うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

需要のコントロールを諦めた途端に経済は歩みを止めるもの

『軽自動車販売、突如「大幅減少」の真相とは 消費増税「駆け込み」期待に成算はあるか』

「2015年の国内新車販売台数(軽自動車含む)は、前年比9.3%減の504万6511台だった。辛うじて500万台の大台は保ったものの、東日本大震災やタイ洪水の影響で部品供給網が寸断された2011年以来、4年ぶりの前年割れとなった。

特に、2015年4月に増税された軽自動車は16.6%減と大きく落ち込んだ。自動車業界は2016年の市場動向について、2017年4月の消費増税を控えた駆け込み需要などを期待しているが、若者の車離れなどもあり、どの程度回復するかは極めて不透明な状況だ。』

(2016年1月18日JCASTニュース)

軽自動車市場が大きな岐路に立っているようだ。

2013、14年と二年連続で200万台の大台を超えて過去最高の販売台数を更新していたが、昨年は一転して、17.9%減だった1975年以来の大幅なダウンとなった。

軽自動車税が2015年4月に7200円から1万800円へと大幅に増税されたことが主な要因とされているが、4万円前後もする普通車の税額に比べると、まだまだ安い水準にあり、増税だけが原因とは言い切れない。

筆者は、近年の軽自動車価格の高価格設定が、主な購買層であった若者や主婦層に敬遠され、自動車税額の増税をきっかけに、軽自動車離れが一気に具現化したものと推測する。

最近の軽自動車は結構高い。

スズキやダイハツのディーラーの展示場にある軽自動車に貼り付けられた価格表を見ると、中古車でも150万円以上するものが結構ある。

新車ともなると200万円を超えるものまであり、コンパクトカーより高い車種も珍しくない。

“軽自動車=100万円くらい”というイメージは、とっくの昔に消え去り、ひとむかし前ならカローラクラスの車が買えるくらい強気の価格設定になっている。

若者層の雇用や所得は相変わらず不安定で、増えているのは非正規雇用の口ばかり、という現状では、もはや、若者にとって、軽自動車すら高嶺の花といわざるを得まい。

記事では、例のごとく“若者の車離れ”の一言で済まそうとしているが、若者側としては、生活の足として手に入れたくとも財布にお金が無くて買えないというのが実状だろう。

軽自動車大手のスズキ、ダイハツともに、工場の稼働余力は十分にあるだろうが、肝心の需要が盛り上がらないことにはどうしようもない。

そして、この手の需要不足による販売減少に悩んでいる業界は、衣料品しかり、飲食業界や家電業界しかり、多々存在している。

こうしたマクロ単位での苦境から脱するには、個々の企業の頑張りだけでは、まったくの力不足で、政府による大規模かつ長期的な需要刺激策が欠かせない。

たとえ、魅力的な商品やサービスで潜在需要とやらを刺激しても、マクロ全体の需要能力にキャップが嵌められている状況では、その分だけ別の商品・サービスが割りを食うだけ(代替消費の発生)で、一国の経済全体が成長することはなく、全体の所得も伸びて行かない。

立ち遅れているとはいえ、日本のGDPは500兆円もあるのだから、いくら個々の企業が踏ん張っても、国全体の経済を牽引できるわけがない。

ここは、通貨の発行権限を持つ政府の出番であろう。

当ブログでも、以前にご紹介したが、江戸時代から明治初期にかけて、我が国では8回もの貨幣改鋳という大規模な財政政策が実行された記録がある。

貨幣改鋳は、貨幣が流通界において毀損したとき、あるいは、時の政府が改鋳益金の収得を意図して、貨幣の品位・量目などを変えて新しい貨幣を鋳造することにより、市中に大規模な財政政策と同じ効果を生むもので、元禄8年(1695年)に当時の勘定吟味役であった荻原重秀が編み出した「元禄の改鋳」が有名である。

また、暴れん坊将軍のモデルとして有名な徳川吉宗も、自らの倹約令によるデフレ政策や当時の“諸色(諸物価)高の米価安”がもたらした政権基盤の脆弱化に対して、町奉行大岡忠相勘定奉行の細田時以らの献策により実施された元文の改鋳により、ようやく経済を安定化させることに成功している。

日銀金融研究所の資料(貨幣博物館「第27話米将軍吉宗と元文の改鋳」)でも、元文の改鋳に対して、次のとおり高く評価している。

「深刻なデフレ下にあった 日本経済に「干天の慈雨」のような恵みを与えた。例えば大坂の米価は、改鋳直後の元文元年 から同5年までの5年間で2倍にまで騰貴する など、徳川幕府の企図したとおりの物価上昇が みられた。こうしたなかで経済情勢も好転し、 元文期に制定された金銀貨は、その後80年もの間、安定的に流通した。

一方、幕府財政は、相対米価の上昇、年貢の 増徴のほか、貨幣流通量増加の一部が改鋳差益 として流入したこともあって大きく改善した。この傾向は宝暦期後半まで続いた。このように元文の改鋳は、日本経済に好影響をもたらしたと積極的に評価される数少ない改鋳であった。」

元禄の改鋳こそ日本経済史に記念すべき画期的な経済政策だと考える筆者にとって、最後の一文は余計だが、“通貨信認教”の熱烈な信者たる日銀に、ここまで言わせしめたのは、感嘆に値する。

江戸時代は、総じて、経済の実論よりも朱子学的な倫理観の方が優先される頭でっかちな世の中であったが、そんな不器用な時代にあっても、実体経済に流通する貨幣量(=消費や投資に直接的に使えるお金)を増やすことが需要不足の解消やデフレ不況脱却に必要だという適切なマクロ経済政策の原理をきちんと理解し、周囲の強硬な反対を押し切って実践する力を持った賢人たちが数多存在した証左でもあろう。

先の資料にも、「幕臣たちは、金銀貨の改鋳による通貨量の拡大を幾度となく進言したが、

元禄の改鋳が一般庶民を苦しめた(※この部分は誤り)ことを熟知していた吉宗は、なかなか首を縦に振らなかった」との記載がある。

“倹約や綱紀粛正こそ将軍の仕事”、というバカげた発想しかなかった吉宗のことだから、さぞや周囲の人間も説得に苦労したことだろうが、やってみれば、“日本経済に「干天の慈雨」のような恵みを与えた”そうだから、改鋳による大規模な財政政策が果たした役割は大きいと言えるだろう。

上記では、一般庶民を苦しめたと腐された元禄の改鋳についても、「江戸時代における改鋳の歴史とその評価(大塚英樹、日本銀行金融研究所/金融研究/1999.9)」という資料では、「当時の経済には相当のデフレ・ギャップがあったと考えられることから、貨幣改鋳は物価をさほど上昇させることなく、実質所得を上昇させる効果をもっていたものと思われる。元禄期における都市の繁栄や町人文化の興隆など、いわゆる元禄繚乱の姿は、貨幣収縮下の経済では現出しなかったであろう。そうした意味で、元禄改鋳は幕府財政を潤すと同時に、経済全体にとってはすぐれたリフレ効果を発揮したと思われる(速水・宮本[1988]」と、正当な評価がなされている。

いまから300年以上も前の日本人に実践できた政策を、平成の世に実行できない理由など一ミリもない。

江戸時代では到底考えられぬほど生産能力や物流能力が飛躍的に発達した現代なら、国債の増発はおろか、政府紙幣を大規模に発行しても、極めて適切な水準に物価を抑えることなど、いとも容易いことだろう。

自動車税率が少々上がったくらいで、売上が十数パーセントも落ち込んでは、軽自動車業界もたまるまい。

そんな苦労をせずとも、漸増的に販売量を増やし、業界全体が売上面の心配をせず自動車の性能アップに邁進できるようなマクロ経済環境を創りだすことこそ、国全体の経済的効用の向上につながるのだ。

いくらでも創りだせるカネを惜しんでいる暇はない。

需要不足による不況がもたらす長期的な技術力や供給力の棄損にこそ恐怖心を抱くべきなのだ。