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うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

デフレに関する勘違い(緊縮&改革編)

いつ終わるとも知れぬ不況に覆われた我が国だが、それを克服するには、
①不況の主因が実体経済における総需要不足にあること(金融市場のマネーの量は大した影響なし)
②総需要不足を解消するために、大規模かつ長期的な財政金融政策を実行し続け、家計や企業のフローとストックを改善すること
実体経済に投じられた所得の外部への漏出や特定の階層への偏在を防ぐため、不要な構造改革規制緩和を見直すこと
④②③により家計や企業に前向きな“インフレ期待”が生じさせ、消費や投資を活性化させ続けること 等といった手順が基本になるだろう。

前々回、前回とデフレに関するリフレ派やエセ分配信者の主張を取り上げ、そこに内在する根強い勘違いや過ちを指摘してきた。

リフレ派は、曲がりなりにも“リフレーション(通貨再膨張)”を名乗るだけあって、建前上はデフレを「否」とする立場で、金融緩和政策を主体(ほぼ100%と言ってもよいが…)とし、そこから派生する(はずの)インフレ期待や円安効果、資産効果によるデフレ克服を図ろうとしている。

彼らに足りないのは、どんな手段を用いても、一秒でも早く不況を克服しようとする強い意志と苦境に怯える庶民や中小企業に対する温かい眼差しである。
金融政策の優位性を脅かされまいと、デフレ克服に最も即効性のある財政政策、特に、公共事業を敵視し、実体経済へ直接的に資金が投入されるのを忌み嫌うようでは、不況克服に対する本気度を疑われても仕方があるまい。

もう一方のエセ分配信者は、リフレ派よりタチが悪い。

彼らは、口先では、庶民の生活を何とかしろ云々と叫んでいるが、その中身は、消費税の廃止や労働条件の改善という取って付けたような内容で、庶民の財布の中身を増やして、その生活力を劇的に向上させようとする意欲的な提案は皆無である。

それどころか、庶民にとって間違いなくプラスになるはずの経済成長や公共事業は信用できない、不要だ、と主張するありさまだ。

さらに、物価安は庶民の利益とばかりにデフレを是認したかと思えば、日本は供給力が多すぎるから削れと支離滅裂な主張を繰り返している。

彼らの頭の中は、自分が気に食わない論者に対する私怨を晴らそうとする情念で一杯になっており、デフレの是非を正確に論じる能力どころか、経済の本質を捉える力が決定的に不足している。


さて、前置きが長くなったが、今回は、こうしたリフレ派やエセ分配信者以上に、デフレ不況に無関心な連中のことを採り上げたい。

正確には、“デフレに無関心”というより、“経済そのものに無関心で、家計や企業会計の発想から国の借金や財政赤字、インフレを忌み嫌っている”と言うべきだろう。

一般的に、財政再建原理主義者とか構造改革規制緩和主義者といった層がこれに該当するのだが、恐らく、国民の大半がこのカテゴリーに分類されるのではないか。

彼らは、経済の外部性の有無を無視して、自分の価値観や物差しでしか物事を捉えていない。
端的に言えば、“マクロ経済”という概念を持ち得ていない。

だからこそ、「借金や赤字=絶対悪」という固定観念に捕らわれ、「財政政策=借金と不正を増やすだけのムダ」、「金融政策=何のことか解らない」というレベルから抜け出せない。
そして、借金まみれの日本は破たんする、とか、人口が減る日本はこれ以上成長できない、と信じ込み、“もう成長はムリ、日本人は身の丈に合った生活をすべき”とトチ狂った主張をする。

彼らに言わせれば、“デフレの何が悪いのか、日本は世界一の借金王で、庶民の生活は苦しい、インフレなんてトンデモナイ”といったところだろう。
「デフレに関する勘違い」どころか、そもそも、デフレそのものを真剣に考える気がまったく無いのだ。

“政府や役人はムダ遣いばかりしている”と文句を垂れる新橋駅前のサラリーマン、“口を開けば私たちの税金云々”と目を吊り上げる意識高い系の主婦、“(自分たちの年金を削る気はさらさらないが)孫の代まで国の借金が残る”と要らぬ心配ばかりして新聞の読者欄に投稿する暇な高齢者等々、デフレ無関心層(=インフレ反対論者)はそこら中に溢れている。

この手合いは、現状に不満を漏らすことはあっても、それを改善しようとする意欲が足りない。
不況を克服するために財政赤字を膨らまさざるを得ないなら、前に進もうとするよりも、自分の不満を抑え込み我慢することを選択する、だから、いつまで経っても不況から抜け出す糸口すら掴めないし、増税規制緩和を推進する連中にコロリと騙されるのだ。

デフレとか不況の克服に無関心な連中に、“そもそも論”を吹き込もうとしても時間の無駄だろう。
彼らは、何があっても不況の原因になんて興味を持とうとはしないし、赤字やインフレに対する嫌悪感を捨てようともしないだろうから、“現状への不満→赤字や借金への嫌悪→我慢→更なる不満の蓄積…”というデフレスパイラルにも似た生活レベルの縮小均衡から抜け出すことはできまい。

そこに待っているのは「身の丈に合った生活」どころか、年々レベルダウンする生活環境に身の丈を合わせ続けなければならない不毛な将来だけだろう。