うずらのブログ

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素材や即戦力に頼ろうとするのは無能の証

10月下旬に関西地域で発覚した食材偽装表示事件は、有名ホテルや旅館に始まり、百貨店やレストランにまで広がっている。

“食材偽装”の内容は、客に提示したメニューと使用する食材や調理手法との間に大きな乖離があるというもので、海外産や一般的な食材を国産やブランド品に、加工肉をステーキ肉に、既製品を自家製に、冷凍物を鮮魚になどといった具合に偽装内容は多岐に亘る。(中でも、バナメイエビ、牛脂注入牛肉、ストレートジュースが大人気)

 

実際に健康被害が出たという訳ではないが、高級感やブランド力を売り物にする高級ホテルや有名レストラン(ミシュランガイド掲載店も含まれている)が、安い食材で誤魔化し、客(通きどりの愚か者)から高い料金をせしめたことに強い非難が浴びせられている。

 

高級ホテルや百貨店などは、食材や商品を納入する業者、特に地方の中小企業者に対して、食の安心安全だ、トレーサビリティだと相当厳密な管理を求め、詳細な商品シート(商品特性、取引条件、生産工程等が記された商談用の提案書)を提出させた挙句に、工場のチェック行い衛生管理体制や作業体制、機械設備の内容等にまで細々と指導をすることがある。

納入側の中小企業は、あれこれと文句や注文を突き付けられながらも、何とか取引を得ようと必死だから、発注の高い要求に応えるために原価の高い食材を使わざるをえずに赤字を強いられたり、無理な設備投資をして資金繰りに窮する者や納期を守るために深夜まで残業を強いられたりするケースも珍しくない。

 

高級ホテルや百貨店もデフレによる競合激化と無縁でいられる訳はなく、利益確保のため致し方なく偽装に及んだであろうことは想像に難くないが、今回の食材偽装問題は、高い料金を支払った客だけでなく、ホテルや百貨店に必死の思いで食材等を納入する業者の努力を踏みにじる行為とも言える。

 

一連の事件はマスコミにとって非常に美味しいニュース素材であり、いつものように偽造に手を染めたホテル等を一斉に糾弾し始めた。

マスコミの圧力に屈した事業者の中には、レシート等の証拠書類なしの返金に応じる者もいるようだが、そこまでする必要はない。そんな甘い対応を取れば、いつぞやの西友事件のように、いじきたない乞食にタカられるだけだ。料金返金はレシートがある者に限り、後はお詫びセールと称して、半年なり1年なり、料金割引サービスでもやればよいだろう。

 

そもそも、ブランドやプライドを売り物にする高級店が、せこい手口を使って食材偽装に及んだのは、コスト削減もさることながら、食品産業や食品業界に蔓延する「ブランド信仰」に起因するものと考えている。

ブランド信仰とは、産地、栽培・飼育・漁獲方法、希少性などに過大な価値を見出し、それを鵜呑みにする思考や慣習を指す。食品のプロと称する業者であっても、○○産ブランド牛とか有機無農薬栽培の高級トマト、幻の魚○○といった触れこみを妄信し、ブランド=高付加価値と曲解する者が多い。むしろ、プロと称する者ほど、自分の感性とか味覚ではなく、ブランド頼みの選定基準を持つ者が多いように感じる。

結局、彼らは大手百貨店とか高級ホテルという看板を背負って仕事をせざるを得ない立場にあり、素材の目利きのプロと称しながらも、ある程度のロットの売上を確保し客から高価な対価を得るためには、世間一般に通りの良い基準(産地、農法、ブランドなどという語句)に頼るのも最も安全かつ確実な方法なのだ。

 

実際に“最高の食材に使った最高の料理”という単純な思い込みは、TVや雑誌を通じて広く浸透しており、誰も疑問を差し挟むことはない。110万円もする高級旅館の夕食に、贅を尽くした最高の食材が宝石のごとく並べられ、女将や料理長が自慢げにリポーターへ講釈をたれているシーンを目にした方も多いだろう。

 

だが、本来、料理とは、料理人の腕と食材や調味料、食器、火加減などが相互かつ複雑に影響し合う微妙なバランスの上に成り立っている。最高の食材同士の組み合わせが最高の結果をもたらすとは限らない。

本物の料理の腕前というのは、最高の素材を使わずとも、調理方法や調味料に独自の工夫を加えて客の舌を唸らせるようなものを指すのではないか。そうではなく、素材や食材のブランド力の上に胡坐をかいて料理の腕を磨くことを怠っているようでは、高級ホテルの名が廃るというものだ。

 

だが、素材の良さやブランド力に頼り切って己の努力を怠ってきたのは、なにも今回槍玉に挙がったホテルや百貨店に限らない。

 

構造改革騒ぎが猖獗を極めたこの十数年の間に、あらゆる企業や組織内で、人材教育に時間・カネ・ヒトを投じることがすっかり少なくなった。

いまや、中途採用だけでなく、新人採用にまで即戦力を求める企業は珍しくない。自分たちはのんびりと学生時代を過ごしたくせに、他人には“TOEICで〇点を取れ、自ら考え判断し行動する能力を身に付けておけ、コミュニケーション能力が大切だ、小学生から英語教育を取り入れろ”と無理難題を押し付けてケロリとしている。

 

だいたい、職業経験のない学生が即戦力になれるような企業は、自社の組織力が「おから建築並み」であることを公言しているようなものだ。プロ野球の世界でも、ドラフトで即戦力となる人材を漁り、他球団の有力選手を引き抜くことに執着するアホ球団が散見されるが、そんなチームには監督やコーチなど不要だろう。

 

彼らは、人材育成に要する時間とカネを無駄なコストとしか捉えられない幼稚な怠け者なのだ。だが、この手のバカ者に限って「日本は資源のない国、人材こそ日本の資源だ」と偉そうに公言するから話がややこしくなる。

人材などというものは、何の努力もせずに黙って手に入る代物ではない。どんな人材も長い時間と資金を投じ、様々な失敗や周囲の協力を得てようやく一人前に育つのだ。人材育成を悪性のコストだと言って憚らないバカ者にも、過去には役立たずで周りの人に支えられた新人時代があったはずだ。

 

彼らが愚かなのは、人材が重要と言いながら、それを育成することには極めて消極的で、即戦力になる人材を都合よく他所から引っ張ってくればよいと単純に考えているところである。

だからこそ、若者や失業者の雇用や育成には目もくれずに、海外から安価でこき使える人材(中国人とかベトナム人など)を引っ張り込むことばかり主張する。

 

そもそも、彼らが大好きな「日本は資源のない国」というフレーズは、大きな誤解をもって世に浸透している。

本当に有用な資源とは、地下や海底から採れる天然資源のことを指すのではない。

天然資源=国家を豊かにする資源、という公式が正しいのなら、とっくの昔にアフリカや中東、東南アジア、南米などの資源国は世界に冠たる先進国として君臨しているはずだが、現実は全く逆である。

 

各国から産出される天然資源を加工し、そこに多大なる付加価値を生み出せる技術こそが本当の意味での資源なのであり、地道な人材育成システムが備わっておればこそ、国富を支える基盤技術を長年に亘り脈々と継承できるのだ。

そして、国家に蓄積された多層的な技術基盤が様々な国富を生み出し、それがまた天然資源を海外から購入する源泉となる。

 

人材育成のような地道な努力を放棄して、海外から即戦力をかき集めているような国家は、やがてシンガポールのような都市国家に落ちぶれ、その地政学的な優位性が失われた時点で国家の命運も尽きることだろう。