うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

内需拡大や地方活性化にはカネが要る

先日、産経新聞電子版に『一人貧乏くじ引かされた日本 経済音痴・民主党政権の罪』というコラムが掲載された。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131105-00000503-san-bus_all

 

このコラムは既に多くの方によりブログなどで採り上げられ、賛否双方の立場から様々な意見が寄せられている。筆者としてもコラムの内容に頷ける部分もあるが、首を傾げざるを得ない部分もある。

 

さて、肝心のコラムの概要は以下のとおりである。

P.クルーグマンが提唱するインフレターゲット論に従い、欧米諸国は通貨供給量を大幅に増やす大型の金融緩和を実行し成果を挙げている。

・経済音痴の民主党政権と頑迷なアンチ・インフレ論者の白川日銀体制が、微々たる金融緩和策を小出しし続けたせいで、日本は欧米諸国から後れを取り、急激な円高がモノ造りにもダメージを与え、デフレ不況を脱却できずにきた。

・安倍政権に代わり、デフレファイターの黒田総裁と岩田副総裁が日銀首脳に就任して以降、誤った金融政策を打破する大胆な施策が打ち出され、やっと日本経済に火が灯された。

・これからアベノミクスが本格化するが、願わくは、バラマキ型財政政策と古い輸出産業振興型成長戦略だけは避けて欲しい。

・人口減少型成熟社会に向かう日本は、国の競争力ランキングやGDPの多寡を問うのではなく、デフレ不況を乗り越えた後、日本人が生き甲斐を持てる社会を目標にすべき。

・日本には、高度経済成長期に蓄えた富だけでなく、技術力や人的資本とか文化力など、世界に誇りうる巨大なソフトパワーが備わっている。これらを活かし、単なる経済力に一喜一憂するのではなく、日本人に特有の美的感受性に根付いた国柄を守り「清富有徳」国家を目差すべき。

・日本の復権に必須なのは内需拡大であり、80年代後半の前川レポートを参考にすべき。

前川レポートは、国民生活と言うデマンドサイドの構造的問題点を明記し、その抜本改革を主張して、真っ先に内需拡大の必要性を掲げ、その実現に住宅政策と消費生活の充実を挙げた素晴らしい内容だった。今注目されている「Quality Of Life」(暮らしの豊かさ)は、「Quality」とは単なる「Substance」や「Character」ではなく、良質性、高品質を意味する語で、良い生き方、人生の有意義性を問うている。

・日本経済を貶めた諸悪の根源はバブルだ。バブルにより歪んだ内需の拡大は、ウサギ小屋に住みながら高級ブランド品に現(うつつ)をぬかし、グルメや海外旅行に散財してしまう結果となり、実質経済破壊への道程の起点となった。

・アメリカをモデルに内需主導型成長経済への転換を図るべき。アメリカ人は就職、結婚、離婚、再婚、転職や転勤、所得や家族構成の増減などに呼応して、生涯に3回から10回以上も家を買い替え、そのたびに自動車や家具、家電、衣装類なども買い替える。こうした旺盛な個人消費がアメリカの内需拡大基調を支えている。

・近所付き合いや社交の発展や趣味の高揚などが、宅地開発や住宅メーカーの商品供給を刺激し、各種消費財の高級化や低価格化をリードし、サービス産業を含めた衣食住総合型の内需経済成長に寄与するはずだ。

・日本が経済成長で生み出した分厚い中産階級が蓄えた個人金融資産が1500兆円も眠ったままで、これを自国内で回転させることが経済成長の鍵となる。

内需拡大で見逃せないのが地方活性化だ。中央集権が進みすぎた結果、大半の大企業本社が東京に一極集中している弊害から一刻も早く逃れるべき。

地方主権と言っても、単に廃県置州といった単純な行政権限の移行だけではなく、大企業が地方にもっと目を向けるべき。

トヨタやホンダ・ヤマハが東海を活性化し、コマツが石川県回帰を図っていることなどがよきモデルになる。日本の大企業が溜め込んだ60兆円もの手元資金を、自社や地方のベンチャー起業に活かすべき。

・唯一の心配点は電力コストの高騰。原子力規制委員会の不作為、日本のマスコミの自虐的偏向報道、小泉元首相の“寝言”のごとき脱原発主張…。こうしたことが、今後の産業成長の鍵となる原発再稼動を遅らせることのなきよう祈る。

 

コラム中の「民主党政権の経済運営がまったくのデタラメ、日本復権には内需拡大と地方活性化が欠かせない、原発を早急に再稼働させるべき」という意見には同調する。

一方、肝心の内需拡大や地方活性化を実現させるための提言は、財政政策の視点がすっぽり抜け落ち、金融政策偏重主義・構造改革主義・緊縮財政主義・成長放棄主義など様々な思考をごちゃまぜにしたような内容になっており、これをこのまま実行しても日本経済が回復することは120%あるまい。

 

なにより、日本復権のカギは内需拡大にあり地方活性化が欠かせないと言ったのと同じ口から、バラマキ型財政政策を否定する言説が出てくることが、筆者には信じられない。

この手の地域の実情を知らない世間知らずは、すぐに財政政策=バラマキ=無駄な公共事業=政官業の癒着だと決めつけ、財政政策や公共事業を頭ごなしに否定するが、それは「内需拡大」とか「地方活性化」の意味を理解していないからだ。

 

内需とは、GDPの大半を占める民間や政府の消費や投資のことを指す。

これがデフレを脱却するペースで拡大するということは、国内で行われる消費や投資の総額が、前年度を上回る規模で拡大し続けることを意味する。つまり、モノやサービスの提供とその対価として支払われる貨幣との交換量やスピードが増加し続けるということなのだ。

 

当然だが、モノやサービスを消費するにはカネが要る。地方を活性化させるには、地方で消費や投資に投じられるカネが、より多く必要になる。

ただでさえ、長引くデフレ不況やくだらぬ三位一体改革とやらのせいで地方経済はボロボロの状態なのに、公共事業を通じて地方に事業やカネをバラまかずに、どうやって資金を回そうというのか。

 

内需拡大を図るということはカネを使うこととイコールなのだが、当の本人は、GDPの多寡を問わない、単なる経済力に一喜一憂しない、と言い放っており、やはり、経済のイロハを心得ていないようだ。

 

コラムに出てくるアメリカの個人消費や日本の個人金融資産の活用の話も同根で、日本人に「Quality Of Life」の思想が根付けば、自ずと個人消費が刺激されて莫大な個人金融資産が動き出す、という大前研一ばりの夢物語を熱く語っているのは恥ずかしい限りだ。

日本人がカネを使わずウサギ小屋に棲み続けている、いや、いまとなっては、そのウサギ小屋さえ手に入れられないでいるのは、日本人がQuality Of Lifeを理解できずにいるからではない。単に雇用が不安定で収入が減り、手元にカネがないだけだ。

 

財政政策を忌避する臆病者は、カネのかからない政策、例えば「期待」とか「意識改革」なんかに頼りたがる。彼らは、金融政策をやればインフレ期待が起き、構造改革で「清富有徳」国家が実現できると妄信している。まことに単純だ。

だが、期待や清貧の思想だけで巨額の金融資産(ストック)をフローに変え、経済成長の原動力とするなどまさに妄想の世界と言える。

 

個人金融資産が消費や投資に回ることなく増え続けているのは、将来に対する「期待」や「見通し」が否定的であるからに過ぎない。

人々の欲求は尽きることがない。カネさえあれば、いくらでも欲しいものを求め、より良い暮らしをしたいと願うのがまともな人間の姿だろう。そして、その欲求が具現化された結果こそが経済成長なのだ。

 

コラムにあるアメリカの内需主導型成長モデルとやらも、自然発生的に出現したものではない。コラムでは、アメリカ人にQuality Of Lifeの思想が根付いているから、内需主導型成長モデルが成り立っているかのように論じているが、因果関係が逆である。

財政金融政策を積極的に打ち、足りなければ借金をしてでも資金を調達して、国内で潤沢な資金フローを回せるだけの強力な経済基盤があったからこそ、Quality Of Life的な生活慣習が実践できたのだ。清貧の思想みたいな貧乏くさい思想に被れていては、とても3回も10回も引越しすることなどできはしまい。

 

内需拡大とか地方活性化という目標は、きれいごとでは決して実現できない。

地方が欲しいのは、権限もさることながら、何と言ってもカネ(予算)で、どんなにすばらしい事業アイディアがあっても、予算なしには実行できない。地域の活性化を図るのにポイントになるのは、道州制の導入などではなく、交付税の増額と税源の移譲なのだ。

 

政府がカネを使おうとせず、きれいごとばかりの政策を断行しようとすれば、自ずとその方向性は緊縮財政的あるいは新自由主義的なものとなり、その手段は構造改革規制緩和、金融政策などに収斂されるだろう。

そういった政策は国民に「我慢」や「気合」を強要し、国民の消費意欲をますます萎縮させるだろう。

 

経済を刺激するにはカネが要る。経済活動を活性化させるプレーヤー(国民や企業)に十分な資金を渡せば、それが叶う。そしてその資金を無限に提供できるのは政府しかいない。

経済成長に至る行程は、バカバカしいほど単純である。