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うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

ダイバーシティという名のコストカット

官公庁の役人の得意技といえば、お役所言葉を使った紋切り型の対応とカタカナ用語の多用による文章の美文化だろう。

特に、カタカナ用語は、毎年のように何処からともなく新語が産み出され、「アメニティータウン」、「イノベーション」、「インキュベート」、「ワークライフバランス」みたいなカタカナ語が、いつの間にか市民権を得ているから不思議なものだ。

ここ最近の流行は「ダイバーシティ(多様化)」だろう。

この言葉自体は、多様な人材、特に女性力の活用により企業のパフォーマンス向上につなげるという「ダイバーシティ経営」から派生したもので、数年前から徐々に使われ始め、平成28年度予算獲得を狙う各省庁の資料や政府の審議会等に提出された資料でも結構使用されている、

だが、政府や官庁が“ダイバーシティ”なる言葉を使う時は、額面通りに受け止めてはいけない。

彼らが意図するダイバーシティとは、“多様化の名を借りた賃金や雇用条件のフラット化”でしかないからだ。

例えば、経産省などは、女性活躍推進のためダイバーシティ経営の推進を謳い、ダイバーシティ経営に優れた企業は「多様な人材を活かすマネジメントの能力」や「環境変化に適応するための自己変革力がある」とし、『ダイバーシティ経営企業100選』なる(誰からも注目されない)制度を創設して表彰している。

また、産業競争力会議辺りの夢想に溢れた資料を眺めていると、女性や外国人の活用を賛美する文脈から、日本式経営に対するアンチテーゼとしてダイバーシティ経営を対比させ、その効率性や先進性を持ち上げている。

ダイバーシティ経営の成功事例として、会議資料で取り上げられた日産とホンダの業績が、いまひとつなのはご愛嬌)

彼らに言わせると、日本式経営は、“年功序列型、生え抜き、日本人、男性中心になりがちなので、それらを無視し、個別に優秀な人材を見つけて引っ張る”ことが重要だそうだ。

しかし、こうした日本式経営の構成要素に瑕疵があるとしても、それらはすべて内的要因でしかなく、経営者の能力と権限を以って改善できる程度の要素に過ぎない。

わざわざ、女性やシニア、外国人(移民)みたいな低コスト人材という“外圧”を使って脅しをかける必要はないはずだ。

本来なら、自社の弱点を見定め、経営者自身のスキルと権限を以って解決や改善に当たればよいだけの話なのだが、自身の経営能力に自信を持てないから、多様化やグローバル化の名を借りた女性や移民の活用のような安易な手法に逃げ込もうとしているだけだろう。

要は、女性やシニア、外国人の活用といった美名の下に、雇用の流動化や人件費の低コスト化を図りたいだけなのだから、「女性が輝く日本」とか「働き方改革」といった綺麗事で誤魔化そうとせず、素直に、賃金コストの低減と解雇の容易化をしたいだけだと主張すればよいではないか。

彼らは、偉そうに、「多様な人材を活かすマネジメント能力」が大切だとほざいているが、“企業に忠実な均一化された日本人男性労働者”ですら、まともにマネジメントできていなかったのに、女性・シニア・外国人(しかも、質の悪い途上国からの移民)のようなワガママ人材の混成チームをマネジメントできる自信があるのだろうか?

ダイバーシティ(多様化)経営を実践したいのなら、国内に1000万人はいる(経済財政諮問会議の資料より)という労働意欲を持つ人材を、なぜ活用しないのか。

多様化とは突き詰めると、個性やスキルの違いであり、性差や年齢差、国籍のみで語るべきものではない。

ダイバーシティ経営を唱える論者が、女性・シニア・外国移民に執着する理由は何か、合理的な説明が必要だろう。

本来、多様化すべきは、国内産業を構成する企業群である。

原料調達から、在庫管理、マーケティング、デザイン、製品加工、流通、アフターサービスに至るまで、無数の企業が複雑に絡み合い連関し合う、一見非効率的に見える産業構造こそが、高品質と信頼を担保する日本製品やサービスの強みを支えてきたのだ。

だが、政府は、国内産業を多様化するどころか、“企業の新陳代謝を促す”と称してゾンビ企業やゾンビ産業狩りに勤しんでいる。

比較優位論を曲解した選択と集中により、生産性や効率の低い企業や産業を切り捨てようとするが、新陳代謝とか選択という軽い言葉の裏に、雇用の喪失や技術承継の断絶という国家的損失が隠れていることに気付かぬフリをしている。

我が国には6000万人以上の就業者がおり、その能力や得意分野等は、まさに千差万別である。

とある企業のエースが、別の企業で同じ能力を発揮できる保証は何もないし、逆もまた然りだろう。

6000万人以上の雇用を守ろうとすれば、スキルとか人材とかいった綺麗事を並べてはいられない。とにかく、あらゆる手を使い、雇用の場を確保しておくことが必要になる。

個々に見れば役に立たないダメ社員であっても、何らかの職務に従事させておく方が、失業させたまま放置するよりも、数万倍は社会的効用があるものだ。

ダメ社員を雇用し続けることは、一見、ムダで非効率な行為かもしれないが、社会を構成するあらゆる階層や能力の人々に、“自分も普通に努力すれば、生活できるだけの職にありつける”という絶大なる安心感を提供でき、ひいては、それが社会全体の安定感につながるのだ。

彼らの雇用と所得を守り続けることが、GDPの柱となる個人消費を支えるとともに、弛まぬ技術革新や改善を産み出し、日本経済の最大の強みである技術力やサービス供給力の源泉となり得る。

厳しい競争やプレッシャーさえ与えれば、技術革新が促進されると考えるのは、雨不足を嘆いて雨乞いするレベルの迷信に過ぎない。

競争と合理化を旨とする欧米諸国の製造業が、軒並み弱体化してしまった教訓を忘れていないか。

ITや医薬、宇宙開発等といった欧米が持つ最後の砦も、早晩、日本や他の中進諸国に取って代わられる日も近いだろう。

日本企業の生産性低下や国際競争力の地盤沈下が叫ばれて久しいが、その要因は、野放図な資本移動の自由化と過度な競争、雇用の流動化や所得分配率の低下による人材の枯渇にある。

政府や企業経営者は、ダイバーシティ経営を盾にした更なるコストカット策に逃げ込むのではなく、高い潜在能力を持つ国内の労働者のやる気や能力をフルに引き出し活用する方向に舵を切り直すべきだろう。