うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

収入の増加こそが消費者の利益

ここのところ株価が14,000円台半ばを突破し、為替相場も大きな壁になっていた100円台を超えるなど、日銀の大規模な金融政策(黒田総裁の宣言どおりに事務方が国債を買い取っているかどうかは不明だが…)への期待感が形になって表れているようだ。輸出産業を中心に、上場企業の決算もおおむね好調な見通しであり、金融市場は賑わいを見せ始めている。

週刊誌などは、株高・円安だと大騒ぎしているが、リーマンショック前の2007年頃には、日経平均株価17,000円を超え、円ドルレートが120円台であったことを思えば、今の水準など大したことはない。この先も更なる株高・円安が十分に期待できるだろう。

ただし、きちんとした財政政策を実行すれば…という話であり、調子に乗って金融政策頼みの一本足打法を続けるのなら、恐らく今秋辺りに景気は息切れし、株安・円高局面に逆戻りを余儀なくされるだろう。

 

マスコミは、この束の間の株高を針小棒大に採り上げて、“アベクロバブル”とか“日の丸産業の復活”だと気勢を上げている。「黒田バズーカ砲の威力は絶大、次は成長戦略の出番だ」とTPP参加や消費税増税への地均しに余念がない。

呑気な彼らの脳内では、既に日本経済は完全に回復軌道に乗り、放っておいても心配なしと判断されたようだ。いまこそ成長戦略を掲げて念願の構造改革に取り組むべし、と騒ぎ立て構造改革教の布教に勤しんでいる。

だが、マスコミの連中が、成長戦略だ、規制改革だと大声を上げる理由は、第二の矢である財政政策を求める声が国民から上がるのを掻き消すためである。

そのために、第二の矢(機動的な財政政策)=平成24年度の補正予算民主党の置き土産の焼き直し予算)のことで既に終わったものだと決め付けた報道をタレ流し、第一の矢と第二の矢は既に放たれました、最も重要なのは第三の矢(成長戦略)ですよ、と国民をミスリードする記事で紙面が埋め尽くしている。

彼らが何より忌み嫌う財政政策の出番を失くそうと必死なのだ。

 

新自由主義者構造改革教徒が採る財政政策発動予防策には二つの方法がある。

一つ目は、先に示したように、金融政策と成長戦略で景気は十分に回復したと喧伝し、それを強引に既成事実化させるやり方である。

「金融政策と成長戦略だけで景気は十分に回復しました、財政政策みたいに国の借金を増やすような危ない方法を採る必要はありません」と囁けば、不勉強な国民の多くは納得させられるのだ。


もう一つ目は、国民に成長を諦めさせ、現状を認めさせるやり方である。

「デフレ不況なんて大げさだ、物価が下がって何が困るんだ、モノを安く買えるのは消費者の利益だ、若者が大変だというがモノは溢れてるし誰も飢え死してないじゃないか」というネジの緩んだ意見や論調を吐く馬鹿の口を通じて、デフレは悪くない、物価が下がるのは消費者の利益だと洗脳するやり方が、それなのだ。

とある経済新書の誌上で、構造改革主義者とリフレ派の経済学者同士の対談があったが、構造改革主義者の学者(経済情勢によってコロコロと立場を変えるポジショニング派の大家として有名な人物)の口から、「デフレは悪くない、物価が下がるのは消費者の利益、余ったお金でより多くのモノを買える、若者は安く買えたパソコンでネットライフを満喫している」とデフレを全面擁護する発言が次々飛び出したのには驚いた。

いっぱしの経済学者が、モノが安いのは良いこと=デフレでOKといった主婦や年寄レベルの経済認識しか持っていないとすれば、まことに情けない限りで、経済学者と言われる者ですらこの程度なのだから、日本が世界隋一の低成長国になってしまったのも頷ける。

ちなみに、19962011年間のコアコアCPIとサラリーマンの平均給与額の推移を比較すると、コアコアCPIの下落率が4%程度であるのに対して、平均給与は10%以上も下落している。

パソコンや薄型テレビが安くなった、デフレ万歳、とはしゃいでいるうちに、肝心の給与がそれ以上に下がっていることに気付いていない。数年に一度くらいの頻度でしか買い替えない耐久消費財と自分の生活を支える給与収入を天秤にかけるなど愚の骨頂だ。

こんな簡単な理屈が判らないような者は、朝三暮四の諺に出てくる猿よりレベルが低い。

 

新自由主義者の素人学者が良く勘違いするのが、「消費者はデフレによる物価下落によって支出を縮減できるため余ったお金を別の消費に向けることができる。その結果、別の商品やサービスに対する需要が高まり、それらの物価は上昇するはず。つまり、マクロ経済全体では影響は中立だ。」という考え方だ。

つまり、A商品を買うのに10,000円を使うつもりの消費者が存在したとして、A商品の価格が9,500円に下がると、得をした消費者は、余った500円で別のB商品を買うはずということだ。

だが、こういった消費循環が成立するのは、現実的には非常に困難だ。なにせ、そのためには、支出する金額を消費者が常に一定に保ち続ける必要があるからだ。

世の中が好景気で、雇用や収入も安定し財布の紐が緩みっぱなしの状態なら、こういった消費行動は十二分にあり得るだろう。それどころか、借金までして余計な買い物すらしかねない。

だが、いまのように雇用が不安定で収入が減り続けるようなデフレ不況下では、将来不安もたらす強迫観念から消費に慎重になっており、使い切る金額を端から決めて買い物する者など滅多にいないだろう。10,000円のモノを買うつもりが、9,500円で買えたとして、残りの500円で他のモノを買う者がどれくらいいるだろうか。「いったん決めたからには、何があっても10,000円を使い切るぞ」なんていう頑固な江戸っ子がいるとすれば、よほどの変わり者だろう。

大概の者は余った500円を貯蓄する(もしくは財布の中に眠らせる)だろうし、例え何かを買うとしても500円全額ではなく300円程度のモノに抑えるのではないか。こうして、消費から脱落した余剰所得が積み上がりマクロ経済全体の支出額が減り続け、デフレを深刻化させる。

 

デフレ不況下において、物価の下落は消費者の利益とは言えない。

下落した分の価格は、それを生産し提供する企業の売上や収益、ひいてはそこで働く者の給与の犠牲の裏返しに過ぎない。

下がった値札を見てニヤける一瞬の静的快楽が永遠に続くと思うのは、大きな勘違いだ。