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うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

『価値観』を共有するということ

かれこれ半年も前のことになるが、今年3月に、日本政府は外務省のHP2015年版の外交青書に記載する韓国に対する表現を、「価値観を共有する国」という文言から、「最も重要な隣国」という表記に格下げした。

それまでの「自由、民主主義、基本的人権などの価値を共有」という表現が削除され、何かと反日的恣意行動を繰り返す韓国に対して、今後の同盟関係の維持に疑義が生じたことが窺える。

 

国と国との関係は無論のこと、個々の経済政策論議においても、この「価値観の共有」というのは、とても重要なポイントだ。

 

最近の経済論壇は、一見すると、プロであれ素人であれ、細かな論点や相違点を巡って喧々諤々の論争を繰り返しているように見えるが、個々の争点の乖離は端から見るほど小さなものではない。

 

筆者は、「経世済民」を目標とし、それを実現するための手段として「機能的財政論」を採る立場にある。

そして、経済認識に対する個人的な「価値観」は、平たく言うと次のようなものになる。

 国民が安全かつ安心して暮らせ、今日より明日の生活環境が常に向上するような世の中を実現すること

 国内企業が安定的かつ十分な収益を得て絶えず技術やサービスの向上に努めることができる経済環境を実現すること

 ①②を担保するための国土や社会基盤を強靭化すること

 

こういった大目標を実現させるためには、実体経済を中心とする内需主体の経済基盤の創出が不可欠であり、そのためには、積極的な財政政策と、それを支える機動的な金融政策によるポリシー・ミックスが必要である。

 

こうした経済政策の背景として、常に成長を続ける経済基盤を前提としているが、そのためには、税だけに頼らない「成長の原資の多様化」が必須であり、これが「機能的財政論」の発想(筆者の場合は、「政府紙幣の活用と国債の増発」が軸になるが…)につながっている。

 

更に、実体経済に遍く富や所得を浸透させるために、裾野の広い頑強なピラミッド構造が必要であり、特に、所得構造の中下位層に対して、富の適切な配分がなされる雇用・労働政策や税制改革が絶対に欠かせず、こうした社会的安全装置を破壊する質の悪い規制緩和構造改革には強く反対する。

 

経済論議や政治論議をする際には、こうした基本的な価値観を基盤として、個々の問題について互いに批判や受容を繰り返すことになるが、先ず、世論の大半を占める財政再建派や構造改革派(この二派間に大きな争点はないが…)と経世済民を目指す者との間には、「国民生活の向上」という大目標を巡って既に埋めがたい大きな溝があり、双方のベクトルが同じ向き方角を指すことはないだろう。

 

彼らは、日本の将来を悲観して、未来に対する責任から逃避し、国民の貧困化など歯牙にも掛けずに、縮小均衡グローバル化依存を柱とする“身の丈経済論”を蔓延させようとしている。

こうした役立たずの無抵抗主義者や諦観論者とは、そもそも価値観を共有することなどできるはずがない。

 

だが、広い世の中には、リフレ派(金融政策万能論者)や分配信者(税制偏重気味の分配万能論者)の連中みたいに、一見、同じような価値観を共有していると誤解しがちな者がいるから、話がややこしくなる。

 

彼らは、口先では、リフレーション(通貨再膨張によるデフレ脱却)や国民(庶民)への富の分配を訴えており、経世済民を目指す論者とのベクトルに矛盾は生じづらいように思えるが、現実には、彼らの目標や経済政策に対する姿勢との距離感は、想像以上に大きく離れている。

 

先ず、リフレ派だが、彼らの大きな問題点は、国民生活の向上よりも、持論や学術的論理性の正しさを優先させようとする点にある。

 

安倍政権になってから、事実上のインフレ・ターゲット政策が採用され、二発の黒田バズーカ砲による異次元の金融緩和政策が実行されているが、それらがもたらした過度な円安により生活物資が大きく値上がりする一方で、勤労者の所得やサラリーマンの平均給与等は伸びを欠き、生活に困窮する者も多い。

 

日銀が行った「生活意識に関するアンケート調査(20156月調査)」でも、現在の暮らし向きに対して、「ゆとりが出てきた」という回答は4.5%でしかなく(前回調査よりは若干増えてはいますが…)、「どちらとも言えない」(49.1%)や「ゆとりがなくなってきた」(46.2%)という回答が圧倒的に多い状況に変わりはない。

 

財政支出を絞った金融政策偏重気味の経済政策では、せいぜい現状維持するのが限界で、力強い成長や生活環境の改善など望むべくもないことが解る。

 

異次元の金融政策といっても、あくまで金融市場を刺激するものに過ぎず、所得になるお金を実体経済に直接的に投じるわけじゃないから、積極的な財政政策なくして所得や雇用が改善しないのは当然だろう。

 

金融政策は、十分過熱した景気が落ち込まぬよう財政政策を下支えするのが本分の経済政策、つまり、勝ち試合でしか出番のないリリーフエースみたいなものであり、長期デフレからの脱却という泥臭い負け試合を挽回せねばならないような大役を任せるには、そもそも役不足なのだ。

 

だが、こうした都合の悪い現実から目を逸らして「変動相場制を採る日本において、財政支出一辺倒の経済政策でデフレ脱却は不可能だ」なんて強弁している周回遅れの金融政策万能論者がいるから、呆れるよりほかない。

彼らは、日本が変動相場制に移行して40年以上も経ち、その間、経済成長できたのは、積極的な財政政策を打った時期だけだった、という事実を認めたくないようだ。

 

 

最後のおまけに、分配信者の面々にも触れておく。

 

彼らは、財政政策、特に公共事業に対する批判を基に、ここ数か月の間に急速に増殖した感があり、当初は、ベーシック・インカム論を中心に、雇用や労働環境の改善、税制の改善などを訴える“フリ”をしていた。

 

しかし、何の具体策や数値目標も示さぬまま、ひたすら庶民への分配を訴えるだけで、地方経済の活性化や庶民の雇用環境の改善、所得向上に大きく貢献するはずの公共投資に対しては、なぜか頑強に反対し、あろうことか経済成長自体までも否定する始末であった。

 

そして、幼稚な矛盾点を各方面から指摘されると、たちまち逃げ腰になり、「必要な公共事業まで否定しない」とか「本来なら、ベーシック・インカムなんて必要ない」などと言い訳を繰り返した挙句に、「消費税廃止・サービス残業廃止・失業者への保障、雇用創出」という新三本の矢に打ち出し、体裁を取り繕っている。

 

彼らの言う「庶民」の定義は定かではないが、仮に年収300万円未満の層だとしておこう。

こうした層の消費税負担額は、税率を8%とした場合に、みずほ総研の試算によると、年間で15万円くらいになり、消費税率が10%に引き上げられると、19万円くらいになると推計される。

 

この点に関して、前述のリフレ派は、“財政政策を否定しない”という逃げ口上の証として、消費税率の引上げ反対や5%への減税を口にしているが、それだけでは、どんなに頑張っても、税率5%もしくは8%なりの経済水準、つまり、GDP500兆円前後を行ったり来たりするような大停滞時代から抜け出すことはできないだろう。

 

消費税率が5%に引き上げられた1997年以降、日本経済が長期デフレに陥り、8%に引き上げられた2014年にはアベノミクスの神通力も剥落しGDPがマイナス成長に落ち込んだことを踏まえると、消費税率を引き下げただけの一本足打法では、重度の経済停滞病を患っている日本経済を復活させることは不可能だ。

 

その点、分配信者の唱える消費税廃止論は、リフレ派よりも一歩踏み込んだ主張だと言えるが、首尾よく消費税が廃止されても、年収300万円の貧困世帯にとって年間20万円足らずの実質的な収入増にはなるだろうが、それだけで、本当に彼らの生活が救われるのだろうか?

 

彼らが貧困に喘がざるを得ない原因は、何よりも、年収の絶対額が少なすぎることにある。

無論、“モノが高すぎる”という悩みもあるだろうが、大本の所得水準を、せめて、500万円とか600万円くらいに引き上げてやらない限り、根本的な解決には至らない。

 

本来なら、分配信者の主論は、こうした貧困層の雇用の拡大と所得引上げ、更に、その具体的な手法の模索に軸足を置くべきで、大規模なかつ長期的な財政政策を通じた実体経済への富の分配やベーシック・インカム論などを強力に主張すべきだろう。

 

だが、彼らは、最も効果の高い公共事業を拒否し、富の配分が不透明だと経済成長まで頑なに否定する有様で、てんで話にならない。

 

分配信者は、あちこち彷徨った挙句に、税制論議や失業者保護に逃げ場を見出したようだが、庶民の懐を温める最善策を放棄したまま、税制や雇用の問題に議論を矮小化するようでは、所詮は、“庶民の生活向上に対する情熱や真剣さを欠くエセ分配論”に過ぎないと蔑まれても仕方がないだろう。

なぜなら、彼らのやり方では、どんなに頑張っても、貧困世帯の所得を十分に増やすことはできないのだから…

 

リフレ派や分配信者に共通するのは、経済成長や国民生活の向上のための最善策を異様なまでに嫌悪し、効果の怪しい弥縫策や次善の策にこだわる点である。

 

こうした彼らの奇妙な態度を評して、“経世済民を目指す立場と大まかなベクトル(価値観)を共有している”ととるか、“彼らの行動原理は、国民生活の向上ではなく、経世済民や財政政策に対するカウンター行動や私怨に過ぎず、むしろ財政再建派や構造改革派との親和性が高い”ととるか、については、意見が分かれるところだろう。

 

筆者は、長らく彼らのバカげた行動や意見を冷静に観察した結果、間違いなく『後者』に該当すると結論付けている。

 

ベクトルの向きが根本的に違う相手とは、価値観を共有することなどできるはずがない。