うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

縮小思考に染まった新自由主義者たち

先日、新聞各社から、経済財政諮問会議のWG(ワーキング・グループ)で、毎年20万人規模の移民受け入れを検討しているとの報道がなされ、ネットを中心に批判する意見が相次いだ。

 

現在、経済財政諮問会議の下に「選択する未来委員会」が設置され、さらにその下に「成長・発展(件の移民騒動の発端)」、「人の活躍」、「地域の未来」の三つのWGがぶら下がり、委員となった新自由主義者構造改革主義者の連中が羽を伸ばし、好き勝手なことをほざいている。

今回は、この三つのWGの中から、「人の活躍WG(ネーミングのセンスも最悪…)」の議論を採り上げたい。

 

WGの上部に位置する「選択する未来委員会」では、“人口減少・高齢化は、経済の縮小、国力の低下をもたらすという見方に対し、「未来は政策努力や人々の意志によって変えられる」という認識に立って、常識にとらわれず大胆な選択肢を検討する”という方針の下、日本の中長期的な経済成長と発展・人の活躍・地域の未来の三点にブレークダウンして、それぞれのWGで詳細を検討する形を取っている。

 

まず、WG共通の課題として、「人口減少と高齢化」、「世界経済の構造変化」、「未来のための攻めと守りの戦略」、「目指すべき日本の未来の選択」が掲げられているが、その内容を総括し、一言でまとめると、「現状の追認と将来への悲観」である。

「人口減少と高齢化」の項では、“今後少なくとも 50 年は人口減少と高齢化が続くことを前提としたシステムに日本の経済社会を変える必要がある”と国内の人口増加の可能性を端から放棄したような書きぶりだ。成長よりも身の丈に合った社会構造で我慢しろ、と言いたいのだろう。

 

この後にも、“グローバル化に対応しろ、新興国の成長に期待すべし、地方経済や社会保障制度は縮小・撤退を見据えて大胆に改革すべし”といった意味のない議論が続き、“目指すべき日本の未来は、日本流の公共心、「おもてなしの心」等日本のソーシャル・キャピタルをどう活かすかに掛かっている”というピントのズレた結論で結ばれている。

この後のWGの議論でも、“人口減少の問題点は何か、出生率を上げるために国や地方自治体、企業、社会は何をすべきか”という問いに対して、“女性の社会進出と男女の働き方を変えればOK”という極めて軽薄かつ杜撰な認識を示している。

 

委員会やWGの議論は、現状を正しく分析できないままダラダラと追認し続け局所的な対応に終始するばかりで、成長への意志がまったく感じられない悲観的な内容で溢れかえっている。

船の老朽化を嘆くばかりで、新たに建造しようとする意気込みはなく、積み荷を捨てて何とか生き延びようとする愚かな発想は、この委員会だけでなく三つのWGに共通する歪んだ理念であり、これまでの骨太の改革路線をそのまま踏襲し、15年デフレをもたらした構造改悪の愚を繰り返そうとしている。

国家百年の大計を論じるべき貴重な議論の場で、出席した有識者の口から出てくる言葉が、“女性や高齢者の活用、雇用の流動化、外国人の活用、地方分権、おもてなし”程度のレベルなら、高校生にでも議論させた方がましだ。

 

さて、件の「人の活躍WG」では、「1.今後の構造変化を見据えた発展メカニズムの構築」、「2.健康長寿を実現し、男女ともに生涯にわたって農力を発揮できる環境づくり」、「3.集積の効果の発揮と個性を活かした地域づくり」の三項目が議論されている。

 

まず、「1.今後の構造変化を見据えた発展メカニズムの構築」の項では、“生産年齢人口は年率0.9%程度減少し、2030 年以降は年率1.4%程度減少と加速。成長を続けるためには、1980 年代(2%弱)を上回るTFP(全要素生産性)の伸びを実現する発展メカニズムが必要”と言いつつ、“これまでの人口増加を前提とした制度、システムを全面的に見直し、制度・財政の持続可能性を確保する必要”だとすぐに弱音を吐き、縮小均衡社会へ逃げ込もうとする。

 

その縮小均衡社会を実現するための方策として、なぜか「外国人人材の受入れ、科学技術中心とした研究開発(省エネ・新エネ・環境、ライフ・バイオ・ヘルスケア)等、GNIの拡大(省エネ・省資源等による交易損失の縮小、積極的海外展開等)、生産性の上昇(産業構造調整・転換、人材の質的向上、制度・システムの変革、IT の活用等)、日本の長所・強みを伸ばす(勤勉さ、長期投資、人や地域のつながり、おもてなしの心、等)」といった事例が挙げられている。

 

そもそも、日本人の長所や強みの源泉は、外国人との摩擦の少ない社会環境や安定した雇用、漸増する所得に裏打ちされた強化な社会基盤にあり、経済財政諮問会議やその下っ端の連中が夢想するように、不安定社会や競争社会から生み出されるものではない。彼らは、青臭い受験生みたいに、競争さえすれば人間は強くなると信じ込んでいるようだが、まったく社会勉強が足りない。

また、「おもてなしの心」という文句と日本の発展メカニズムの構築との間に、何の関連性があるのか全く理解不能である。流行り言葉を政策に盛り込ませれば格好いいだろうというレベルの下種な発想を見るにつけ、つくづく、政府諮問機関やそこに提供されるペーパーを作る官僚の質も落ちたものだと感じる。

 

次に、「2.健康長寿を実現し、男女ともに生涯にわたって農力を発揮できる環境づくり」の項では、我が国の人口減少と高齢化は止めることのできない大きな流れだと断定し、女性・若者・高齢者・外国人の活用を訴えている。

だが、それは、失業に苦しむ若者や女性に、安定した雇用の場を与えようとするものではない。彼らに与えるべきは、“ジョブ型労働市場(いわゆる限定正社員)の構築、多様な就業形態(=非正規雇用)”であり、そこでの厳しい競争を勝ち抜いた“グローバルプレイヤー”の出現を期待しているようで、まことに身勝手かつ冷酷な提案である。

 

近年、非正規雇用比は上昇(1524歳層の男性で50%近い)し、2534歳層でのフリーターやニートの高止まり(両方合わせて260万人以上)が指摘されているにも関わらず、経済政策をフル稼働させて雇用の場を作ろうとはせずに、女性や高齢者、外国人を安易に労働市場へ招き入れ、彼らとの雇用やポストの奪い合いを激化させようとしている。

勝者のいないイス取りゲームの行く末は、非正規雇用やフリーター、ニートの増加という経路を経て、生活保護受給者を増やすだけの結果に終わるだろう。

“老若男女がいきいきと能力を発揮できる環境づくり”という建前の裏で、まともな雇用を得ることのできない若者を捉まえて、“これからはグローバル人材だ、職がなければ海外へ行け”とばかりに外国に雇用機会の創出を丸投げする始末だ。世界中で若者の失業率が高まっているというのに、世界有数の経済大国から雇用創出を丸投げされる諸外国にとってもいい迷惑だろう。

 

最後の「3.集積の効果の発揮と個性を活かした地域づくり」の項では、都市部の高齢化と地方の過疎化を嘆き、市街地中心部への都市機能の集約や地方分権地方財政の見直し(=緊縮的財政運営のススメ)、地方の経済的自立、NPOやソーシャルビジネス(=単なる社会のお荷物)の活用などと役にも立たない提言が続いていく。

 

地方の過疎化を心配するなら、首都移転など首都圏から地方への人口移動を促す大規模な政策を検討すべきだし、地方への財政的支援を更に強化すべきだ。

構造改革主義者は「選択」とか「集中」が大好きなようだが、国土の隅々まであまねく人が居住し、そこから生み出される多様な文化や重層的な産業構造を基盤とする社会が成立してこそ、“勤勉さ、長期投資、人や地域のつながり”という日本や日本人が持つ強みが育まれるのではないか。

首都機能や本社機能があるおかげで、あくびをするだけで富や税収、人口が増えていくような苦労知らずの首都圏目線で、地方経済に自立を促すなど笑止千万である。

 

今回採り上げた「選択する未来委員会」や「人の活躍WG」での検討項目は、我が国の人口減少を起点として議論(=撤退論)が進められている。

だが、古くは1780年代に日本を襲った天明の大飢饉江戸四大飢饉のひとつ)では、全国で100万人近い餓死者を出したといわれ、先の太平洋戦争でも約300万人の戦死者が出ている。江戸時代の人口は3,000万人程度、また、太平洋戦争時の日本の人口は7,400万人程度であったことから、いまの人口比に換算すると、およそ400万人~480万人近くにも達するような信じ難いほどの大規模な人口減少に見舞われている。医療技術や物資の生産・運搬能力はおろか、生活を支える社会保障基盤そのものが、いまとは比べ物にならないほど脆弱であった当時の日本国民は、大厄災がもたらした巨大なインパクトに身の竦む思いがしたことだろう。

我が国は過去に幾度となく、国家の根幹を揺るがすような事態に直面してきたが、当時の日本国民は決して怯むことなく、国内にある資源を総動員して、想像を絶する苦難を乗り越えてきた。

 

飢饉に直面した江戸時代の役人は、海外から移民を受入れようなどと考えただろうか、敗戦で焼け野原になった時代の日本政府は、雇用を流動化させてグローバル人材を育成しようなどと考えただろうか。

幾多の厄災に直面した過去の日本人に、「人口が減るから外国人を入れましょう」なんてバカげたアドバイスをすれば、きっと軽蔑されて鼻で笑われるか、無礼打ちにでも合うのではないか。