“「資本」「生産性」「労働力」という生産活動に必要な3つの要素をフルに利用した場合に達成される、仮想上の成長率。生産活動に必要な設備などの「資本」、労働力人口と労働時間から求められる「労働力」、技術進歩によって伸びる「生産性」の3つの伸び率の合算値が「潜在成長率」である”(コトバンクより)

ひとことで表現すれば、国に備わった経済発展のためのポテンシャルだと言えようか。

コトバンクの説明文にもあるとおり、潜在成長率はあくまで「仮想上」の成長率に過ぎないのだが、ポテンシャルという外部からは測定不能な要素を基にした概念であるため、現実逃避しかできない経済学者やエコノミストの連中によって、しばしば恣意的に用いられてきた。

今回は、そうした潜在成長率の考え方を都合よく曲解したコラムを紹介する。

『日本の財政拡大提案が独英の理解を得られない理由 野口悠紀雄 [早稲田大学ファイナンス総合研究所顧問]』(http://diamond.jp/articles/-/90977

コラムでは、安倍首相の訪欧を巡り、安倍氏が財政拡大(安倍ちゃんが求めているのは、“機動的かつ限定的”な財政出動に過ぎないが…)と為替介入について、欧州首脳から理解を得ることができなかったことを採り上げ、次のように指摘している。

①現在の先進国経済が直面している問題は潜在成長率の低下であり、短期的な財政拡大では解決できない

②むしろ、財政赤字が増大すれば長期的な問題はより深刻化するから、短期的な成長率引き上げのために財政拡大を行なうなどとする国はない

③財政拡大によってGDPが短期的に増加しても、それが企業収益の増加に結びつくことはなく、財政拡大は日本の金利を引き上げるため円高要因になる

④ドイツやイギリスなど欧州首脳は、構造改革成長戦略のほうが重要だという認識である

⑤アメリカやイギリスが新しい技術とサービス産業を軸として高い経済成長率を実現しているのに対して、日本と欧州大陸諸国は、古い産業構造のままで、通貨安と金融緩和にしがみついてきたため、経済成長率が低いままだ

⑥先進国が共有すべき認識は、経済の構造改革を行ない、新しい技術を導入することによって潜在成長率の引き上げを図ることだ

コラムでは、この他にも、為替介入による通貨安競争は止めろ、金融政策は無駄だ、といった戯れ言が続く。

要するに、

①財政政策は時代遅れだから止めておけ 

②経済成長には構造改革による潜在成長率しかない

ということなのだろう。

財政政策は時代遅れ云々については、これまでのエントリーで散々批判してきたので、くどくど解説する必要もないが、アメリカやイギリスが、財政政策に頼らず、構造改革による産業構造の変化で高成長率を実現したというのは事実誤認である。

両国とも、2006~2016年の10年間で大幅に財政支出を拡大(アメリカ4.3%/年、イギリス3.7%/年)させており、その間の名目GDPも、アメリカ年3.4%、イギリス年3.7%と順調に成長している。

経済にとって、実弾中の実弾とも言える財政支出の効果や影響が顕著に表れた結果と言ってよい。

アメリカやイギリスの経済成長を構造改革や潜在成長率によるものと主張する連中は、国民受けのよい“構造改革”を盾にしたイメージ戦略に逃げ込まずに、改革と成長率との因果関係を定量的に説明すべきだろう。

そもそも、潜在成長率なる概念が、相当いい加減なもので、造ったモノやサービスがすべて消費されるというあり得ない前提に立っており、また、「経済成長=生産量の増大」、「消費拡大=量の拡大」という固定観念にも囚われている。

潜在成長率を擁護する論者は、中・長期的には現実の成長率と潜在成長率とは同様の動きになると強弁するが、それはまったくの誤りで、現実の成長率の実績を基に潜在成長率とやらを後付けで算出した結果に過ぎない。

成長率なんてものは、需要さえあれば、いくらでも成長できる。

モノやサービスの価値を“量”でしか測れない「胃袋経済論者」には理解できぬだろうが、家計や企業の所得や収入が増加し、それに見合った需要が増えれば、同等のモノやサービスの価値単価が上昇し、それに連れて経済は成長するものだ。

サラリーマンの昼食が500円のランチ定食から900円のトンカツ定食に格上げされれば、レストランの収入や付加価値もアップし、当然、経済も成長する。

この程度のことなら、「資本」とか「労働力」とかいった小難しい生産要素を気にすることなく、簡単に成長を実現できる。

潜在成長率云々に逃げ込む輩は、生産設備の増強なしに経済発展はないという、産業革命以前の前時代的な発想で思考が停止しているのではないか。

彼らは、魅力的かつ革新的な製品やサービスこそが潜在的な需要を生み出すのだと信じて止まないが、その「潜在的な需要」とやらが、何によって担保されているのかについては、まったく説明しようとしない。

家計や企業は潤沢かつ莫大なフローとストックを抱えており、斬新な製品やサービスが世に出るのを、いまかいまかと待ちわびている、というのが彼らの妄想だが、現実には、そんな余裕のある者はごく稀にしか存在しない。

「来客もまばらなポンコツ居酒屋で、バイトをたくさん雇い、高価な食材を仕入れ、懸命に食器を磨いている」、潜在成長率万能主義者の脳内を覗くと、そんな光景が目に浮かぶ。

せっかくの生産設備や労働力も、元気のない需要の前では、ガラクタやゴミも同然でしかない。

そうした供給サイドのポテンシャルを活かすには、養分となる需要の増進が欠かせない。

つまり、経済成長を左右するのは、潜在成長率ではなく現実の需要なのだ。

「デキない男ほど自分のポテンシャルに過剰なほど自信を持っている」というセリフは、潜在成長率万能主義者にこそ、お似合いの言葉だろう。