うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

供給力と需要力との大競争時代の到来

今月7日付の日経新聞のコラム(時事解析)に、欧米で財政ファイナンス限定容認論が出ているという記事が掲載された。(膨張する中央銀行「③財政赤字の穴埋め」)

 

記事で紹介された元英国金融サービス機構長官のアデア・ターナー氏は、「財政が悪化し、金利がゼロ近傍では財政ファイナンスは悪ではなく、必要な手段だ。日本は財政が持続不能な水準に達する前に、小規模で済むうちに実施すべきだ」とまで述べている。

 

日本では、いまだに貨幣を神聖視・絶対視する風潮が強く、学者ばかりか市場関係者を含めて“財政ファイナンスなんてとんでもない”という意見が大半だが、やはり、欧米人はリアリスティックな思考をするものだ。

 

黒田体制下の日銀は銀行券ルールという悪弊を廃し、年間の国債購入量は総発行量の9割、純発行量の2.5倍になるそうで、昨年9月末には日銀の国債保有高が230兆円近くに達し、2018年頃までに日銀が国債の半分を保有するとの推計もある。(財政破綻論者が卒倒しそう)

 

日銀の積極的な国債購入に対して、“事実上の財政ファイナンス”とか“広義の財政ファイナンス”といった批判も根強くあり、上記の日経のコラムでも、担当の編集委員は、ワイマール共和国やジンバブエハイパーインフレの例を持ち出して、「(危機時の財政ファイナンスを)全面否定する必要はないが、節度ある範囲にとどめる工夫が欠かせない」とぐずぐず文句を言っている。

 

財政ファイナンスに対する典型的な批判は、

国債の信認が低下して

②ある日を境に金利が急騰し

③悪性インフレを招く

財政再建が遠のく

⑤ついでに、国債を大量に保有する金融機関の経営が悪化する(あくまで評価損がでるという話)

というパターンだろう。(これ以外のパターンを聞いたことがないが…)

 

しかし、財政破綻論者が唱えるXデー(金利が急騰する“ある日”のこと)は、一体いつになるのか、まともな回答は帰ってきたためしがない。

彼らは、「確率は低いが起きた場合の損失は甚大だ。テール・リスクを甘く見るな」と危機を煽るが、そんなものは、いつの日か地球を直撃する巨大隕石と同様に妄想やファンタジーの類に過ぎない。

「日本は借金大国」という歪んだレッテルは、何十年も前から貼られているのだから、とっくの昔にXデーは到来しているはずだが、いつまで経っても国債金利は高騰しない。

 

破綻論者はご丁寧に、国債暴落による金融機関の経営悪化を心配してくれているようだが、国債価格が暴落するほどの金利上昇は、主要な収益源である貸出収益の大幅な増加(融資先にとっては迷惑な話だが…)を意味しており、金融機関の経営にたいした影響はない。

おまけに、固定金利主体の国債とは違い、企業融資は変動金利が主体のため金利上昇のメリットをいち早く享受できる。(国債も満期まで保有すれば特段の問題はない)

 

貨幣や財政に対して過剰な倫理観を抱く前近代的思考の持ち主は、いまだに名目貨幣の本質や役割を理解できていない。

不思議なことに、ほとんどの国民は、貨幣の意味を理解せぬまま毎日のように貨幣を使って生活を営んでいる。

自分の財布に入っている貨幣は、誰が創り、どういう経路を辿って自分の懐に入ったのか、自分が使った貨幣は一体どこへ行くのか、何の疑問も持とうとしない。

 

人類は、太古の昔から、生産活動の対価や交換手段として貨幣制度を確立させ、石や貝殻を使って生産活動の向上に努めてきた。

それが、金銀などの金属に代わり、ついには紙幣へと変遷してきたが、何の不都合も生じていない。

日本は財政危機だと年柄年中騒がれているが、日本円で給料や釣銭の受け取りを拒否する変わり者は一人もいない。

つまり、貨幣なんてものは、国が創って流通させてしまえば、国民は何の疑問も差し挟むことなく使おうとするものだ。

 

元禄時代の財政危機を救った名勘定奉行の荻原重秀は、世界に先駆けて名目貨幣の本質を喝破し、「貨幣は国家が造る所、瓦礫を以ってこれに代えるといえども、まさに行うべし。今、鋳するところの銅銭、悪薄といえどもなお、紙鈔に勝る。これ遂行すべし」という名言を後世に残した。

いまから300年以上も昔の、しかも、現在とは比較にならないほど低レベルの生産力しか持てなかった時代に、貨幣改鋳による大規模な財政ファイナンスに果敢に挑んだ賢人から発せられた言葉をもう一度噛み締めるべきだろう。

 

もはや、貨幣は戸棚の奥に飾っておく神仏への貢物ではない。貨幣は貴金属とは違うのだ。

 

相次ぐ技術革新やデリバリー及び通信網の発達により、世界中でモノやサービスの供給力は飛躍的に向上し続けている。

いまや、世界は、膨張し続ける生産力とそれらを消費する需要力との間で繰り広げられる熾烈な大競争時代に突入していることを認識すべきだ。

モノのない時代やインフレに怯える時代は、とうの昔に過ぎ去ったのだ。

現代においては、湧水のように絶えず生み出されるモノやサービスをいかにスピーディー且つ高い価格で消費できるかが、経済成長の大きなカギとなる。

 

最近では欧州経済も不調を来し、日本と並んでデフレ不況に突入する懸念があるが、デフレとは需要力が生産力に競り負けている現象にほかならない。

 

21世紀の生産力や供給力は強大である。

妙な倫理観を振りかざして構造改革財政再建に固執していると、たちまち生産力に置いて行かれてしまう。

税金や国債発行のみに頼ってチマチマ資金供給するだけでは到底追いつけない。

財政ファイナンスの是非を云々と論じる時間などないことに早く気付くべきだ。





(※)
「進撃の庶民」というブログで隔週日曜日にコラムを掲載しています。次回の掲載予定は明日111()です。
様々な執筆者の方から、非常に示唆に富んだ記事が投稿されていますので、ぜひご覧ください。http://ameblo.jp/shingekinosyomin/