うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

デフレに関する勘違い(エセ分配信者編)

長引くデフレ不況の弊害により、実体経済が疲弊し中間層が破壊され、GDPが停滞を続けているが、不況の主因が「デフレを放置し続けたことによる総需要の不足」にあることをきちんと理解している者は非常に少ない。

日本が不況から抜け出せないのは、財政赤字や無駄な公共事業のせい、あるいは、金融緩和が足りないせい、構造改革規制緩和が足りないせい、グローバル化に乗り遅れたせい、などとまったく見当違いな方向に八つ当たりするバカが圧倒的多数を占めている。

デフレによる総需要不足という当たり前の事実に向き合おうとしない限り、我が国が不況の底から抜け出す手立てを見出すことはできないのだが、上記のような旧来型の勘違いに加えて、最近では、デフレに関する新種かつ珍種の勘違いが出没するようになった。

新たに発見された珍種は、「庶民への分配派」を自称し、

・庶民への分配

・物価安の是認(=デフレの容認)

・多すぎる供給力の削減

を叫び、

それを実現する具体策として、

①消費税の廃止

②労働者の権利保護(バカンス推奨、残業禁止、ワークシェアリング

を訴える。

だが、その一方で、GDPや経済成長に対しては、必ずしも庶民に行き渡るとは限らないと屁理屈を並べて頭ごなしに否定する奇妙な一面を持っている。

彼らは、当初、財政金融政策、特に公共事業の実施に強く反発する形で持論を展開し、ベーシックインカムや給付金による庶民の救済を口にしていたが、財源や乗数効果の側面から強く批判されると何の反論もできずに、たちまち論を撤回し、何食わぬ顔で、税と労働条件に鞍替えしてしまった。

また、本当に庶民の懐を温めるつもりなら、最も重要な収入自体を増やす方策が必要であり、ベーシックインカムや無税国家論まで踏み込むべき、と指摘されると、慌てて、中途半端な無税国家論に言及するありさまで、見苦しいことこの上ない。

肝心の「庶民への分配」も、お金が無理ならコメや野菜でも可、ただし、財源や手段、規模などは一切不明、といういい加減さで、こんなザルみたいな主張を展開しても、恐らく、当の“庶民”には何も伝わるまい。

庶民の生活が苦しいのだから物価安を歓迎すべきと主張し、デフレを容認するが、

・多くの庶民は消費者と労働者の二面性を持たざるを得ず、行き過ぎた物価安は、企業業績の悪化→庶民の収入減少→デフレ予想→消費の減退→実体経済の悪化という負のループを演出し、庶民生活の破壊を招くこと(※この程度の基本は、さすがに、前回のエントリーでも取り上げた世間知らずのリフレ派ブロガーでも理解しているようだが…

http://ameblo.jp/hirohitorigoto/entry-12080548887.html

・マクロ経済は、家計や企業、政府、海外等の経済主体が互いに複雑に連関しあい、収入と支出という行為を通じてお金が絶えず循環していること

などといった経済の基本を全く理解できていない。

まるで、自分の財布の中身しか見えていない小学生のような幼稚な発想に呆れるよりほかない。

さらに、物価安はOKとデフレを容認しておきながら、“デフレになるのは供給力が多いせいだ、供給力を削れ”とデフレに反対する、しかも、需要力をUPさせるのではなく、日本の強みであるはずの供給力を削るというバカげた主張をするから支離滅裂としか言いようがない。

供給力の削減は、雇用の場の縮小や勤労者収入の削減、技術力やサービス力の低下に直結する最悪の手段だ。

普通の庶民は、非正規雇用ばかりでまともな職がないことを嘆いているのに、ワークシェアリングという事実上の非正規化促進策を訴えるなど、バカとしか思えない。

供給力が多すぎるのではなく、高度に発達した供給力に見合うだけの需要力が足りない、すなわち家計や中小企業の実収入(売上・利益)が不足している、というのが正しい考え方であり、いやしくも庶民派を気取るつもりなら、それを増やす方法こそ提言すべきだろう。

だが、自称分配派の主張には、庶民の懐を温めようとする(=収入を増やす)本気度が決定的に欠けている。

年収が200万円とか300万円しかなく、カツカツの生活をせざるを得ない庶民の願いは、何よりも収入の増加だろうが、自称分配派はそれを善しとはしない。

ちなみに、総務省の「就業構造基本調査」における転職希望理由で多いのは男女ともに「収入が少ない」であり、リンクモンスター社の「離婚したくなる亭主の仕事調査」によると、不満で最も多かった理由は「給料が低い(78.7%)」だったそうで、庶民のニーズが収入UPにあることが解るだろう。

彼らは、こうした現実を顧みようとせず、消費税の廃止による年間10~20万円程度の実収入増は認めても、大規模な財政政策や公共事業による実体経済の活性化による雇用の増加や労働条件の改善、恐らく100万円単位での収入UPは絶対に認めない、という矛盾を垂れ流したままである。

また、彼らの主張する残業廃止や休暇取得の促進なども、財政政策や経済成長とは別次元の労働規制の問題であり、公共事業の実施とトレード・オフの関係で捉えること自体が間違っている。

自称分配派の主張の起点は、財政金融政策(特に公共事業)を主張する論者への怨恨にあり、その口から出てくる主張の数々は、私怨の対象者へのカウンター行動でしかない(この点はリフレ派もほぼ同様)から、主張の軸が直ぐにブレて、ちょっと反論されると持論を二転三転させる。

要するに、「庶民」とか「分配」という言葉を隠れ蓑に利用して、気に食わない論者の足を引っ張るだけの小人に過ぎない。

彼らは、デフレの意味を勘違いしている、と言う以前に、経済の基本的な仕組みや社会構造そのものを勘違いしている、といった方が正確かもしれない。

現実の日本経済はリセッション入りの様相を呈しているが、この後、エセ分配論が、どのような退化を遂げて行くのかを楽しみにしている。