うずらのブログ

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「幸せへの期待値」を高めることが若者世代に対する責任

新年に、17~19歳の若者世代に関するとある新聞の特集記事を目にした。

記事は、今夏の参議院議員選挙から選挙権年齢が18歳以上に引き下げられることを踏まえて、昨今のハイティーン層(もっとマシな呼び名はないものか…)の意識や行動などを評した内容だった。

記事によると、17~19歳の若者世代110名に意識調査をした結果、安保関連法案への反対運動で一躍有名になった「SEALDs」の活動に「共感する」と回答したのは、たったの17%に過ぎず、「共感しない」が42%にも上ったほか、40%が「知らない」と回答したそうだ。

街頭で10代の若者に聞いたところ、「戦争とか安保法とか、身近じゃない」、「そこまで頑張る意味って何だろう」と軽くいなされたとのこと。

あれだけ世間を(悪い意味で)賑わした現代版の反安保闘争も、若者の手に掛かってしまうと、「知らない(=興味がない)」の一言であっけなく片づけられてしまうものか。

国会前で幼稚なラップを謳って自己陶酔していたバカどもに、今回の結果をぜひ届けてほしいと思う。

当の新聞は、地方紙にありがちな反権力論全開(といっても、経済改革とか緊縮財政の話になると、急に、政権の太鼓持ちに早変わりするのだが…)の論調を売りにしているため、反安保運動に、賛意はおろか、関心すら示さないシラケた若者がお気に召さないようで、記事の後段では、若者叩きに奔走し始める。

“大人との摩擦や衝突を避け、「まじめ化」している(=大人に反抗する(良い意味での)エネルギーがない)”とか“見た目と違ってワルという子もいるし、インターネット系のいじめが増え、目に付きづらい”などと、今の若者が、無気力かつ陰湿化しているかのような印象を与える書き方をしている。

今回の記事の中で、特に、筆者が腹立たしいのは、現代の若者が置かれた社会環境に関する分析のくだりである。

先の調査の中で、今の生活について尋ねたところ、「非常に満足」、「まあ満足」との回答が72%に達したそうだが、この結果を受けて、記事では、北海道大学教授の浅川氏(教育社会学)のコメントを載せている。

浅川氏は、今の17~19歳世代を「満腹世代」と呼び、「高度消費社会に生まれ育った。その気になれば何でも手に入ると考えるから、飢えがない。一方、低成長時代を肌で知っていて、幸せへの期待値が元々低いこともある」と評している。

このコメントを読んで、苦労人を自称する焼け跡世代や団塊の世代辺りの半呆け人間なら、多くの者が、そのとおりだと首肯するのではないか。

「モノが溢れて苦労も不自由もなく育った今の若者は、昔と違って怠惰で贅沢だ」と思い込み、自己の相対的な優位性を保っていたい人間にとって、“今の若者=苦労知らず”というステレオタイプな批判をするために都合のよいカードを手にした気分だろう。

だが、浅川氏のコメントは、長期不況がもたらした世間の厳しい風に直接触れたことがないド素人の極めて画一的な見方だと思う。

端的に言うと、自分の目で現況を確かめもせず、新聞や雑誌に書かれてあった若者に対する印象記事をそのまま引用したかのような、薄っぺらいコピペコメントに過ぎないということだ。

まず、“高度消費社会に生まれ育った”の部分だが、高度消費社会を謳歌しているのは、今の若者に限ったことではない。

高度消費社会なんてものは、それこそ、何十年前の高度成長期から存在していたし、恐らく、江戸時代や室町時代を生きた人間を基準にすれば、列車が走り、洋食文化さえあった明治時代や大正時代だって、目を剥くほどの高度消費社会だったはずだ。

若者が駆使するPCやネット、スマホの存在を以って、“高度消費社会=現代特有の現象”だと定義づけするのは、いくらなんでも無理があるだろう。

次に、“その気になれば何でも手に入ると考えるから、飢えがない。”とのくだりは、とんでもない勘違いである。

これは、“今の世の中にはモノが溢れ返っている”という年長者特有のお決まりのフレーズから発せられた台詞だろうが、これも、先の高度消費社会云々と同じことで、戦後の焼け野原以降、高度経済成長期を経て、我が国は常に「モノが溢れ返っている時代」を過ごしてきたはずだ。

50代後半の浅川氏とて、若い頃にデパートやスーパーに行った折に、様々なモノやサービスが溢れ返っていた光景を目にしたことだろう。

筆者もたいがいな田舎育ちだが、子供の頃に、ちょっとしたスーパーに行けば、商品棚を埋め尽くす商品の数々を目にした覚えがある。

共産国家じゃないんだから、モノが溢れ返っていない時代を過ごした国民なんて、ごく僅かだろう。

時代に応じて、棚に陳列された商品が変化しただけで、いつの時代も物は溢れていたはずだ。

浅川氏の最大の勘違いは、今の若者が“その気になれば何でも手に入る”と思い込んでいる(もしくは、思い込みたい)点である。

小泉バカ政権以降、日本の雇用の質が大幅に低下していることは論を待たないが、いつの時代もその悪影響を真っ先に被ってきたのは若者世代だ。

年代別の非正規雇用の割合の推移を見ると、15~24歳層では2000年の23%(データがあるのは2000年から)から2012年には31.2%、25~34歳層では、1988年の10.7%から2012年には26.5%へと大幅に増えている。

また、2013年のデータでは、大卒者の20.4%、院卒の12.3%が非正規雇用に従事している。

さらに、大卒初任給の推移を見ると、1993年(19万円)辺りまでは右肩上がりで上昇してきたものの、それ以降は伸びが鈍化し、2012年(20万円)までの9年間で1万円しか増えていない

雇用の不安定化と所得の頭打ちに苛まれる若者世代にとって、“その気になれば何でも手に入る”なんていうのは、まったくのデマに過ぎない。

“飢えがない”どころか、欲しいモノがあっても買うお金がない、というのが実状で、目の前に溢れかえる数多のモノやサービスに触れることもできないどうしようもない飢餓感を強要されているようなものだろう。

「今の若者は、溢れんばかりのモノに囲まれて、いくらでも手に入れることができるから、世の中に対する不満もなく、政治に関心もないんだろう」といった、自分基準の勝手な妄想に浸るのは、もう止めにしてもらいたい。

“今の若者は、低成長時代を肌で知っていて、幸せへの期待値が元々低い”なんていう台詞は、低成長時代を放置しっぱなしで、若者世代に碌な世の中を引き継げなかった中高年世代の負け惜しみに過ぎない。

今の若者は満腹などしていない。

将来に対するどんよりとした不安に苛まれながら、「幸せへの期待値」に対する強烈な飢餓感と懸命に闘っているはずだ。