うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

迷信からの脱却がデフレ脱却の第一歩

1217日付でロイターから、「自民圧勝で「アベノミクス」始動、アキレス腱は金利上昇」というコラムが配信された。

コラムは、新政権による積極的な財政金融政策を批判的に評し、長期金利の上昇や国債増発、公共工事コストの上昇、財政ファイナンスを懸念する内容になっている。

これは、単にアベノミクスのみに止まらず、デフレ脱却を目指すリフレーション政策そのものに対する疑念や批判だと言って差し支えない。

筆者には時代遅れの邪教の経文にしか見えないが、恐らく多くの国民は、デフレ脱却の可能性や日本経済の行く末に対して、コラムに書かれたのと同じような疑念を抱いていることだろう。

 

このロイター発のコラムの主張は、次の4点に集約される。

1.日本経済の潜在成長率を引き上げる政策がなければ、財政金融政策も一過性の刺激策に止まり、一段の債務残高累積による長期金利上昇という副作用をもたらす。

2.財政金融政策により、マーケットは一時的に円安・株高を演出するだろうが、公共投資主体の経済対策は日本の実力を高めることにつながらず、投資終了とともに地方の需要は再度沈下する。国債残高が1,000兆円にも達するのは、バブル崩壊後の1990年代に国債を大量に発行して公共事業の大盤振る舞いをしたせいだ。失われた20年と同じ過ちを繰り返すな。

3.日本の生産年齢人口の減少が経済成長の足枷になっている。国土強靭化を理由に公共事業を大量に発注しても、建設労働者の不足や建設関連コストの上昇が日本経済のボトルネックになる。建設労働者の人件費上昇が、他の産業の労働コストを誘発しかねない。

4.国債発行量が急増することに対してマーケットが疑念を抱き、日銀による財政ファイナンスへの疑いが市場に浮上するリスクがある。長期金利が短期間に急上昇した場合に、政府の債務支払い能力や国債を大量に保有する金融機関の財務体質に不安が出かねない。

こういった事態は回避すべきで、財政拡張一辺倒ではなく、大胆な規制緩和による民間資金の流入促進が必要だ。ついでに、行財政改革により無駄を排除し、歳出膨張圧力を緩和させろ。

 

現実を直視せず、構造改革教の文脈でしか経済を語れない愚か者の精神構造は、いったいどうなっているのか。彼らの口からは、寝ても覚めても“規制緩和、無駄の削減、グローバル化”しか出てこない。

この手のバカ者が改心するはずはなく、せめて邪教に騙される国民が一人でも減るように、経文の誤りを指摘しておく。

 

まず、一点目の潜在成長率と長期金利の問題だが、潜在成長率とは、「生産活動に必要な全要素を使った場合に、GDP国内総生産)を生み出すのに必要な供給能力を毎年どれだけ増やせるかを示す指標(金融経済用語集)」を指し、供給面から一国の経済力を測る指標である。

であれば、デフレに苦しむ日本の経済問題を語る際に潜在成長率を持ち出す時点で、“ボーク”の判定をされても仕方ない。

「日本経済の病巣はデフレにあり、デフレとは供給力を満たすだけの需要が不足する状態を指す」という基本を理解できていれば、供給力の成長可能性を計る潜在成長率をことさら問題視する必要などないはずだ。いの一番に潜在成長率を語ること自体が、現状の経済問題を認識できていない証拠だ。

日本のように高度に技術力や生産力(サービス供給力を含む)が発達した国なら、需要さえ順調に成長させれば、それに見合うだけの潜在成長率を向上させることなど容易いことなのだ。“競争力が落ちているから需要がない”のではなく“需要がないから供給能力が活かされずに競争力が低下する”のだ。

 

また、景気刺激策に伴う長期金利上昇など騒ぎ立てるほどの問題ではない。

大手企業を中心に手元の流動性資金を潤沢に蓄えており、初期の段階で急激に運転資金が不足するような事態にはならないだろう。また、増発されて実体経済を駆け巡ることになる「円」は、投資や運用される際に、リスク回避のため一定程度は必ず国債に流れ込むことになり、急激な金利上昇を抑え込む役割を果たす。

それでも足りないようなら日銀に買い取りさせれば済む程度の話である。

だいたい、多くの国民は、日ごろから銀行預金の金利が低すぎると文句を垂れているのだから、少々の金利上昇くらい歓迎すべきではないか。

 

次に二点目の、公共投資による経済対策の是非と国債増発に対する懸念だが、筆者は、公共投資頼みの経済対策を批判する風潮自体がおかしなものだと考える。

インフラは国民生活や経済活動を支える社会基盤であり、“国民経済を成長させるための前提条件”だ。景気対策云々に関わらず、インフラを充実させ、更新し続けて行くのは至極当然のことである。有史以来、公共工事が行われなかった年など一度もない。

公共事業は一時のカンフル剤などではなく、永遠に継続すべき大切な事業なのだ。

公共投資主体の経済対策をバカにする風潮も根強いが、目立った産業集積や人口集積が期待できない地方(3大都市圏以外のほとんどの地方)にとって、公共事業が経済発展に果たす役割は非常に大きい。東京のように、大した努力もせずに上場企業の本社機能が勝手に集積されるような地域でのほほんとしている者には理解できないだろうが、公共事業の有無は地方にとって経済活動の基盤を支える死活問題だ。

 

また、バブル崩壊後の公共事業増加の意味も正しく理解できていない。

バブル崩壊とともに不動産や株式が暴落し、その損失額は全国で1,200兆円を上回るとの試算もある。これだけの資産デフレをたったの100兆円ほどの公共事業費で何とか食い止めたのだから、評価されてしかるべきであって、ムダづかいだなどと非難する者の神経が疑われる。むしろ、100兆円と言わず、300400兆円くらい投じておけば、いまにつながるデフレに陥ることもなかったはずだ。

 

続いて三点目の生産人口の減少と建設労働コストの上昇の問題だが、生産人口の減少はリタイアした高齢者などの消費人口の増加の裏返しでもある。であれば、供給力(生産人口)の減少→需要(消費人口)の増加をもたらし、デフレが解消に向かうはずだが、現実にはデフレの進行に歯止めが掛からない。

つまり、現状程度の生産人口の減少はデフレ要因でもなく、ましてや経済成長の足枷にはなり得ないのだ。これだけ機械化やIT化が進んだ生産体制下では、需要さえあればそれに合わせていくらでも生産を増強することができる。

 

コラムでは、東北の復興事業が進まない要因を建設労働者の不足だと決め付けるが、復興予算が不十分であることや複雑な予算執行手続きを課しているからにすぎない。

建設労働者など被災地の周辺では不足しているだろうが、全国的に見れば大幅に余剰の状態だ。これまで公共事業費を散々削って多くの建設業者を市場から爪弾きにしておきながら、いざ復興という肝心な時に建設労働者の不足を心配するバカには呆れるしかない。

建設不況により一時的に業界を去った者は多いが、技術やスキルを有する者の多くは幸いにして健在だ。これからきちんと公共事業費を継続的に手当てすれば、建設労働者の確保や建設や土木技術の継承に大きな問題はない。

また、コラムでは、建設労働者の人件費上昇や工事進捗の遅れを懸念するが、くだらない入札制度のせいで不当に低く抑えつけられてきた建設コストや人件費を適正化するよう早急に取り組むべきだ。

工事進捗云々は、役所の単年度会計主義を改めて事業期間を柔軟に設定すれば済む話で、こういう時こそお得意の規制緩和論が役立つ時だろう。

 

最後に、四点目の財政ファイナンスへの懸念だが、日銀による財政ファイナンスの何が問題なのか。

いまや世界各国で行われている量的緩和という名の金融政策は、財政ファイナンスとほぼ同義語であり、マーケットの連中もそんなことはとっくの昔に理解している。 

いまさら財政ファイナンスを恐れるような素人は、40年以上も前に金本位制から脱して、管理通貨制度を導入し経済発展を実現にしてきた意味をよく噛みしめてみればよい。

財政ファイナンスを否定するのは、国家が通貨を発行するのを否定するのと同じことだが、このコラムを書いたロイターの記者はお金を使ったことがないのだろうか。

 

経済学者のA.ラーナーが『雇用の経済学(1951年)』で著したとおり、政府の財政収入は①租税②国債③通貨発行による、というのが基本である。

本来なら、国家の大権である通貨発行で事が済むはずだが、多くの国家は古くからインフレ回避を優先させ、租税と国債を収入の柱としてきた。

しかし、日本をはじめ十分な生産力(供給力)を有するに至った一部の先進国では、インフレよりもデフレこそが忌避すべき問題となり、もはや租税や国債のみに頼らない収入体系を構築すべき時を迎えている。

技術革新などを経て毎年のように成長を続ける供給力に応じて、機動的に需要を創出していくためには租税や国債だけでは、いかにも役不足である。ひとっ飛びに政府紙幣発行とは行かないだろうが、日銀による国債引き受けなど、管理通貨制度下の経済手法としてオプションのひとつにすぎず、なにもおかしな政策ではない。

 

実際には、上述のロイター発のコラムと同じような考えを持つ市井の人々も多い。

筆者の会社や身の回りにいる者も、景気回復への期待とは裏腹に、インフレに対する過度な警戒心を抱いたり、景気回復への希望自体を放棄したりする者がほとんどだ。

景気や経済環境の改善は、雇用の安定や収入増加を通じてほとんどの国民に大きなメリットをもたらすのだが、なぜかそれに強硬に反対する者が多い。

そのバカ者の代表が、“日本はもう成長しない(=すべきでない?)、贅沢したければグローバル化しろ、そうでなければ高望みせず身の丈に合った生活をしろ”と主張する新自由主義者構造改革教の信者達である。

彼らの思想や発想そのものは、現実社会とは数億光年分も乖離した独りよがりな迷信にすぎない。

だが、幼稚な迷信であっても、社会的地位や強い情報発信力を持つ者の口から発せられると、過大にレベレッジされて意外にあっさりと社会に伝播してしまうから恐ろしい。

 

来年こそは、新政権による積極的な財政金融政策により、こういった迷信から多くの国民が解き放たれる第一歩となることを期待したい。