うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

何でも若者に責任転嫁するのは「老害病」の証拠

厚労省文科省の発表によると、今年3月に卒業予定の大学生の就職内定率(H27.10.1時点)は66.5%(前年同月比1.9%)と5年ぶりに悪化したそうだ。

少子高齢化が進む日本において、労働力確保の意味合いから、年々数が減り続ける若者に対する求人ニーズが高まり、そこに希少価値が生じるのでは、という期待があった。

しかし、現実には学卒の若者層の4割近くが非正規雇用に甘んじている。

また、上手く正社員の座を射止めた者も、即戦力という名の下に過剰な期待を背負わされ、ろくな職場教育も受けられぬまま、過剰なノルマを課されて日々苦闘している方も多いと思う。

若者は、貴重な戦力として職場から歓迎されるどころか、いきなり諸先輩や上司と同じ土俵に乗っけられ、激烈な競争に駆り出される始末だ。

まともな教練や訓練もなく、武器も持たされずに、いきなり最前線に放り出されるようなものだろう。

厚労省のデータでは、H24年の大卒3年目以内の離職率は32.3%に達し、多くの若者が過酷な労働現場で苦しんでいることが窺える。

(※バブル期でも25~27%くらいの離職率はあったのだが…)

だが、社会は、こうした惨状を目の当たりにしても、まったく反省する様子はない。

自分たちは、若者たちにロクな社員教育も施さないのに、“最近の若者は根性がない”、“働き口なんて幾らでもあるのに選り好みして甘えている”という愚痴ばかりが口をついて出てくる。

こうした身勝手な愚痴を聞かされ続ける現代の若者からすると、会社に蔓延る老害の連中が何を言っているのやら、と大いに反発を感じていることだろう。

さて、「老害」という単語は、既に多用され浸透していると思うが、その意味を調べると次のようになる。

“高齢者に対する蔑称。反意語に老益がある。本来は、世代交代が図れず老朽化した『組織』に向けて使われる言葉。転じて、能力の衰えた高齢者が社会や組織の中で活動の阻害をする際に使われる”(ニコニコ大百科より)

会社だけでなく、政界・官界・財界・マスコミ・言論界など、ありとあらゆるところに、性差を超えて、「老害」と蔑まれる連中は棲息している。

筆者など、日本がバブル崩壊後の長期不況から抜け出せず、どんよりとした閉塞感に覆われているのは、愚か者の代名詞である「団塊の世代」を中心とする老害の連中のせいだ、といって差し支えないと考えているが、先日、こうした定説を覆そうとする珍説を目にした。

『日本を「老害」の国にしているのは「グズ」な若者』

武蔵野大学杏林大学兼任講師 舞田敏彦=文/プレジデント 2月10日(水))

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160210-00017294-president-bus_all&p=1

舞田氏によると、日本が老害の国になったのは、なんと、選挙に行かない若者のせいだそうだ。

上記のレポートで舞田氏は、衆院選投票率が1967年(第31回)の74.0%から2014年(第47回)では52.7%まで低下しており、特に、20代の若者層では、66.7%から32.6%へ半減していると指摘し、“20代が選挙に行かないから「老人天国」”になると警鐘を鳴らしている。

氏は、“いつも自分が行っている投票所で若者を見かけない、これでは、若者の意向は政治に反映されない、政治への要望は若者と高齢者とでかなり異なるが、重きが置かれるのは常に後者であり、その結果、若者の政治不信が強まり、ますます選挙から離れていくという悪循環に陥っている”と力説する。

そして、次回の国政選挙から、選挙年齢が18歳以上に引き下げられるのを引用して、「自分たちの要望を実現してくれる候補者(政党)を推すという、具体的な行動をとらないといけません」と述べている。

選挙権を持っている者で、それを行使する気がある者は選挙に行けばよい。

だが、上記のコラムだけではなく、マスコミの連中がよく口にする「政治家の眼は投票率の高い高齢者層にばかり向いている」、「選挙に行かないから若者向けの政策が疎かになる」というお決まりのセリフを、そのまま鵜呑みにしてよいのだろうか?

有り体に言うと、「政治家の眼は投票率の高い高齢者層にばかり向いている」というのは、まったくのウソだと思う。

政治家の眼差しは、若者は無論のこと、せっせと投票所に足を運ぶ高齢者にも向けられていない。彼らは“庶民”の生活になんて、そもそも興味を持っていないのだから。

だいたい、政治家の連中が、選挙対策として高齢者のご機嫌を取ろうとするなら、年金支給年齢の引き上げ、高齢者医療制度の自己負担率引き上げ、消費税率引き上げ、介護医療制度の改悪、異様な低金利誘導などといった“高齢者イジメ”とも言える政策を断行するはずがなかろう。

要するに、選挙に行こうが行くまいが、庶民に対して苛政を以って対峙しようとする政治家の姿勢に変化はないのだ。

また、「選挙に行かないから若者向けの政策が疎かになる」という決まり文句にも説得力はない。

舞田氏の主張どおり、昭和40年代のように、若者世代の投票率と政治の方向性とが正の関係にあったのは、単に、“高度成長期の只中にあった”というだけのことだろう。

当時の若者層の高投票率は、1960年代に一世を風靡した安保闘争や大学紛争などの影響を受けただけに過ぎないし、それが経済成長を後押ししたわけでもない。

なぜなら、当時の若者の政治に対するエネルギーは、経済政策よりも、安全保障問題や反戦運動、大学自治みたいなボンヤリしたイシューに重きを置いており、投票行動が日本経済を動かしたと捉えるには、かなり無理があるからだ。

若者が選挙に行かない限り、景気対策や雇用対策、少子化対策などといった自分たちの政治的な要求は通らない、というのは、一見まともな意見に見える。

しかし、当の政治家たちが、そういった問題に対する危機感を共有しようという意欲を持たない限り、それが実現されることはなく机上の空論に過ぎない。

この先、若者の投票率が劇的に向上し、それにより前回の選挙で惜しくも落選した特定の候補者が当選できたと仮定しよう。

では、前回の落選者の中に、若者だけでなく、広く国民の生活向上に資する政策を強く訴えていた候補者が、そんなに沢山いただろうか?

私は一人も思い出せない。

現職の議員を見ても、落選した議員を見ても、残念ながら、日本を老害天国から救える目ぼしい人材は殆どいない。

若者の投票行動が世の中を変える、なんていうのは、世間知らずのセンチメンタルな意見である。

なぜなら、現職も、これから出てくるだろう候補者も、おおよそ既存の政党に属する連中には、ロクな人材がいないからだ。

いずれも、庶民の生活なんて二の次、三の次の新自由主義者ばかりで、そういったポンコツだらけの連中に、まともな政策を期待する方が間違っている。

いわば、汚水に塗れたバケツから清水を掬おうとするようなものだ。

もはや、日本の政党政治は耐用年数を終え、機能していない。

国民よりも政党内の立場にしか目が行かない“サラリーマン議員”の巣窟と化している。

これは、小選挙区制を中選挙区に戻す、といった手段で解決可能な問題ではなく、政党政治や議院内閣制、民主主義の象徴としての選挙制度などといった既存の政治機構を一旦ご破算にするくらいの大胆な制度や発想の転換が必要だろう。

筆者としては、「役に立たない“(自称)政治のプロ”」の発言力を削ぎ、彼らの奮起を促す意味も込めて、有権者のうち国会議員への就任を希望する者を予め登録させ、国政選挙のたびに、無投票率に該当する議席分を、この登録者の中から無作為に選出する方式を提案したいが、この点に関する詳しい話は、また別の機会に論じたい。

今回採り上げた舞田氏のように、日本の老害病の責めを全て若者におっ被せようとするなんてトンデモナイことだ。

若者は今日・明日の生活で手一杯だし、数年に一度の選挙に行ったところで、政治を簡単には変えられないことくらい、とっくに悟り切っている。

そもそも、庶民のための政治なんて端からやる気がないくせに、国民に対して、「俺たちの気持ちを動かしたいなら、お前らが投票に行けよ」と脅しをかけること自体が、烏滸がましい行為だ。

政治家たるもの、自ら政治を志す以上、国民が投票に行こうが行くまいが、率先して、国民や国家のニーズを探り、国民生活の安定や発展に資する政策を勉強し、実践するのが当然だ。

政治家に課せられた義務を勝手に放棄し、“自分たちが動けないのは、投票しない若者のせいだ”と開き直るのは、まさに本末転倒であり、そんなバカ者は政治家失格で、今すぐ議員バッジを返上すべきだ。

国会議員の成り手なんて、他に幾らでもいるのだから、やる気のないグズに議員の椅子を預ける必要はない。

舞田氏もそうだが、常識人を気取り、政治家の義務を易々と放棄するバカ者に同調して、“若者が投票に行かないから、何時まで経っても政治が良くならない”と、いい加減な論を吐くクズな連中こそが、日本を老害大国に貶めた張本人だと言える。