うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

『成長』の意味

126日に新聞各社から公表された衆院選情勢の世論調査結果には驚かされた。

読売新聞や朝日新聞産経新聞ほか全社から「自民党単独で過半数を上回る勢い」、「自公で300議席に迫る勢い」と自公優位の情勢が報じられ、中には、共同通信社のように自民党単独で300議席近くに迫るという極端な調査結果もあった。

いずれの調査も調査規模が数万人~十数万人とかなり大規模な調査であり、自社に都合の良いバイアスをかけていないのであれば相当精緻な調査結果だと言える。

だが、衆院選挙公示前からマスコミ各社が揃って、反原発TPP、消費税増税へと選挙の争点ずらしに全力を尽くしてきたことを考えると、上記の調査結果は誠に意外なものであり、ストレートに鵜呑みにする気にはなれない。

 

衆院解散が決まった途端に、マスコミによる景気や雇用、社会保障という国民のニーズを無視した争点ずらしが盛んに行われてきたが、それを受け止める国民の意識は、マスコミの暴走を冷静に捉えてきちんと批判できるほど向上しているとは到底思えない。

マスコミの連中は、自分たちが衆院選の主導権を握ろうとなりふり構わず偏向報道を続けてきた。

衆院解散直後は大阪の中学生市長と経済オンチの元都知事の合流推し一色に染まり、公示後は海無し県の卒原発おばさん率いるグリーンピース紛いのインチキ政党への応援に余念がなかった。

まさに、小泉郵政選挙民主党政権交代選挙という過去2度の衆院選と同じくマスコミによる強引な世論誘導が行われており、マスコミ好きの国民がまたもや簡単に洗脳されるのではと危惧し、自公(いかがわしい宗教政党は要らないが…)で過半数を維持できるかどうか微妙な情勢だと考えていた。

 

126日の世論調査結果を素直に受け取れば、筆者の危惧も杞憂に終わるかもしれないが、こうした一方的な情勢報道がどちらに優位に作用するかは判らない。

報道を見て、自公に大きく振れそうな針を揺り戻そうとする動きもあろうし、そのまま勝ち馬に乗ってしまおうとする動きもあるだろう。

 

筆者は、橋本政権や小泉政権以降の自民党政権(一部を除く)に批判的な立場を取ってきた。

それは、当時の自民党政権が、バブル崩壊後に内需が縮小する国内の経済状況を無視して、マスコミや財務省をはじめとする新自由主義構造改革教徒の言いなりになって緊縮的な財政政策を断行し、国内経済や社会基盤の停滞や崩壊を招いたにもかかわらず、つい最近まで全く反省の色を見せてこなかったからである。

 

しかし、今回の衆院選では、安倍総裁が過去の失政を反省したうえで、財政金融政策に積極的に取り組むことを公約できちんと示していることを評価している。

数多ある政党の公約を読むと、経済成長こそが日本の諸課題解決のベストアンサーであることをちゃんと理解できているのは、残念ながら自民党以外にはない。(政権奪取後にまともな経済政策を実行できるかどうかは判らないが…)

 

それに引き替え、民主党や維新の会、未来の党みんなの党などは、「公共事業=古い政治」、「財政政策=国の借金を増やすだけ」というバカげた固定観念に捉われたままで、壊れたゼンマイ時計のように「公共事業頼みの古い政治と決別を」、「規制緩和グローバル化で経済成長を」、「脱原発で子供たちに安心な未来を」という寝言を繰り返すばかりだ。

彼らは、財政政策=悪という邪教に縛られ、新自由主義的な文脈でしか政策を語れない。まさに進化を拒否する時代遅れの政党であり、日本にとって国難とも言える危険な時期を乗り切れる力量などとても持ち合わせていない。

 

先日も中央自動車道の笹山トンネルで発生した崩落事故で9名もの貴重な人命が失われるという大変痛ましい事故が起きたが、こうした悲劇的な事故を受けても、公共事業の重要性を再認識しようとする動きは弱い。

 

橋本政権や小泉バカ政権の自民党政権以降、削りに削りまくってきた公共投資は、民主党政権になっても毎年のように削られてきた。

マスコミや財務省をはじめ識者といわれる連中は、これを構造改革行政改革の成果だと鼻高々に自慢し、国民の多くは、薄汚い土建屋をつぶせと喝采を送ってきた。

今回の痛ましい事故を受けても、「全国のインフラ更新に毎年8兆円もの資金が必要だ、新規の公共投資を削るべき」、「公共事業をやっても経済成長などしない、本当に必要な公共投資に絞って効果的に行うべき」といった妄言が渦巻いている。

 

しかし、「国土交通白書2010」によると、2009年時点で建設後50年以上を経過するインフラの割合は、下水道管渠で約3%、港湾岸壁で約5%、河川管理施設で約11%、道路橋で約8%となっている。

しかも、こうしたインフラは197080 年代にかけて整備されたものが多く、今後20 年間で老朽化が急速に進むと予測され、2019年には下水道管渠で約7%、港湾岸壁で約19%、河川管理施設で約25%、道路橋で約25%に、2029年には下水道管渠で約22%、港湾岸壁で約48%、河川管理施設で約51%、道路橋で約51%へと急増する見通しで、この先20年も経たないうちに半分近くのインフラが更新期を迎えるという恐ろしい事実が目の前に付きつけられている。

公共投資がムダだとか、コンクリートから人へなどといった神学論争にかまけている間にも、国内にあるインフラは刻一刻と老朽化している。大切な国土が新自由主義者構造改革主義者というシロアリに喰い散らかされるのを黙って見過ごす余裕はない。

 

国土を守り国民の生活を維持向上させるために欠かせないインフラ整備は、“新規か、保守か”という単純な二者択一を迫られる類の問題ではない。

新規のみでは膨大な量の保守点検が疎かになるし、保守ばかりでは新規インフラ整備の技術継承が疎かになる。橋や道の保守点検を行う業者と新規で道路や橋を造る業者は別ものであり、どちらか一方のみで十分だと言えるものではない。

 

昨年の大震災以降、湯水のごとく電気を使いながら脱原発だとか反原発だと気勢を上げるばか者と同じく、生まれてから死ぬまで社会インフラにどっぷり寄りかかって生きているのを忘れて公共投資公共事業に悪態をつく愚か者が絶えることはない。

だが、現実には、日本人の誰ひとりとして公共投資公共事業の恩恵に与らずに生活できる者などいない。

一歩家を出れば道路を通らずに外を出歩くことなど不可能だし、ネット通販で購入したアクセサリーも道路や港湾・空港などのインフラを使って運ばれてくる。家の中に籠ったままでも電気や水道、ガス、電話、上下水道などのインフラなくして生活は成り立たないことなど子供でも分かる常識である。


我々は、インフラというゆりかごの上で一生を過ごすのだ。

 

今回の衆院選でも、野田総理や大阪の中学生市長は、安倍総裁が提案する財政金融政策に対して、「公共事業や財政政策は古い政治の象徴だ、政治を後戻りさせるな」、「公共事業で経済成長なんてありえない、成長には人材や教育への投資こそが必要だ」といった批判を浴びせているが、彼らの思考の時計の針は十年前で止まったままだ。

 

何より致命的なのは、安倍総裁を除く与野党各党の党首が、『成長』という言葉の意味をまったく理解できていないことにある。

 

国家の成長とは、経済の成長に他ならず、経済成長とは、家計においては安定した雇用を手に入れて収入が伸びること、企業や団体においては売上や収益が伸びることであり、それらの総体が国家全体の名目GDPの成長という結果に集約される。

「成長」というのは、公務員の給与を削減したとか、英語を話せる人材が増えたとかいう類の妄想とイコールではない。

経済成長とは、国家内に存在する家計や企業等の経済力が増加することを意味しており、それを実現するには、実体経済に「円」という通貨を十分に供給し、その流通のスピードを上げ、流通に係るプレーヤー(家計や企業など)の数を増やしていくことが重要なのだ。

 

それには、財政政策、とりわけ公共事業の実施が最適解になる。

世の中には、先端産業や成長産業と呼ばれる業界や分野があるが、そこに携われる者はごく僅かに過ぎない。そんなちっぽけな産業分野に莫大な資金を投じて供給力を高めても、それを受け止められる需要家が存在しなければまったくのムダに終わる。

むしろ、公共事業を通じて、世の中に数多存在し、就業人口も圧倒的に多いオールドエコノミー産業や生産性の低い産業に十分な資金を投じてやれば、関連産業の需要力は大きく伸び、そこにビジネスチャンスを見出す先端産業や成長産業の商機も広がるし、先端産業や成長産業からのビジネス提案により、オールドエコノミー産業の成長力が向上するといった効果も期待できる。

 

長引くデフレの影響により、日本が抱える大きな課題は「需要不足の解消」である。

ムダの削減とか規制緩和とかいった類の政策は、慢性的なインフレに悩む後進国にこそ相応しい政策であり、今の日本には毒にしかならない。

しかし、一部を除くほとんどの党首たちが、こうした基本原則さえ理解できていないことに日本が抱える危機の本質がある。