うずらのブログ

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苦悩するの罪人だけでよい

裁判員事件で初の死刑執行 川崎の大家ら3人殺害の津田寿美年死刑囚ら2人 岩城法相が命令』(産経新聞2015年12月18日)

「確定判決によると、津田死刑囚は21年5月30日、住んでいた川崎市幸区のアパートで、大家の柴田昭仁さん=当時(73)=と弟の嘉晃さん=同(71)=夫妻の3人を包丁で刺殺した。」

裁判員裁判により死刑判決が下された事件で、初めて死刑が執行された事例のニュースが大きく報じられた。

とは言っても、バカマスコミ各社の報道ぶりは、裁判員の適正な判断に基づき、社会のクズが処断され、当然の報いを受けた、と歓迎するものではない。

裁判員の苦悩」、「悩みぬいた末の判断、重い胸中を激白」などと、死刑判決を下したことが、裁判員の方々にとって重篤な心理的負担を与えていると過剰に報じ、死刑判決を下すこと自体が悪であるかのように誘導している。

こうした偏見に満ちた報道が、現に裁判員に任じられている方や、これから任じられる方に大きなプレッシャーを与えることは想像に難くない。

なにせ、生真面目かつ小心な日本人のことだから、こうした外部からのプレッシャーに動じて、凶悪事件の被告人に厳罰を科すことを躊躇したり、萎縮したりする恐れが多分にある。

裁判員になって被告に死刑判決を下してしまうと、こんなに後味の悪い思いをさせられるのか」という気になるだけで、正常かつ適切な司法判断を下すのが難しくなるだろう。

本件を報じた毎日新聞の記事でも、『20代の男性は「反省しているように思えたが、いろいろ考えた末の判決。自分たちが選んだ判決でこの人は亡くなってしまうんだとつらい気持ちだった。(判決を)心の片隅に置いて生きていきたい」と振り返っていた。心の負担については「人の命を決めるので、一般市民には重たい決断だった」とした。別の男性会社員も「精神的に大変だった。こういう判断をしていいのかという気持ちもあった」と話した』と、“死刑判決=裁判員にとって心理的に重い負担となる”ことを、これでもかと強調し、暗に、死刑判決を避けるようプレッシャーを与える内容になっている。

筆者は、刑事事件の裁判や量刑に関して、「被告の反省の度合い」が話題になったり、量刑の判断材料になったりすることに、いつも強い違和感を覚えている。

罪を犯した者が“反省したり後悔したりする”のは、至極当然であり、別段、褒めるに値する態度や行為ではない。

刑事罰に問われた者が後悔するのは当たり前のことで、いわば、義務みたいなものであり、それをしたからといってプラスに評価する必要などない。

まったく反省の態度を見せないゴミ屑に対しては、その分だけマイナス評価を加算すればよいだけのことだ。

毎日新聞の記事によると、『確定判決によると津田死刑囚は09年5月、川崎市幸区のアパートで、ドアの開け閉めの音に恨みを募らせ、同じアパートに住む夫婦と大家の男性の計3人を殺害した。裁判員裁判の初公判で起訴内容を認め、被告人質問で「命で償うしかない。死刑囚と思って生活している。申し訳ございません」と謝罪し、死刑を求刑された後の最終意見陳述でも「極刑は覚悟しています」と述べていた』そうだが、こうした態度を“殊勝なこと”と取るか“当たり前のこと”と取るかにより、考え方は変わってくるだろう。

しかし、刑事事件量刑を考えるうえで最も考慮すべきは、事件により最も不利益を被った被害者の不幸や境遇を最大限に憐れみ、それを引き起こした被告を可能な限りの厳罰に処すことである。

そのことが、被害者側関係者の応報感情を幾分かでも和らげるとともに、犯罪という憎むべき行為に対する適切な制裁の在り方を社会に示すことになる。

通常の裁判と裁判員裁判との量刑の軽重を比較した資料によると、性犯罪や殺人に関する量刑13年未満の判決について、裁判員裁判の方が重い量刑を下しているようだが、それ以上の量刑(懲役15年以上、無期、死刑など)については両者とも大きな違いは見受けられない。

http://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_soc_saiban-trialstaff-ryokeibunpu

裁判員に任じられた方は、バカマスコミによる“裁判員裁判=量刑が重い”という間違ったイメージに踊らされることなく、良心や社会常識に照らして、是非とも適正な判決を下してほしいと願う。

そもそも、裁判員制度が導入された意義は、検察が求刑した量刑に対して裁判官が7~8掛けの判決を機械的に下したり、殺人を犯しても被害者が複数でなければ死刑判決を下さないという “永山基準なる自主規制”を許可もなく定め、国民感情を無視し、唾を吐きかけるかのような勝手な振る舞いをしてきた“司法ムラの悪習”を是正することにあったはずだ。

裁判員は、憎むべき殺人事件を犯したクズに死刑判決を下すことに、萎縮したり、注書したりする必要は1ミリもない。

さらに、判決を下した被告の刑が執行されたからといって、動揺したり、衝撃を受けたりする必要などまったくない。

重大な事件がもたらした痛みや苦悩を一身に引き受けるのは、被害者御本人や家族、知人の方々はおろか、何の関係もない裁判員まで巻き込むに至り、そういった関係者に多大な不利益や心理的負担を与えた犯罪者(社会のクズ)だけで十分だろう。