うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

経済の足手まといでしかない朱子学者たち

今回は、みなさんが普段何気なく使っているお金についてお話ししたい。

 

ご存じのとおり、お金には紙幣と硬貨(貨幣)があるが、それぞれ発行元が異なっている。

1万円札などの紙幣は、独立行政法人国立印刷局が製造し、日本銀行が発行している。また、500円玉などの硬貨は、独立行政法人造幣局が製造し、財務大臣日本銀行に交付することにより発行される。

端的に言うと、紙幣は日銀が、硬貨は政府が発行している。一度、紙幣や硬貨をよく眺めてみていただきたい。紙幣には「日本銀行券」との印刷が、硬貨には「日本国」という刻印があるはずだ。

 

因みに、財務省のホームページによると、平成24年度の紙幣と硬貨の製造枚数は、紙幣が3種類で3,150百万枚(約13.5兆円)、硬貨が7種類(記念硬貨含む)で916百万枚(約1,794億円)に上る。

このように、毎年多くの紙幣や硬貨が流通することになるが、その製造コストは、一体どれくらいかかっているのだろうか。

残念ながら、それらの製造コストは、造幣局のホームページでも、貨幣に対する国民の信任の維持や偽造防止の観点から公表されていない。

 

だが、国立印刷局から日銀への引き渡し価格や原材料の価格等を基に推計すると、次のようになると言われている。(いずれも推計値)

[紙幣]1万円札:22.2円、5,000円札:20.7円、2,000円札:16.2円、1,000円札:14.5

[硬貨]500円玉:43円、100円玉:73円、50円玉:20円、10円玉:42円、5円玉:4円、1円玉:14

殆どの紙幣や硬貨は、額面が製造コストを上回り、いわゆる通貨発行益が生じているが、10円玉と1円玉は、材料となる青銅やアルミニウムの価格との兼ね合いからコスト超過の状態だ。

 

ご存じのとおり、現在では、日本を含む世界中の国が金本位制(金を通貨価値の基準とする制度。中央銀行が、発行した紙幣と同額の金を常時保管し、金と紙幣との兌換を保証する。)を離脱し、管理通貨制度(各国の中央銀行が、政府の信用を裏付けとして自国の経済規模に見合った分だけ通貨を発行する制度。)を採用している。

日本では「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」により、貨幣の製造や発行の権限は政府に属すると定められ、貨幣の発行量が金の保有量に制限されることはない。

 

では、高価な金や銀などを貨幣そのものとして用いていた江戸時代の貨幣製造コストは、どれくらいだったのだろうか。

江戸幕府を開いた徳川家康の下で鋳造された「慶長小判」1両の現在価値は、諸説あるが、10万円くらいと言われている。

この慶長小判には、金が15g、銀が2.5gほど使われていた。これを現在の相場で計算すると、原材料費のみで66,000円くらい掛かることになり、いまの1万円札と比べて製造コストの高さに驚かされる。

それぞれの額面や価値を製造コストで割り返すと、1万円札は製造コストのおよそ450倍以上もの価値を創出しているが、慶長小判のそれは1.5倍ほどに過ぎない。両者の差は約300倍にもなる。

現在使われている1万円札は、江戸時代の小判と比べてはるかに通貨発行益が大きく、それだけ発行元である政府にとって経済政策の自由度が高いことを意味する。

 

1971年にアメリカが、いわゆるニクソンショックによりドルと金との兌換禁止に踏み切ったことをきっかけに、世界は一気に管理通貨制度へ移行した。

その後、現在に至るまで、多くの国が目覚ましい経済発展を遂げたが、管理通貨制度の導入による貨幣価値の増大が大きく寄与したことはあまり知られていない。

金の保有量に制限されることなく、為替レートやインフレ率さえ気にしておれば、後は政府の裁量で貨幣量をコントロールできる管理通貨制度は、生産力やサービス供給力に優位性を持つ先進諸国にとって非常に使い勝手の良い制度であった。

金本位のように貨幣発行量が金の保有量に制限される窮屈な制度下では、生産力の増大に見合うだけの量の貨幣(=消費するための原資)を創造することが叶わず、一人の勝者の出現により必ず敗者が弾き出されるイス取りゲームのような経済状態に陥ってしまう。

これでは、革新的な商品やサービスが出現しても、それを広く普及させることはできない。いくら良い商品であっても、それを買うための貨幣が世に出回っていなければ、せいぜい祭りの見世物で終わってしまう。

 

江戸時代も元禄期になると、度重なる大火や将軍家の出費により、いよいよ幕府の財源も尽きかけたが、この危急の事態を勘定奉行であった荻原重秀が救ったことは有名な話だ。

荻原は、誰もが思いつかなかった貨幣改鋳という極めて斬新な発想で、財政危機を見事に乗り切った。柔軟な発想で金の含有量を変え、慶長小判の2/3ほどの金含有量となる元禄小判を新たに発行し実質的な貨幣発行量を1.5倍に高めて幕府の財政問題を解決するとともに、華やかな元禄文化の幕開けを陰で支える財政政策を行い、失墜しかけた幕府の威信を建て直し、江戸260年の土台を築いた。

 

貨幣改鋳に踏み切る際に、彼が残した「貨幣は国家が造る所、瓦礫を以ってこれに代えるといえども、まさに行うべし」という有名な台詞は、世界に先駆けて貨幣国定説を世に問うた経済史に残る記念碑とも言うべき偉業である。

産出量が乏しい貴金属を基にした貨幣経済では、新たな商品やサービスが世に生み出されるスピードに貨幣鋳造のスピードが追い付けず、モノ余りが常態化し、デフレ圧力に晒される。(この貨幣不足を補っていたのが藩札の存在)

これでは世の中は大きく発展しようがない。なにせ、いくら画期的な商品を作っても、それを欲する人が購入するための資金を持っていないのだから…。

 

こういった前近代的な状況をブレークスルーするには、貨幣に対する価値観を一変させる必要がある。つまり、貨幣自体に貴金属的な価値を求めずに、価値の尺度や交換(決済)手段としての役割に特化した存在として受け容れるよう発想を転換しなければならない。

貨幣を経済的な交易に用いるツールと割り切りつつも、政府の信用をバックに国内の津々浦々にまで強制通用させる国定貨幣、名目貨幣の存在が求められたのだ。

ドイツの経済学者クナップが貨幣国定説を唱えたのは1905年とされるが、重秀はそれより200年以上も早く名目貨幣の存在に気づいたばかりか、頭の固い朱子学者たちに取り囲まれた江戸幕府という巨大な政治機構を動かし、貨幣改鋳という巨額の財政政策を実現させた手腕は驚愕に値する。

 

だが、せっかく花開いた元禄経済も、将軍の代替わりを機に台頭した新井白石という経済音痴の朱子学者によって崩壊してしまう。白石は重秀が苦心の末行った改鋳を廃し、朱子学に立脚した下らぬ倫理観を振りかざして江戸の経済をデフレ不況に陥れた。そして、幕府は、この後に同じ過ちを享保、寛政、天保と三度も繰り返すことになる。

 

こういった史実は、いまだにデフレ脱却の道を見出せない日本経済に大きなヒントを与えてくれる。

日本のように技術革新やサービス向上への取組みを怠らず、高度な生産力やサービス供給力を維持できる国は、管理通貨制度のメリットをもっと積極的に活用すべきだ。既に述べたとおり、現在の1万円札は、小判と比べて300倍以上もの発行益を生み出し、それだけ莫大な価値を創出できる。だからこそ、この無限に供給できる「貨幣」というまことに有用なツールをもっと大胆に実体経済へ投入して、技術革新の芽をどんどん創出させるべきなのだ。それは、日本の供給力を永続的に維持更新することにもつながる大変重要な取り組みである。

生産力が比較にならないほど乏しかった江戸時代に、重秀以降も数度にわたり貨幣改鋳が実施されたが、大したインフレをもたらすことはなかった。ましてや、世界最高水準の供給力を誇る現代の日本であれば、相当大規模な財政金融政策を打っても、財政破綻論者が懸念するような高インフレにはなり得ない。

 

構造改革主義者や財政破綻主義者の連中は、口を開けばイノベーションだ、技術革新だと叫ぶ割に、日本経済が持つ供給能力に自信が持てないようだ。ちょっとでも余計に貨幣を刷ったり、財政規律が緩んでしまえば、たちまち制御できないインフレに見舞われるとビビっている。

こういった経済音痴な連中が、新井白石紛いの緊縮財政や構造改革ごっこに熱中し、消費税増税の旗振りをしている様を荻原重秀が見たとしたら何と思うだろうか。

恐らく、あまりのレベルの低さに失笑するしかないのではないか。