うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

「自由貿易・競争・外需」を過度に持ち上げる前時代的思考

先日、日米など12カ国による環太平洋経済連携協定TPP)交渉が大筋合意したと報道されたが、安保関連法案の時のような大きな反対の声は巻き起こっていない。
それどころか、バカマスコミの連中は、旧来型の規制を取り払う良い機会だ、関税撤廃まで十分な期間を設けており農産物等への影響は軽微だ、輸入物価が下がって消費者の利益につながる、輸出振興型の稼ぐ農業に転換すべきだ、などとTPPを好意的に捉える報道が目立つ。

筆者も知り合いの農業関係者にTPP対策の様子を聞いてみたところ、彼曰く、感度の高い大規模農家は、既に数年前から対策に取り組んでおり、自社商品のブランド化や域外、海外輸出に取り組んでいるから大した影響はない、と自信あり気に答えていた。

ついでに、対策をきちんと取れている農家の割合はどれくらいか、対策を取れていない農業者に悪影響は無いのかと尋ねたところ、彼は、対策を取っているのは農業者の中でも限られた者だけだ、大半の農家はTPPによる輸入攻勢の前になす術もないだろうが時代の流れだから仕方がないよ、と平然と言い放っていた。

TPPの例に限らず、世の中には、筆者の知り合いのように、マクロ的な視野を忘れて、ごく一部でしかないミクロの好事例を論拠として、あらゆる経済的な事象を判断しようとするタコツボ評論家で溢れている。
社会に出たことがない高校生みたいに、業界に一つでも先進的な事例があり、他もそれに倣って努力すれば、全てが上手く行くハズだと思い込んでいるから、呆れるよりほかない。

TPPがもたらす国益の棄損や国内産業への悪影響などに関しては、既に多くの論者から数々の有益な持論が公開されており、そちらを参考にしていただくとして、今回のエントリーでは、TPPのように幼稚で有害な規制撤廃万能論や時代遅れの自由貿易論が跋扈する要因に触れてみたい。

さて、我が国は、輸出入総額がおよそ160兆円にも達する世界第4位(輸出入ともに)の貿易大国である。
しかし、こうした事実を顧みようとせずに、いまだに日本が閉鎖的な鎖国政策を採っているかのような妄言を撒き散らす者が後を絶たない。

TPP推進派の連中こそ、こうした時代遅れの開国論者であり、“グローバル化は世界の潮流”、“TPPは中国への牽制”、“成長するアジアの需要を取り込む”などといった妄想に駆られている。

彼らの特徴は、
① 狂信的な自由貿易崇拝(日本市場は閉鎖的だという妄想)
② 根性論的な競争崇拝(厳しい環境と競争こそが進歩をもたらすという幻想)
③ 前時代的な外需崇拝(海外にモノを売ってこそ一人前という開国前夜の発想)
という3点に凝縮される。

まず、①の狂信的な自由貿易崇拝の精神的支柱ともいえる「比較優位論」だが、D・リカードが提唱した比較優位論は、「自由貿易において各経済主体の自身の得意な分野(より機会費用の少ない財の生産)への特化でそれぞれの労働生産性が増大されて、互いにより高品質の財やサービスをより多く消費できる様になるという利益を享受できること(ウィキペディアより)」と説明される。

これを、勘違いしたまま、『コンビニでサンドイッチを買う場合は、サンドイッチの材料の作成、調達、サンドイッチの製造、そして流通、販売と、それぞれの業務を得意としている業者や作業者が分担して作業を行っています。要するに、小麦粉を作る人、卵を生産する人、材料を流通させる人、サンドイッチを作る人、サンドイッチを顧客に提供する人、それぞれの仕事を比較優位としている人がその作業に専念することによって、仕事が効率化、生産性が向上して、200円でサンドイッチを手に入れることが可能な社会が実現できているというワケです(http://ameblo.jp/hirohitorigoto/entry-12080999363.html)』などと、絶対優位を比較優位だと得意げに説明している愚か者(単なる作業分担と比較優位論を混同)には失笑するしかないが、この比較優位論が、国際分業や自由貿易論を支える重要な論拠になっていることは疑いようがない。

世界中で膨大な量の原材料や資本財、物品などが行き交う現代社会において、自由貿易を頭ごなしに否定できる者などいないだろうが、問題は、その『自由の度合』である。

「自由=オールフリー」ではない。

国内産業の保護育成のため、そして、国民の生活や権益を守るため、そこには自ずと一定の制限や規制が必要になることくらい、社会生活を送る者なら容易に理解できるはずだ。

消費者の利益は、モノを安く買えることだけではない。
安定した雇用の場と十分な所得を得る就業機会こそが消費者の利益だろう。
豚肉やパンを安く買えても、給料が下がり失業してしまっては元も子もない。

自由貿易は、あくまで、一国の産業を上手く稼働させ、国民生活の質の向上を実現させるための最低限の便宜や手段であって、絶対善として信仰の対象にすべきものではない。

だが、狂信的な自由貿易論に没頭するあまり、比較優位論を悪用して、あらゆる生産やサービスを国際分業体制の下に置き、国内産業や雇用の保護を蔑ろにしようとするバカがいるから困る。

日本には6,000万人以上の労働者がおり、それら膨大な量の労働者にまともな雇用の場を確保するためには、グローバル競争どころか、逆に、国内産業の保護育成こそ急務であり、輸入物資の内製化に注力する必要があるだろう。

国際分業体制とは、グローバル化を想起させる耳障りのいい言葉だが、その実態は、複数のベストシナリオ同士を微妙なバランス上で繋ぎ合わせた脆弱且つリスクの高い体制だとも言える。
以前に起ったタイの大洪水や東日本大震災で自動車の部品工場がストップし、自動車自体の供給が全面的にストップしてしまったように、自然災害や人為的なミスにより生産工程や部品の一部にでも欠陥が生じると、たちまち世界中の生産機構がストップするリスクを常に孕んでいる。

調子に乗って比較劣位な産業を保護せずに国内から排除してしまうと、産業構造や就業構造が非常に歪な形となり、国家としての脆弱性が高まることになる。
国際分業を極度に進めてしまうと、比較優位な産業のみが残りがちになり、国民の労働スキルや科学技術スキルの範囲もそういった産業に関連するものが優先され、産業構造だけでなく教育や研究構造までもが歪になりかねない。

世界でも類を見ない幅広い産業分野に多くの有能な人材が満遍なく散らばっていたのが、日本の高度なものづくりや卓越したサービス提供力の源泉なのだが、行き過ぎた国際分業信仰は、そうした強みを自ら捨て去る愚かな選択だと言える。

ウィキペディアの解説によると、「比較優位とは、各経済主体が得意な分野を発展させようとすることで、交換の利益を介して互いに生活水準を向上できるようになることを示す理論」だそうだが、TPPのような過度な自由貿易や国際分業は、デフレを促進させ、労働界層の雇用や所得の縮小をもたらすものであり、比較優位論が期待する“交換の利益”自体を奪い去るものであることに気づくべきだろう。

続いて、②根性論的な競争崇拝と③前時代的な外需崇拝にも触れておく。

今回のTPP騒動でも、経済からよく聞かされるのが、「保護されるだけの農業から稼ぐ農業へ」という妄言である。 激烈なグローバル競争に身を置いている(つもりの)民間企業の目には、閉鎖的な農業界が疎ましく映るのか、しきりと、農業改革や輸出振興を叫ぼうとする。

だが、現実には、イオンやイトーヨーカ堂ワタミキューサイなど数多の大手企業が、農業に革命を起こすと息巻いて、何年も前から農業に参入してきたが、それらは、ことごとく失敗に終わっている。(せいぜい、自社の売り場に並べる野菜をチマチマ生産する程度に止まっているのが実状)

農業は、素人や外野が思うほど簡単な産業ではない、努力や根性だけで野菜が育つほど甘い世界ではないということだ。

作物一つをとっても、種苗の育成から輪作障害対策、施肥技術や病害虫対策、収穫時期の見極めと作業の効率化、保管技術、輸送技術まで、気が遠くなるほど膨大な量の知見や経験、科学的なデータの蓄積と分析が必要となるうえに、常に自然災害の脅威にも晒される非常にリスクの高い事業でもある。
しかも、それらの膨大な作業を作物ごとに行わねばならず、現場を知らず土を触ったこともない大企業が軽いノリで参入して成功するほど甘いものではない。

また、高付加価値な農畜産物を成長するアジアに売り込めなどと理想論を語るバカもいるが、日本最大の農業王国たる北海道の農業者が、デフレ不況期に進められた貨物列車やフェリーの減便の影響をモロに被り、コスト高故に海外はおろか本州への輸出さえままならない実状を理解しているのだろうか。

輸出したり、付加価値を付けたりしたくとも、船積みするための港湾設備は老朽化し、運搬に使うフェリーはなく、製品に加工するための工場設備さえ無いのに、どうやって売り込もうというのか。

そもそも、「高付加価値な農畜産品を売る相手=外国人」という発想自体が間違っている。
高付加価値なものを日本人が消費してこそ国内の経済的効用が最大化し、域内循環も活性化するはずだ。
安倍政権お得意の“地方創生”とは、本来、こういった域内循環で経済を活性化させることではないのか。

実際に海外にモノを売っている業者に尋ねてみたが、中国やASEANの成長というのは、ほんの一部を切り取った幻想で、高級品を買うのはごく一部の階層に過ぎず、その実体は価格競争ばかりで、物珍しさから一度は購入しても継続的な購買にはつながらない厳しい世界だと聞いている。

曲がりなりにも、中国やASEANなどの一部で高級品が売れるのも、海外諸国の平均所得が伸びているおかげであり、我が国でも、適切な財政金融政策を実行して、国内の所得を伸ばし、内需を活性化すれば、高いコストを払ってわざわざ海外で行商する手間もかからないはずだ。

21世紀にもなって、いまだに開国前夜の海外信奉思考が抜けきれない時代遅れな連中には開いた口が塞がらない。
彼らは、信仰の対象を欧米諸国からアジアに変えただけで、お上りさん根性を曝け出し、「海外に打って出ろ」とか「成長するアジアを取り込め」と叫び続けている。

だが、国家の歩むべき進路は、国民が主体的に選択し続けるのが大原則である。

政治的、経済的制御の利かない外需に身を委ねるような極めてリスクの高い外需依存型の経済構造から如何に素早く脱却できるか、資本主義の崩壊を招きかねない過度なグローバル信仰と決別できるか、そこに気づける国だけが、先進国として生き残っていけるだろう。