うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

需要創出を疎かにする国に経済発展の資格なし

今回は気になった二つのニュース記事を採り上げたい。

一つ目は、『クルーグマン教授、日銀のQEにインフレ達成効果ないと断言 米誌などは反論』(http://newsphere.jp/economy/20150318-2/)という記事だ。

リフレ派が発狂するくらい挑発的な見出しだが、記事の中でP.クルーグマン教授は、日本のQE(量的金融緩和政策)の推移を2001年から2007年にかけてのマネタリーベースとM2の相関関係を示すグラフを用いて分析した結果、M2は一定して微増にとどまっており、円を増刷するQEは、インフレに結びつくと言われるマネーサプライ(M2)の増加にそれほど関係がない、といった趣旨のことを述べ、「流動性の罠」という強力な副作用により、日銀の量的緩和政策そのものの効果が減殺されていると解説した。

これに対して、英シンクタンクのフェローのウォーストール氏は「彼はパズルの1ピースを見失っていると思う」と反論した。
ウォーストール氏は、“そもそもQEの目的はマネーサプライを増やすことではなく、「斜面を転げ落ちるように減ることを防ぐために行っているもの」だと主張しており、彼の言に従えば、日本のQEは非常に上手く行っているという見方もでき、ここ数年の日銀、米連邦準備銀行欧州中央銀行が行ったQEは「素晴らしくもないが、ひどい結果にはなっていない」という評価になるそうだ。

金融政策に限らず、あらゆる政策の評価は、何を基準とするか、どこに力点を置くかで変化するものだ。
クルーグマン氏はM2(マネーストック)の伸び率に着目し、その背景にある実体経済活性化の度合いを重視しており、そういった観点から、量的緩和政策の成果が物足りないと批判する。
一方、ウォーストール氏は、量的緩和政策の目的はマネーストックを一定水準以上に維持することだと捉え、最低限の役割を果たしていると評価している。

両者の主張に相違はあれども、リフレ派のような一部の狂信者は別として、概ね、金融緩和政策に対する世間一般の評価は、“よく判らないけど、少しはいいこともあったんじゃないの”程度のものだろう。

筆者の量的緩和政策に対する評価は以下のとおりだ。
①意味不明な日銀券ルールが無効化された
②日銀の国債保有量が急増し政府債務が実質的に減少した
③一部の資産価格上昇をもたらし財政政策を忌避する駆除剤代わりに使われた
国債買取り量を増やしておきながら、日銀サイドは政府に対して国債増発を促すようなアクション(財政政策強化)を起こしていない(むしろ財政健全化を主張)
⑤日銀首脳部は消費税増税に賛成している

簡潔に言えば、「やらないよりやった方がはるかにマシだが、金融緩和政策の一本足打法では大した成果は見込めない。より強力な財政政策とコラボしてこそ金融緩和政策の真価が発揮される」ということだ。

金融緩和政策に一定の成果があったことは認めるべきだが、先のウォーストール氏みたいに金融緩和政策を甘やかすつもりは毛頭ない。
数十兆円もの規模で大々的に実施した金融緩和政策の成果が、『マネーストックの水準維持に最低限の役割を果たしたこと』だったとすれば、政策効果としてあまりにもショボすぎるだろう。

ましてや、頭のおかしなリフレ派の連中みたいに、株価上昇、雇用改善、大手企業のベア実施、海外工場の国内回帰など、何でも見境なく金融緩和政策のおかげだと詭弁を弄して慶事に乗っかろうとするのは、お門違いも甚だしい。

そもそも、当の黒田総裁自身が、2年で2%という所期の物価上昇目標の半分も達成できていないことを認めているのだから、プラスの転じたいくつかの経済指標を金融緩和政策の成果だと結びつけるのは完全に間違っている。

大元の政策が成功していないのに、世の中の経済指標が良化したとすれば、それは両者の間に何の相関も無かったと考えるのが自然だろう。


今回の記事で取り上げる二つ目は、少々古い情報だが、『“正社員を解雇しやすくすべき” 停滞脱出の鍵は雇用改革と英識者』(http://newsphere.jp/economy/20150115-4/)という記事だ。

これは、元エコノミスト誌のエディター、ビル・エモット氏が英フィナンシャル・タイムズ紙に寄稿したコラムの概要を紹介したもので、エモット氏は、「日本は“長期停滞”の世界チャンピオンだ」と記し、その要因は、「もはや抜け出せない感のある賃金の低迷というトレンドだ」と述べ、非正規雇用の拡大により正規雇用労働市場が固定化されてしまったこと、このため労働者がスキルアップする機会が失われたことを指摘し、それが賃金停滞を招き、ひいては経済全体の停滞にも結びついていると主張する。

ここまでの内容はおおむね理解できるのだが、この後がいけない。

続けて、エモット氏は、アベノミクスが目指す労働改革が、日本が停滞から脱出できるかどうかの鍵になるとし、「レイバーノミクス」という造語でそれを表現し、「正規」「非正規」の二重構造の労働システムを一つの労働法の下に整理することが必要だと主張している。

要するに、頭のおかしな竹中氏の劣化版のような意見で、正規と非正規の壁を壊して非正規雇用に収斂させ、それにより正社員を解雇するコストがリーズナブルになれば、結果的に、経営側には市場のニーズに対応する柔軟性を、労働者側には正規・非正規を問わず対等な権利を与えることができるなどとキチガイじみた主張を展開している。

この手の幼稚な識者は、経営や経済を語りたがるくせに、その目線は常に供給側にしか向いていない。
魅力的な商品開発、付加価値を生むブランド戦略、沸騰するマーケット、リスクマネジメントやコンプライアンスのような浮ついた言葉を追い続けるだけで、肝心の需要サイドに対する感度が鈍い。

彼らは、モノやサービスの開発には熱心だが、誰が買うのか、それにはどういった経済環境が必要かという点にはほぼ無関心である。
何か良いモノを作れば、富裕層が買ってくれるはず、それがダメなら海外マーケットを開拓すればよいと単純に考えている。

だが、正規雇用制度を破壊して、身分や収入が不安定な非正規雇用を常態化させてしまえば、間違いなく需要力は落ちるだろう。そして、こういった動きは、何も日本のみに止まるものではない。

いまや、先進国は競って国内労働者の賃金水準を途上国並みに落とすことに執心しており、労働者が得る一人当たりの所得水準の伸びは期待できない。

つまり、第一波として先進国の労働所得の減少により先進各国内需シュリンクし、やがて先進国全体の輸入量も縮小へと向かい、その影響が第二波として途上国経済を直撃するだろう。
それが悪化すれば、終には世界中から買い手が駆逐される最悪の状態を迎えることになる。
それこそが資本主義とやらの終焉と言えるだろう。

世の中に資本主義を礼賛する者は多いが、需要と供給のバランスを踏まえてそれを論じる者は限られる。
需要が常に先行し、供給がそれを追いかける過程を経てこそ、マクロ経済は好循環するものだ。両者のバランスが崩れてしまえば、資本主義という車は前進することができなくなる。

先に述べた金融緩和政策だけでは、供給側の期待に応え得るだけの量の需要を創り出すことは不可能だ。何の根拠もないインフレ期待だけでカネを使うほど家計や企業の懐事情は甘くない。
金融緩和政策に本当の意味で魂を注入するには、実際の需要力の創造に直結する財政政策が欠かせない。

財政政策を活用して、実体経済に大量の資金を供給すれば、マネーストックなど黙っていても上昇するだろう。
マネーストックの水準云々といった細かな技術論に拘泥し、ムダに時間を消費するのではなく、その源泉たる実体経済を直接刺激すればよいだけだ。

(※)

3月22日(日)に「進撃の庶民」にコラムが掲載されます。

他の執筆者の方のコラムと併せて、ぜひご覧ください。

http://ameblo.jp/shingekinosyomin/