うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

「財政政策嫌悪症」というバイ菌

先日、安倍首相が訪欧した際に、ドイツやイギリスなどに対して、“機動的な”財政支出の協調を呼び掛けた、なんてニュースがあった。

財政再建偏重気味の首相のことだから、財政支出に対する熱意のほども知れたものだが、この程度のことでも、メディアをはじめ各方面から、「財政再建に向けた取組みを後退させるのか」、「無駄な公共事業やバラマキを回避すべきだ」、「財政政策みたいなカンフル剤は構造改革の障害になる」といった類いのレベルの低い批判が噴出している。

マスコミや国民の「財政政策嫌悪症」は相当重症で救いようがない。

無駄な公共事業云々というレッテルを用いた財政政策への批判や誹謗を繰り返しているのは、何も財政再建派の連中だけではない。

構造改革派やリフレ派はおろか、弱者の味方を気取る福祉重視派や似非分配派の連中ですら、財政政策に強い嫌悪感を露わにするから不思議なものだ。

このように、財政政策嫌悪症が蔓延する要因として、

①「公共事業公共工事=ムダ遣い・利権・汚職」という短絡的な発想

②財政政策が国の借金を際限なく増やし、その返済のための大増税が避けられないという勘違い

公共事業を増やしても、たちの悪い土建屋が儲かるばかりで、自分たちの懐は潤わないという決めつけ

④財政政策が経済的な効果を発揮してしまうと、(インチキな)持説が否定されてしまうという強い危機感

⑤経済成長がもたらす自然破壊への危惧

などが挙げられるだろう。

①は「公共事業公共工事一体論」で、公共事業といえば、公共工事のみならず、文教・医療・福祉・科学技術・防衛・各種行政サービスなど非常に広範な概念を指すはずだが、敢えて、国民の嫌悪感を焚き付けやすい土木・建設工事と混同させて、“大規模工事=ムダな箱もの=公務員天国=利権の温床=汚職や賄賂の横行”という悪いイメージを刷り込もうとしている。

だが、バカな連中が公共工事叩きを楽しんでいる合間に、我が国の社会資本は急速に老朽化している。

国土交通省の資料によると、2023年時点で建設後50年を経過する社会資本の割合は、

・道路橋(40万橋)43% ・トンネル(1万本)34% ・河川管理施設(1万施設)43% ・下水道管(45万km)9% ・湾岸岸壁(5千施設)32%にも及ぶそうだ。(この他にも、水道管やガス管、鉄道橋など憂慮すべきインフラは数知れない)

本当に空恐ろしくなる数値で、我々の生活や企業活動を支える社会インフラは崩壊の一歩手前にあると言ってもよい。

我が国の公共工事費は、1995年のピーク時には、国と地方合わせて40兆円を超えていたが、それ以降は激減を続け、いまやその半分ほどの規模に減額されている。

財政支出を忌み嫌う「シロアリども」に食い荒らされ、社会資本のメンテナンスを怠った結果がこの様だ。

こうした事態を放置し続けるのなら、我が国は、遠からず、モノを造れても交通インフラの崩壊により流通機構が麻痺するような後進国に落ちぶれてしまうだろう。

ひょっとすると、中国やインドあたりから、社会資本整備のためのODA支援を受ける身になっているかもしれない。

②の増税宿命論は、国家財政の在り方や貨幣の仕組みを理解しようとせず、幼稚な“身の丈財政論”に固執することから生まれる誤解である。

日本の租税負担率は、消費増税の影響でジリジリ上昇しているが、2016年の見通しで26.1%と、30年前とほぼ同じ水準だ。(ただし、社会保障負担率を加えた“国民負担率”は相当上がっている)

これは、明治時代や昭和初期の値(15%くらい)に比べると高い数値だが、3公7民程度であった江戸時代とほぼ同水準といってよい。

その間に、政府債務(財政破綻論者が言うところの“国の借金”)は膨大な額に達しているが、債務の増加ペースに見合うほど急激に納税負担が増えているわけではなく、財政支出の増加=大幅な増税というのは、単なる思い込みに過ぎない。

大規模な財政政策を通じて国内の実体経済に資金を投じてやれば、いやでも経済活動が活発化し、あらゆる経路を経て納税額がUPするのだから、そもそも増税を心配する必要などないはずだ。

③の公共事業無関係論も聞いて呆れる。

こうしたバカげたことを言うのは、ヤル気のない日本衰退論者や似非分配論者に多いのだが、これといった職能スキルのない低所得者層や中間層の収入を増やすためには、誰にでもできる仕事や単純労働従事者でも相応の報酬を得ることができるような経済環境が欠かせない。

支出の質や内容への妙な拘りは、高度なクオリティや技術に対応できる大企業への事業流出による富の偏在を生むだけで、中小零細企業から事業獲得機会を奪い、結果的に低所得者層への富の配分が阻害されることになる。

つまり、恵まれない層にまで富を分配するためには、財政支出の質なんかに感けてはいられないのであって、とにかく質より量を重視し、あまねく広くバラ撒いてやるべきだ。

撒き餌の量が少ないと、図体がデカくて力の強い魚ばかりが満腹になり、社会的な不平等を拡大させてしまう。

それを回避するためにも、広範囲に膨大な量の撒き餌をバラ撒いて、力の弱い魚の空腹をも満たしてやる必要があろう。

日本経済停滞の病巣は大規模な需要不足にある、つまり、家計や企業の所得・売上の絶対的な不足に起因していることは論を待たない。(いまだに、供給要因に拘る周回遅れの田舎者もいるが…)

こうした危機を乗り越えるためには、

①所得・売上の増加に対する確信的な予想と実感

②官民を問わず支出に対する寛容かつ積極的な空気や風潮

が必要になるのだが、緊縮財政や構造改革、金融政策、税制改正によるちゃちな分配なんかでは実現不可能だ。

筆者は、消費税に関して、制度の廃止を主張する立場だが、それだけで事態を解決できるとは思っていない。

みずほ総研の試算によると、税率が5%から8%に上がった際に、年収300万円の層の年間負担額は15.3万円と5.7万円ほどUPしたと言われている。

これが全廃されると、年間15.3万円、月に均すと1.2万円ほど実質所得が増える計算になり、確かに家計は助かるだろうが、生活をより豊かにするという意味では、まったくの力不足だろう。

手取り額が増えるのは良いが、そもそもの所得ベースが低すぎるため、消費の選択肢は限定されてしまう。

最も重要なのは、所得全体の底上げであり、それなくしては貧困による消費の減退という根本的な問題は解決できない。

④⑤は、あまりにもレベルが低い問題であり、今回はコメントしない。

大バカ者に猛省を促すのみである。

財政支出の要否を論じる段階はとうの昔に過ぎ、いまや、その物量を検討する段階にあると理解している。

これまでも繰り返し述べてきたとおり、

・需要不足を解消するには、家計や企業の所得・売上を直接的に刺激する経済政策が欠かせない

・採るべき経済政策は財政政策を主軸とする長期かつ大規模な財政金融政策しかない

財政支出で重要なのは質より量である(質への拘りは富の偏在を助長する)

・とりわけ、低所得者層や中間層に富を分配するには、広範かつ大量の支出が不可欠

・国民や国内企業の所得になるものである限り、ムダな支出など存在しない(ただし、海外資本や外国人の所得に一次的に化けるものはダメ)

というのが筆者の基本的な考え方である。

財政政策にガタガタ文句をつける周回遅れの連中には、需要不足を解消させ不況を吹き飛ばせるだけの政策を持ってこいと言っておく。