うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

現実を無視した空論は誰の腹も満たせない

平成27年度予算案が衆議院を通過し、遅くとも4月上旬までの成立が確実となった。
さっそくマスコミ各社は、予算額が過去最大に増えた、社会保障費が初めて31兆円台に突入した、防衛費が3年連続で増額された(それでも5兆円に届かない)、公共事業費が6兆円に増えたなど、しきりと無駄な予算が増えたと連呼し、財政健全化が遠のいたと余計な警鐘を鳴らしている。
新聞の社説や解説文は、対GDPのプライマリーバランス赤字の割合が、財政健全化目標ギリギリの水準に達したため、これ以上の補正予算編成は難しいと、早くも経済対策への牽制球を投げつけ始めている。
また、公共事業を槍玉に挙げ、人手不足や資材価格の高騰で工事をこなし切れていない地域があるというホラ話を吹聴している。
筆者は仕事柄、地方の企業経営者や自治体職員の話を聞く機会があるが、彼らの話をよく聞くと、地方の土木建設事業者やトラックなどの資材が不足している原因の根源は、長期に亘った公共事業の発注量と工事単価の削減にあることが理解できる。
確かに、短期的視点で見れば、地域の土木事業者が高齢化し若年層の職人が不足していたり、除雪作業用のダンプが足りない例がある。また、工事単価が高い首都圏や被災地の工事に人手を取られて、地域の仕事が発注できない事例もある。(中には、そもそも公共事業の発注量自体が増えていない地域もある)
だが、それらは、政府や行政側の政策転換により、比較的容易に解決可能な課題に過ぎない。
なんのことはない。長期的な公共事業量の確保と工事単価の引き上げに明確にコミットすることにより、地域の事業者に長期投資に対する実質的な担保を与えてやればよいだけだ。
幸い、有り余るほどの金融緩和政策により、金利は稀にみる低水準にあり、融資に必要な資金も掃いて捨てるほど用意されるなど、政府系、あるいは民間の金融機関の融資環境は十二分に整っている。
あとは、事業者の借入意欲次第なのだが、20年以上に亘り散々公共事業イジメに晒された事業者は、公共事業の先行きに対して過度に敏感になっている。
実際に、筆者が地方の土木事業者に設備投資の見通しについて尋ねてところ、「工事が増えているのは判っているが、いつ梯子を外されるかと思うと、怖くて人も雇えないし、借金を返す自信もなく設備投資もできない」と嘆いていた。
経営を預かる身になれば、当然の悩みだろう。
筆者などは、長期的かつ大規模な財政政策により、公共事業を含む地域へ配分する予算を積極的に確保すべしと訴えるが、世の中にはこれに反発する意見が主流である。
なぜ、人口減少社会を迎える日本にこれ以上の公共投資は不要だ、とか、土木事業者だけを優遇するのはおかしいなどという意見が大勢を占めている。
だが、こうした社会的正論を吐く連中は、得てして時間軸的発想に欠け、また、社会構造に対する考察が幼稚だ。
いわゆる識者の連中にも、“日本は少子高齢化するから、これ以上道路を作る必要はない”と平気で嘯く輩がいるが、社会科の授業を受けたばかりの小学生並みの幼稚な発想だろう。
この手の人間は、自分の年齢を基に社会の変化を論じがちで、自分が年を取って外を歩く機会が減ったから、余計な道路は要らないと単純に考えているだけなのだ。
マクロ的視点、あるいは長期的視野に立って見れば、小賢しい隠遁者の都合に関わりなく、常に社会的利便性の向上を追求する必要があり、そのために交通網の緊密化が必要なら新規に道路やトンネルの造設が求められるし、貿易量の増大を目指すなら港湾や大型車両の通行に必要な交通インフラの整備も必要になろう。
そして、現存する膨大なインフラのメンテナンス事業も必要になる。
そういった莫大な事業をより効率的にこなしていくためにも、恒常的に社会インフラを整備(新設や更新作業)して行くことが欠かせない。
少子高齢化を心配する向きもあるが、生産年齢人口が減少するのなら、尚更、効率的なインフラのメンテナンスを行うためのインフラ整備が必要になる。
従来10名でやっていた港湾での積み込み作業を5名で行わねばならないとしたら、より効率的に作業を行うための港湾設備の造設が必要になることくらい理解できるだろう。
港湾の底が浅いため大型船が着岸できず小型船で何度も物資を運ばなければならなかったり、崩れかけた岸壁を放置したまま少ない人数で作業をすれば、生産性が低下することくらい誰でも想像できよう。
また、やたらと公共事業を蔑視し、土建屋や土方を肥太らせる必要はないなどと嘯く世間知らずも数多くいるが、そういった輩は、自らの菲才を省みず、世の中の実態を理解しようともしない。
土木工事みたいな付加価値の低い事業なんて時代遅れ、くらいの認識なのだろうが、ほとんどの国民は、決して付加価値の高い事業に従事しているわけではない。
偉そうに公共事業批判をする連中に限って、誰でもできるような仕事しかしていないものだ。あなたが突然いなくなっても、明日から他の誰かが取って代われるような仕事しかしていない者が大半だろう。
所詮は、サラリーマンの仕事なんてその程度のものなのだ。
公共工事なんかやっても、地方経済の疲弊は止まらない、そんなものはカンフル剤に過ぎないなどという斜に構えた批判は、地域の実状を理解できない的外れな戯言に過ぎない。
地方だけでなく、我が日本の殆どの地域の産業は、建設・土木、農林水産、サービス業みたいな大して付加価値の高くない産業にぶら下がっている事実を認めなければなるまい。
そこには、政府や官僚が妄想するような理想論に対応できる人材や産業なんて存在しないことをいい加減に理解すべきだろう。
昨今の地方創生事業みたいに、やたらと地域の創意工夫や地域間の競争を煽っても、そんな高尚な空論に対応できる地域なんていないのだ。
むしろ、予算配分権限を盾に空論を語るだけで何の努力もしていない中央政府に対する反発を招くだけに終わるだろう。
所詮、地方にできることなど限られている。
できもしない空理空論を押し付けて、地方の疲弊を放置するよりも、公共事業を打ち続けて地域へ資金を還流させ、地域経済を支え続ける方が数百倍もマシな結果を生むだろう。
地域にとって重要なのは、腹を空かせたまま理想論を語ることではなく、不健康だと罵られながらも腹を満たし続けることなのだ。
それが地域経済の原動力となり、ひいては日本の内需を支える糧になることを理解すべきだろう。
たとえ怠惰な平和であっても、高尚な戦闘で落命するよりもはるかに有益なのだ。