うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

"財源=税収"という因循から脱却すべき

先日、とある企業の経営者と話す機会があった。
彼は、原発停止に伴う電力料金の値上げや最近の原材料のコスト高にご不満なようで、「これだけ中小企業が苦労しているのに、政治家や役人はムダ遣いばかりで腹が立つよ。これから人口が減るのに、公共事業なんて、もう要らないだろっ!! 俺たちの血税をなんだと思ってるんだ」と愚痴をこぼして帰って行った。

筆者も職業柄、企業経営者と話す機会が多いが、たいして儲かっていない企業の経営者ほど、『血税』という仰々しい言葉を使いたがるから不思議なものだ。(因みに、冒頭の企業も赤字企業で、ここ数年法人税を納税していない)

『血税』とは、“本来は兵役を意味した。現代では、徴兵制度がなくなったことで本来の意味も忘れられ、血税の「血」は「国民の労力」といった意味で使われるようになった(はてなキーワードより)”という意味だそうで、マスコミの連中が、「私たちの血税をムダ遣いして、云々…」と政府の財政政策を非難したり、攻撃したりする際に多用される便利な言葉である。

納税(税金)は、教育・勤労と並ぶ三大義務として憲法に規定されているせいか、日本人には、これをやたらと神聖視する風潮が強い。
一般的に、税金は、国家運営を支える主要な財源であると認識され、あたかも家計にとっての収入、あるいは、企業にとっての売上に擬して語られることが多い。
先の“血税”というオーバーな表現も、こうした旧来の風潮と無縁ではないだろう。

だが、筆者は、こうした国家財政における“税金主権”的な考え方を是とはしない。
そもそも、税金と云う制度は、社会的な格差是正や富の再分配のために、国民や企業による労働や生産・消費という行為を通じて生み出された付加価値の一部を国庫に還流させるよう便宜的に設けた制度に過ぎないと理解している。

世の中には、何処かの自動車メーカーのように、大した業績も上げていないのに、自分は社長室に閉じこもり、部下には改革ごっこや下請けイジメを押し付けるだけで、法外な報酬を得ているトンデモナイ経営者がいるものだ。
そうした実力以上の対価を貪る経営者と労働者との間に生じた非合理的な不公正を是正するためにこそ、“税”という制度の存在意義があるのだと思う。

端的に言えば、税という制度の主目的は、社会的不公正を是正するための再分配(関税等も、著しく競争条件の異なる諸外国との不公正を是正し、国内産業の保護育成を図るための制度との理解)であり、国家財政を支える財源としての役割は、あくまで副次的なものだと捉えている。

一般の国民は、何の疑問も抱くことなく、税こそが国家財政の根源であり、唯一の原資だと思い込んでいる。
税金原理主義を信仰する人々は、単純に国家と家計を同一概念で括り、「税収=正規の収入」だから国家財政はその範囲内で賄うのが当然だと信じて疑わない。

この手合いは、国債みたいな借金に安易に頼るのは邪道で、あらゆるムダを削り国債の発行を限りなくゼロに近づけるべきだと本気で考えているから驚かされる。
ましてや、政府紙幣の発行(そもそも存在すら知られていないが…)なんて口にしたら、そんな如何わしいものは偽札造りに等しい大罪だと言われかねない。

だが、僅か50兆円そこそこでしかない税収の範囲で国家財政を運営したとしたら、公務員の給料すらまともに払えず、行政機能はたちまちストップしてしまうことくらい想像できるだろう。
実際、江戸時代には年貢不足を藩札の発行や貨幣改鋳で賄い、近代化以降も現代に至るまで国債発行が止むことはなかった。

だが、過去の藩札や国債の発行は、税収不足に端を発する弥縫策や補てん策的な色彩があまりにも強かったため、追い込まれてやむに已まれず借金せざるを得なかったと理解され、その行為全体にマイナスイメージが付きまとってしまった。
もしも、幕府や政府が、マクロ経済における貨幣の役割を理解して、インフラ整備を国家の発展や国民の生活機能向上に資する前向きな事業と位置付け、その原資として積極的に藩札や国債の発行を活用していれば、そうした負のイメージを払拭できていたはずだ。

旧来から、日本人は、税を神聖視しながらも、それはあくまで建前上のことで、行政機能を円滑に運営するには、それだけでは到底足りないことを認識し、税以外の収入で財政資金を調達することを容認してきたと思う。
何だかんだと言いながらも、日本人は、税収の範囲内で経済をぐるぐる回すだけでは、国家の経済発展もなく、庶民の生活が向上しないことを直感的に見抜いていたのだろう。

バブル崩壊以降に生じた長期のデフレ不況により、我が国の経済は停滞し、世界でたったひとつの「非成長国」に成り下がってしまった。
かような情けない事態を招いたのは、公共事業のムダ遣いのせいではなく、ましてや、日銀の陰謀によるものでもなかろう。
単に、政治家ばかりか国民全体が集団ヒステリー状態に陥り、経済発展よりも財政再建を優先させ、緊縮的且つ消極的な財政支出に固執した結果、実体経済の消費や投資がシュリンクしたせいに他ならない。

そこで、今後の国家財政の在り方について、筆者は以下のように提案したい。
①現在の歳出費目(社会保障費、地方交付税交付金公共事業費、文教・科学振興費、防衛費、国債費等)を見直し、再分配的性格の強い費目と経済成長的性格の強い費目に仕分けしたうえで、それぞれの財源も分別すべき。
②税収は、あくまで再分配的性格の強い費目の財源に充てるに止め、経済成長的性格の強い費目には、国債政府紙幣の発行を財源として充てて、税収の多寡に左右されないシステムを構築すべき。
③国家予算の査定権限を官僚(財務省)から取り上げ、国民の代表たる政治家主導で行うべき。(行政は予算の執行に専念、財務省は解体し歳入庁へ格下げ)

現在の歳出形態には次のような課題があり、是正すべきだと考えている。
・歳出規模全体が税収の多寡に左右されるため、“不況→税収減→歳出減→更なる不況”という不況のスパイラルを招きやすい
・あらゆる予算の財源に“税金”が紛れ込んでいるため、「私たちの血税が云々」というレベルの低い税金原理主義者の声を無視しづらい
・税収により歳出規模にキャップが嵌められるため、官僚のパワーが、予算の分捕り合戦や省益の衝突といった非生産的な行為に割かれがちになる
・“国債=借金”という負のイメージが先行し、ムダの抑制や財政再建が優先され、財政支出を経済成長の手段や糧として積極的に活用する発想が生まれない
・インフラ整備や科学技術の振興等といった国富を生み出す事業に必要な財源を継続的に確保するのが難しい
・単年度決算故に長期的展望に立った施策が実行できない
・予算編成に当たり、緊縮思考に染まり切った財務省の査定を受けるため、事業効果よりも事業費の総額抑制が重視される

税金は、“社会的な格差是正や富の再分配のための浄財”という役割に止め、その徴収も必要最小限(無論、消費税も廃止)とし、それを国家財政運営のための主要な財源とするような旧来の発想とは決別すべきだろう。

税収の使い道は、国民が社会生活を営むに当たり享受できる環境や競争条件をフラット化することが必要な分野、例えば、福祉・医療・教育といった分野に絞り込むのが適当だと考える。

一方で、地方交付税交付金公共事業費、科学振興費、防衛費といったマクロの経済環境の構築、国富の源泉となる社会資本の整備や技術力の向上、国土や国民の生命・財産の保全等といった分野は、税収の変動に左右されるべきではなく、国家が裁量を存分に発揮でき、必要な額をいつでも用意できるようなシステムを構築すべきである。

つまり、国民の生活や経済活動の基盤として常に増強や維持更新が求められるインフラ整備や防衛機能、国富そのものと言える技術力やサービスの供給力を創出する科学技術の振興等といった重要な分野については、不勉強なマスコミや国民から浴びせられる“私たちの税金云々”という雑音に妨害されることなく、より裁量的且つ自由度の高い財源を確保しておく必要がある。
そのためには、財源から税収を切り離し、国債政府紙幣の発行を主とする体系に切り替えるべきだ。

日本の国家財政が税収のみで維持できないことは、誰の目にも明らかであり、また、そうする必要など微塵もない。
だが、税収に主眼を置いた財政運営に固執する限り、国家全体が、永遠に終わることのない財政再建運動に付き合わされ、成長のきっかけを失い続けるだろう。

税金が国家財政を賄う主役の座から降りるべき時が来たのだ。

経済成長に向けて歩み出そうとする意志があるのなら、歳出や財政政策の財源に関する発想を転換して、税で賄う分野と国債や通貨発行で賄う分野を色分けし、税というアンカーに縛られない積極的な財政運営を目指すべきである。

【告知】

今週土曜日に、筆者も参加している「進撃の庶民」というサイトで、第7回目の討論会が開始される予定です。
ご興味のある方は、ぜひ、下記のサイトをご参照いただき、奮ってご参加ください。
http://ameblo.jp/shingekinosyomin/