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うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

アベノミクス第二ステージの行く末は第二の敗戦に終わる(生産性革命という後進国根性)

先日、ぼんやりと経済財政諮問会議の議事資料を眺めていると「アベノミクス第二ステージに向けて」という表現が目に入ってきた。

何のことかと資料を読み進めると、アベノミクス第二ステージとは、GDP600兆円にぶら下がった例のぼやっとした3つの的とか、一億総活躍社会なんかのことを指すらしい。

足下の景気は、一向に回復の兆しがなく低迷したままなのに、いつの間にステージチェンジしたのかと訝しんで、首相官邸のHPを見てみると、「アベノミクスは、デフレ脱却を目指して専ら需要不足の解消に重きを置いてきた「第一ステージ」から、人口減少下における供給制約を乗り越えるための対策を講ずる新たな「第二ステージ」に入りました」と記されていた。

個人的に、アベノミクス第一ステージとやらは、消費税増税財政再建計画に固執した緊縮気味の財政運営により大失敗に終わった(2014年度名目GDPは対前年度比+1.4%、実質GDPは同▲1.0%)と断定しているが、官邸サイドは、デフレ脱却に向けた需要不足の解消という所期の目的を達成したと強弁するつもりらしい。

二人以上世帯の消費支出は、ここ12ヵ月間に前年同月比でプラス化したのは、たったの2ヵ月だけで、勤労者世帯の実収入ベースでも、同じくプラス化したのは5ヵ月間だけという厳しい状況が続いている。

個人消費はGDPの6割を占めると言われるが、その源泉たる実収入が増えない以上、消費が増えるはずがない。

そして、個人消費が増えない以上、需要不足が解消されるはずもない。

よって、官邸サイドによる「需要不足の解消を目的とするアベノミクス第一ステージからの卒業宣言」は全くのウソやデタラメということになろう。

安倍政権が、済ませてもいない宿題をさも終えたように装うのは、苦手な科目(需要不足を解消するための財政金融政策)から逃げ回り、好きな科目(供給サイドの強化と改革ごっこ)に専念したいからであり、そのためには、勝手にステージチェンジを宣言することも辞さないということだ。

11月4日に行われた第17回経済財政諮問会議の議事要旨を読むと、これまでGDP600兆円という目標設定に懐疑的だった経済界も、急に政権にすり寄り、「600兆円は実現できるという感覚を共有できる躍動感が、なお一層必要なのではないか」という具合に、気持ち悪いほどのおべんちゃらを並べ立て始めたことが判る。

会議では、GDP600兆円は必達目標というくらいの意識共有がなされた(麻生財務大臣以外にノリが悪い者はいなかった様子)ようで、珍しく、“異次元な施策”を打つべしとの発言もあった。

しかし、残念ながら、目標達成のための手段として挙げられたのは、賃上げ要請や最低賃金の引上げ、パートの配偶者控除額の200万円への引上げ程度のショボイものばかりで、それどころか、どさくさに紛れて法人税の20%台への引下げのような全く無意味な施策も潜り込まそうとするありさまだ。

提案された賃上げ率は、年3%を最低5年間続けるべしというものだが、こんなものは、会議に諮る以前に、財界サイドが先陣を切って取り組んでおくべきものだろう。

国家のお墨付きを得ずとも、賃上げくらい自分たちの意志でやればよいし、賃上げだけでなく、下請け企業への適正価格での発注(=下請けイジメの厳禁)にも、率先して取り組むべきだ。

さらに言えば、年3%程度の賃上げなどと甘っちょろい目標に安住せず、8~10%くらいの高水位な目標が必要だろう。

20年以上にもわたる長期不況のせいで、消費者の手元資金(フロー)はすっかり枯渇し、将来に対するマインドも冷え切っている。

これを融解させて、前向きな消費や投資行動に移らせるには、生活物資の値上がりや増税による負担感を軽く凌駕するようなインパクトが欠かせない。(無論、消費税を全廃するのが望ましいのだが…)

誰しもが収入増加を実感でき、この先も雇用の安定と収入増加を確信できるような経済環境の実現を目標にすべきだ。

だが、安倍首相は、真逆の方向に向かって全速力で突っ走ろうとしているようで、先月に行われた第24回産業競争力会議でも、

『農業や医療やエネルギーといった岩盤規制の改革を中心に、抜本的な改革を実現しつつある。

成長戦略は新たなステージに入る。その鍵は生産性革命である。人材やITへの積極的な投資を喚起してまいる。同時に、働き方改革や大学改革によって未来を切り開く人材を生み出してまいる。

生産性革命は全国に波及させてまいる。農業や観光、医療、健康管理など、地域の産業改革をしていく。併せて、地方が国内外からの投資を呼び込む取り組みを支援する。』

と熱弁をふるっていた。

あいかわらず、100年経っても変わらぬ改革病に憑りつかれているようで、「規制緩和・改革・生産性・外需」といった空虚な言葉を連呼し、自己陶酔している様子が窺える。

最も苦笑を禁じ得ないのは「生産性革命」とやらが、技術革新や設備投資、製造コストダウン、生産工程改善のようなサプライサイド強化の文脈で語られていることだろう。

「生産性」をはじき出す公式には、何らかの形で“生産量や生産額”という因子が含まれていることと思うが、それらの多寡を決めるのは、あくまで、生産の要因あるいは目的としての「需要」であり、生産性といえども、需要の束縛から逃れることはできない。

つまり、中国みたいな需要を度外視した過剰生産をも厭わない狂国は別として、“需要を無視して生産性を語ることなど出来ない”、表現を変えると、“生産性向上が新たな需要を創造するという発想は、前近代的な時代遅れの思考である”と言うべきだろう。

経済財政諮問会議産業競争力会議は、元々、新自由主義者の巣窟であり、そこでGDP600兆円の目標が掲げられたり、賃上げが提案されたりしているからと言って、彼らのベクトルが変わったと勘違いしてはならない。

彼らの目的は、あくまでも、「規制緩和・外需依存・緊縮財政」を柱とする改革ごっこに興じることであり、それらをスマートに実行できるよう、賃上げや最低賃金の引上げのような耳触りの良いセリフを撒き餌としてバラ撒いているだけのことだ。

本気で賃上げしたいのなら、財務官僚を捻り上げて、その原資となる大規模な財政支出を認めさせ、ケチな財界もそれを後押しすべきだ。

政官民が一体となり、緊縮財政の元凶である財務官僚を攻めたてて、彼らに、日本の実体経済復興プランを立案させるとともに、大規模かつ長期に亘る財政金融政策に対する踏み絵を国民の前で踏ませるくらいのことはすべきだろう。

そういった“異次元の施策”を断行して初めて、国民のマインドも変わろうというものだ。