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うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

「公共事業クラウディングアウト論」という幼稚なデマ

筆者が学生時代に使った歴史の教科書には、江戸時代に大規模噴火や冷害等によって引き起こされた大飢饉第一次大戦後にドイツやオーストリアで起こったハイパーインフレの件が掲載され、飢餓に苦しむ民衆の悲惨な様子が絵画や写真付きで解説されていたが、最近の教科書にも載っているのだろうか。

ハイパーインフレに見舞われたドイツでは、パンの価格が1年のうちに、250マルクから4千億マルクにまで跳ね上がったそうだから、まさに、ハイパーインフレ状態にあったと言える。

当時の教科書には、一輪車に大量の札束を積んだ子供が、パンや卵を買い求める写真が掲載され、筆者の記憶にも強く残っている。

お金がほとんど用をなさない状態になってもなお、商品を買い求めるためにお金を使わざるを得ない辺りが、貨幣経済に抗うことのできない現代社会の悲しい性とも言えよう。

こうした大飢饉ハイパーインフレが恐怖の象徴として史実に記されるのは、「モノ不足」に対する警鐘を鳴らしたいがためだろう。

生産力や技術力が飛躍的に発展し、溢れんばかりのモノやサービスに囲まれている現代においても、人々の潜在意識の中にはモノ不足に対する根強い恐怖心が潜んでいるのだろうか。

(ほとんどの日本人は農業に従事していないのに、“日本人は農耕民族だから”という根拠のないセリフに納得してしまうのと同じことか…)

世間には、未だに、何かといえばモノ不足や人手不足を気にする意見が跋扈している。

東日本大震災後に一時的に発生した建設労働者不足の折にも、こうした意見を多く聞いた。

「震災や国土強靭化を理由に公共工事をやり過ぎると、極度の人手不足やモノ不足を招くし、金利や物価の上昇する」という“公共事業クラウディングアウト論”などが、そうした愚論の最たるものだろう。

こういった世迷い事を吐く連中の本音は、単に財政出動につながる公共事業をやりたくない、というだけのことであり、人手不足や金利上昇云々という枝葉末節は、そのための方便でしかない。

建設事業者の人手不足の問題については、「建設労働需給調査」の「建設技能労働者過不足率推移(8職種合計)」の結果を見ると、2014年3月のピーク時こそ+3.4%を指していた(ピークでも、たったの3.4%でしかない!)が、2015年11月には±0.0%にまで落ち込み、“人手不足感”とやらは、すっかり収束してしまったようだ。

型わく工や鉄筋工が足りないと騒いでいたのも昔の話で、いまやすっかり解消されている。

http://www.garbagenews.net/archives/2155784.html

また、人手不足による建設技能労働者の賃金水準の高騰が懸念されていたが、厚労省の毎月勤労統計調査の資料によると、建設業の現金給与総額(月平均)は2013年で371千円と2000年の380千円の水準すら下回っている。

賃金指数の推移を見ても、2015年の建設業の賃金指数は97.0と2012年を100.0とした数値を3.0%も下回っている。

震災後の公共工事量の拡大は確かにあったが、いまや一服感を通り越して、工事量の不足感すら強まっている。

帝国データバンクなど各地域の景気DI指標を見ても、特に、公共工事量の削減による建設業者のDI低下が認められる。(http://tdb-di.com/

ついでに、公共事業クラウディングアウト論者が懸念するような過度な財政政策による長期金利や物価水準の急騰など起こっていないことは、説明するまでもあるまい。

(一部の生活物資の値上がりは、輸入物価高騰によるコストプッシュ型インフレに起因するもの)

だが、頭のおかしい“公共事業クラウディングアウト論者(リフレ派+緊縮財政派の一部)”の妄言は、これだけに止まらない。

彼らは、公共事業の役割や意味を「景気対策としての公共事業」や「デフレ脱却のための公共事業」などと勝手に矮小化し、「景気が回復したら公共事業をやめるのか?」、「デフレ脱却したら国土強靭化計画が道半ばでもやめるのか?」と愚にもつかぬ屁理屈を並べて、公共事業の拡大に反対し、何とか足を引っ張ろうと必死になっている。

公共事業景気対策のためだけにやるものではないことくらい、いい大人が理解できないのだろうか?

つまらぬ言葉遊びを止めて現実を直視すべきだ。

公共事業は、社会活動や経済活動を営む上で「絶対不可欠の社会基盤」を維持向上させるための重要な事業であり、言わば生物が生存のために必要な水や空気、食料などと同レベルの存在だと言える。

公共事業は、何か特定の目的のために出したり引いたりする類いのものではなく、社会生活のため、経済成長のために欠かさざるを得ないもので、たまたま長期デフレ不況に見舞われた我が国においては、公共事業特有の地域経済への所得分配機能を通じて、「需要不足やデフレ解消の役割”も“期待できる」というだけのことだ。

「景気が回復したら、或いは、デフレ脱却したら公共事業をやめるのか?」という勝気な小学生レベルの質問に対しては、「公共インフラの新規整備や維持更新の必要性が絶えることはなく、公共事業を止める日など永遠にやって来ない」というごく当たり前の説明をすればよいだろう。

公共事業クラウディングアウト論者は、「インフレ・デフレは貨幣現象」であるから、公共事業に景気を左右させるだけの影響力はない、とも主張している。

しかし、『貨幣の定義』を曖昧にしたまま、消費や投資に直接的に使えるお金と利子を付けて返済せねばならぬ借入金とを十把一絡げにし、その定義を水脹れさせたまま、貨幣政策の効果を喧伝するのは卑怯としか言えない。

彼らは、アベノミクス初期段階で組んだ13兆円の補正予算による財政政策の効果を“貨幣現象”と称して、金融政策の手柄だとさんざん喧伝してきた。

彼らの信条どおり「金融政策を通じた貨幣量のコントロール」によりインフレ・デフレが調整できるなら、黒田バズーカ一発で、とうの昔に不況を脱することができたはずだが、現実は見てのとおりだ。

信仰する経典どおりに世の中が動かないからといって、貨幣の定義まで捏造するのは異常としか言いようがない。

物価は消費や投資による直接的な刺激を受けて変動するものだから、「インフレ・デフレは財布の中の貨幣現象」というのが真実であり、貸出用の融資マネーをいくら積み上げても大した効果は望めない。

財政政策に反対したいがために、現実から目を反らし、需要不足による不況を放置していると、遠からず供給力や技術力も栄養分を失い朽ち果てていくことになる

そうなってしまえば、もはや先進国たる地位に留まることはおろか、強みである技術力も他国に頼らざるを得なくなり、その結果、後戻りできないほど深刻なモノ不足に悩まされることになるだろう。