うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

脆弱な土台の上に強固な家を建てることはできない

129日に、みんなの党の江田前幹事長ら衆参合わせて14名が離党届を提出した。

これにより、同党の議員数は35名から21名へと4割も減ることになり、党運営にとって大きな打撃となるだろう。

みんなの党は、「脱官僚」、「既得権益に切り込んだ大胆な規制改革」、「物価安定目標による財政再建」、「脱原発と電力改革」、「公共事業などのムダを削減」、「人口に比例した選挙制度の導入」などの政策(彼らが言うところの“アジェンダ”というやつ)を訴え、従来の保守層や革新層に飽き足らない青臭い連中の支持を得て国政で一定の議席を占めていた。

ここ20年来、保守や革新と言われてきた層は、時代の変化に妥協して、左右両軸の端点から徐々に中心軸へと軸足を移しつつあり、その過程で、双方が持っていた良さや持ち味を失ってきた。

みんなの党の主張は、この中心軸へとシフトするスピードにもの足らなさを感じるバカ者どもの集合体と言える。だからこそ、その政策は、財政再建派や構造改革派だけでなくリフレ派から共産党っぽいものまで、あらゆる主張がごちゃ混ぜになっているのだ。

これらの各層を支持する者は、長年にわたる経済停滞を顧みようとせず、すぐに“改革や削減”というマスコミ受けの良い言葉に逃げ込もうとする。その行きつく先が、「脱○○」運動であり、“○○”に、いわゆる既得権益とされる公務員や公共事業、医療、農業、原発、教育などのキーワードをぶち込んで魔女裁判のターゲットとして徹底的にイジメ抜くのが常套手段だ。

極端な需要不足を要因とするデフレ不況下において必要な政策は、実体経済に需要の源泉となる資金を供給する大規模な財政政策とそれを支える機動的な金融政策であるべきなのは子供でも判る。

「改革」とか「ムダの削減」、ましてや脱官僚脱原発など、目前に迫るビッグイシューへの対応策として何の役にも立たないのだが、いつまで経ってもそのことに気付こうとしない。

彼らの主張や態度からは、日本が直面する危急の事態を何とかしようという気持ちは微塵も伝わってこない。沈没の危機に晒された豪華客船の中でふんぞり返りながら、自分が気に食わない船員や甲板員を捕まえて罵倒し悦に入っているだけだ。彼らの危機感は、船内が浸水することよりも、船員の態度がピリッとしないことに向けられている。

みんなの党のホームページのトップ画面の書き出しには、「政治を諦めないで下さい。政治を諦めてしまったら、何も変わりません。」という台詞が踊っているが、大上段に構える割に、そこから出てくる政策はクソの役にも立ちそうにないものばかりで、政治への無関心層を増加させるだけだろう。

今回離党を表明した江田氏は維新の会や民主党の一部勢力との結集を主張しており、みんなの党の自主独立を主張する党首の渡辺氏との確執があったことは、以前から報じられていた。

筆者から見れば、バカ者同士のコップの中の争いに過ぎず、両者の思想や主張に大きな違いがあるとも思えない。同属嫌悪とか近親憎悪の典型例と言えよう。

まあ、維新の会の中学生市長と元慰安婦を騙るタカリ屋のばあさんとの喧嘩と同じように、両者とも共倒れになるのを期待している。

渦中の江田氏(元官僚のくせに、脱官僚しか能がない幼稚な政治家)は、一連の騒動を報じる記者会見の席上で、「最近では(みんなの党)自民党にすり寄り、あわよくば与党化していく動きも。“歌を忘れたカナリア”、もはやこの党に将来はない。」、「我々が離党する理由はただ一点。結党の原点に戻る。(野党の使命は)自民党に代わりうる政権交代可能な一大勢力を作り上げていくこと。」と述べていた。

衆参合わせて七百数十名余りの国会議員に課せられた使命は、国民が安全かつ幸福に暮らせる社会や生活環境を創り出すことにあり、そのための法案や政策作りに邁進するのが国会議員たる者の務めだろう。(そのために国会議員には、もっと多額の歳費を手当てすべきだし、国費で1人当たり20名くらいの秘書や政策スタッフを用意し、国政に専念できる環境を整えるべきだ)

与党だの、野党だのと互いの立場に固執して大局を見失ってはならない。

国政をそっちのけにして、野党勢力の結集に熱中したり、くだらぬ政局ごっこにオダを上げて、いっぱしの政治家気取りになっている連中など、いまの日本には不要なゴミでしかない。

まさに、彼らの主張する「ムダの削減」の対象そのものである。

高邁な理想の先にあるのが“確かな野党”レベルの話なら、国会議員たる資格などない。