読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

財政再建を目的とする全ての経済政策は『失敗』に通ず

8月31日付の日経新聞「経済教室」に、『政府・日銀の通貨発行益 財政再建に活用は困難』という標題で、法政大学の小黒教授が論文を寄稿していた。

小黒氏は、論文のポイントとして次の3点を挙げている。

①通貨発行益に異なる複数の考え方が存在
②資金供給量(マネタリーベース)の増加分はやがて「出口」で減少
③高インフレで債務削減は大きな国民負担

本論は、全体的に奇妙な建て付けの論文なのだが、何よりも、「政府・日銀の通貨発行益」と銘打ちながら、後述のとおり、小黒氏の論文には「政府による通貨発行に伴う発行益(こちらが本筋の『通貨発行益』のはず)」に関する記載が一切見当たらない。

そして、小黒氏は、通貨発行益を次の3パターンに分類・定義している。
[定義1]マネタリーベースの増加分(新たに発行した通貨量)・・・約80兆円
[定義2]金利×マネタリーベース(日銀が購入した国債金利収入)・・・2013年度/0.57兆円、2014年度/0.75兆円
[定義3]インフレ率×マネタリーベース(インフレ税により政府が得る利益)

氏は、マネタリーベースの増加額は、将来得られる金利収入の現在価値に一致するため、定義1と定義2との間に大きな差異はなく、マネタリーベースの増加に伴う利益を今期に全て計上する(定義1)か、将来に亘って計上する(定義2)か、という違いに過ぎない、と結論付けている。
また、定義3については、インフレ発生による実質ベースでの債務削減により政府の利益になる、と解説している。

歴史的に見れば、深刻な政務債務が積み上がった中でマネタリーベースが恒常的に拡大すると財政を支えるための通貨発行を抑制できなくなり、最終的に高インフレを誘発する場合が少なくないため、人為的な通貨発行益の捻出は、あくまで“邪道”であるというのが、氏の見方のようだ。

また、通貨発行益やインフレ税による財政再建は一種の増税策に過ぎず、突然の高インフレへの回避手段を持ち得ない家計に大きな負担を与えるとし、政府・与党は財政・社会保障の改革を真摯に進めるべきだと述べている。
つまり、国民はこの先も永遠に痛みに耐え、更なる緊縮財政と社会福祉の削減を受け容れよ、と事もなげに主張しているわけだ。

今回の論文に目を通して、まず、氏の通貨発行益の定義が無茶苦茶であることに呆れている。
通貨発行益といえば、「政府・中央銀行が発行する通貨・紙幣から、その製造コストを控除した分の発行利益(ウィキペディアより)」と説明されているが、政府と違って、中央銀行は、何らの行政権(無論、立法権も)も持っておらず、国民や企業活動に影響を及ぼすような施政行為を行う機関ではないから、中央銀行が独自に通貨発行益を得られるかのように語るのは不適当だし、何の意味もない。

通貨発行益は、政府が、中央銀行も発行する紙幣とは別に、国家の大権として通貨(紙幣を含む)を発行する際の発行額面とコストとの差異(利益)を指すものだと考えるのがノーマルな考え方だろう。
中央銀行の通貨発行益云々は、あくまで、政府に命じられて、その範囲内で中央銀行が行う通貨発行行為を限定的に指すものと理解すべきだ。
なぜなら、当の小黒氏も論文の中で認めているように、政府と中央銀行は相互のバランスシートを統合すべき一体的な存在であり、日銀が計上する通貨発行益(氏の言う定義2の金利収入)とやらは日銀が自由に処分できるものではなく、最終的に国庫納付金として政府に納付され、政府予算に組み入れられてしまうからである。

小黒氏は、政府が通貨発行権という大権を保有し、その通貨発行益を以って機動的且つ機能的に財政支出を成し得る事実を認めたくないのだろう。(認めてしまうと、氏の持論である緊縮政策の存在自体が、頭から否定されてしまうから…)

論文の中で、しきりと、通貨発行益とマネタリーベースを混同させるような表現を多用し、挙句の果てには「出口戦略の際にマネタリーベースが減少し、通貨発行損が発生する」とか「日銀当座預金に付利する0.1%の金利コストが増える」などと妙な言い訳をしているのに失笑するしかない。

だが、氏の論考は、脇役に過ぎない日銀を通貨発行益のメインプレーヤーであるかのごとく語っている時点で、すでに無意味な駄文でしかない。
あえて政府と日銀の役割をすり替え、通貨発行益の真の役割を貶めようとする悪質な意図を感じる。

また、論文には、「終戦直後の教訓生かせ」との副題が付され、戦中・戦後の政府債務残高が1945年をピークに大幅に減少したのは、高インフレに加えて、高い通貨発行益とインフレ税が発生した影響によるものだと説明している。
これなどは、「教訓」という言葉を用いて捏造すべきではなく、むしろ、過去の歴史に学び、「良いお手本」として踏襲すべきだろう。

インフレを敵視し、生まれたての小鹿のように怯えるだけでは、高度成長など到底実現できない。
インフレに恐怖するばかりでなく、過去の日本国民が実現してきたように、発生するインフレ率を軽々と超えるような所得の伸びを達成するための経済政策(中下位層への適切な分配策による漸進的な内需拡大政策)にこそ邁進すべきだ。

正直に言って、戦後の混乱期に、氏の言うところの「マネタリーベース発のインチキ通貨発行益」が発生していたとは思えない。
しかし、高度成長に伴う企業収益や家計収入の拡大、高位なインフレにより、対GDP比の政府債務比率が低減したのは事実であり、こうした史実は、チマチマした改革運動や緊縮策ではなく、高度な経済成長こそが財政再建問題を解決する最上の手段であることを雄弁に物語っている。

今回採り上げた小黒氏だけではないが、あらゆる経済政策を語ろうとする際に、「財政再建」を起点にすること自体が、そもそも間違っているのだ。

財政再建を目標にすると、もれなく緊縮策や構造改革みたいないかがわしい政策がセットになり、縮減と後退のスパイラルしか生み出さない。

経済政策において、最も重要なのは、国民生活の向上と国富の源泉たる生産力・サービス提供力の向上を図る視点である。
国民の所得を引上げ、国内企業の収益も引上げる、同時に、社会基盤を支える技術革新やサービス力が絶え間なく向上する経済環境を創出する、これこそが経済政策の大目標であり、「財政政策は時代遅れだとか、日銀の国債直接引受けや政府紙幣の発行は禁じ手だ」などといったタブーを設けて、手段の選択肢を自ら狭めることほど愚かな行為はない。

まさに、「成長からの逃避」であり「国民生活向上の否定」である。

大切なのは目標の達成であり、“構造改革しかない”、“金融緩和こそ正義だ”、“分配だけ考えておればよい”といった「幼稚な排他的一点突破主義(=●●万能論)」に染まり、細かな手段の清濁に拘っていては、いつまで経っても不況の渦から脱することはできない。

財政再建なんて、高度経済成長や国富の増進の延長線上で当然得られる些細な出来事の一つに過ぎない、いわば、高速道路上にあるSAやPAのようなものであり、長い行程の目的地や終着点には成り得ない。

「国民生活の向上と国富の源泉たる生産力・サービス提供力の向上」というゴールに向けて積極的に歩を進めれば、元々、資金力や技術力に優れた日本のことだから、経済の好循環が富を創出し、財政再建という小黒氏が大好きな(筆者にとってはどうでもよい)目標なんて、難なくクリアできると確信している。