うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

新自由主義や構造改革教こそが日本を後退させる

野田首相が珍しく約束を守り、自らの宣言どおり1116日に衆議院を解散した。

“近いうちに解散”宣言から3カ月以上を経て、ようやく解散が実現したわけだが、何とも中途半端な時期を選択したものだ。

年明け解散や年度明け解散を望む(政党交付金狙いの)党内の声に背いただけでなく、維新の会など第三極にとっても選挙対策の準備が整わないうちに梯子を外された形だ。

 

とはいえ、維新の会の連中も前々から話題づくりに勤しんでいた割に、ずいぶんとのんびりしていたものだ。年内解散の可能性も十二分にあったはずだが、いまだに候補者の選定作業をやっているようでは、ド素人同然である。

しかも、肝心の選挙資金が不足しているようで、立候補者から急きょ100万円(比例区に重複して立候補する場合は+300万円)を上納させるなど、仕切りの悪いブラック企業そのものだ。

こんなことでは、たとえ選挙で当選しても、後から大量の選挙違反者を出す羽目になるのではないか。

 

それにしても今回の解散は、低迷する民主党の支持率を回復させるには早すぎ、第三極を抑え込むには石原暴走老人の台頭を許すなどやや遅きに失した感もあるという、まことに中途半端な時期での解散だと思う。(この中途半端さ加減がいかにも民主党らしいとも言えるが…)

 

さて、衆議院の解散がなされるやいなや、マスコミの連中は、「野田首相は安倍総裁との党首討論で優勢だった」とか「党内の反主流派を切り捨て決められる政治を断行した」などと首相を持ち上げ始め、民主党が主張する「前進か後退かの選択」だとかTPPや身を切る政治の争点化の片棒を担ごうと必死になっている。

この3年間の民主党の実績なんて、高校授業料の無償化と子供手当(半額だけだったが…)以外に何かあっただろうか。

“削る(事業仕分け、復興放置、原発停止)・遠慮する(中韓への対応)・注視する(円高放置)”をスローガンに日本の国力を削ぎ続けた民主党政治に対するマスコミの評価は甘すぎる。

加えて、石原新党(太陽党)と維新の会の合流について民自両党よりはるかに大きな紙面を割いて大々的に報じている。前回の政権交代選挙と同じく、なりふり構わずマスコミ主導で第三極中心の選挙にしようとする意図を隠そうともしない。

第三極などと威勢のよいことを言っても、維新の会や太陽党、みんなの党減税日本を併せても衆議院の現有勢力は18人に過ぎず、共産党社会党新党大地と同じくらいの弱小勢力であることに変わりはない。

しかも、中味は、政策がバラバラな鞍替え議員ばかりの寄り合い所帯で、新たに加わるだろう新人議員達も松下政経塾の二番煎じの自己中な構造改革主義者ばかりだろう。

 

今回の衆院選は、このままでは自民党が圧勝するであろうことは衆目の一致するところだが、それが気に食わないマスコミの連中は、自民圧勝の流れを断ち切るべく野田首相の意固地な政治姿勢を急に持ち上げたり、野合や離散を繰り返しかねない第三極を台風の目としてクローズアップさせようと懸命になっている。

マスコミ的には、民主党の残飯や第三極などの厄介者たちに200近い議席を確保させて自民党への牽制に使いたいのだろう。

 

なにせ、自民党の安倍総裁は、政権獲得後の経済政策について、これまで以上に具体的かつ踏み込んだ主張を展開している。

公共事業の強化や日銀の国債無制限買い取りを含むインフレターゲットの導入、日銀法改正のみならず、建設国債の日銀による直接引き受けにまで深く踏み込んだ主張をしており、このことは、財務省やマスコミなど新自由主義構造改革教に帰依する者にとって、教義や教祖を冒涜されかねない危険な発言である。

さっそく、財政規律が緩むとか、国債が暴落するとか、ハイパーインフレーションが起きるとかいうネジの緩んだ批判が浴びせられているようだ。

 

こういったリフレ政策は、小泉バカ政権以降、財務省やマスコミ、エコノミスト、財政学者などにより禁句とされ、少なくとも政策協議の場では口にすることさえ憚られてきた。

ここ十数年というものの、TVや新聞、雑誌を眺めても、「公共事業を増やすなんてとんでもない。無駄なハコモノを造るのか。政官業の癒着を許すのか。」、「農業とか建設業は政府に甘えるばかりで競争が足りない。TPPを導入し国際競争に参加して日本の産業構造を変えるのだ。」、「少子が進み社会保障費は増える一方だ。国民負担が増えるのは仕方ない。身の丈に合わせた生活で我慢すべきだ。」など、緊縮と競争の強制を教義とするヤル気のない意見がメディアを席巻してきた。

それに反することを言おうものなら、守旧的だとか、怠け者だと揶揄され徹底的に叩かれてきたものだ。

 

だが、その結果たるや惨憺たるもので、GDPの長期低迷や失業者・自殺者の大幅な増加、雇用の不安定化による社会構造の不安定化、下請けいじめの激化、中韓との摩擦激化等々、日本の国力を低下させてきたことに異論はあるまい。

新自由主義者たちは、こういった惨状を顧みることなく、いまだに“改革が足りないせいだ”と負け惜しみを吐き続け、民主党の残飯たちや第三極に構造改革教へのバトンを託そうとする。

衆院選を控えて急に民主党の実績を讃え始めたり、第三極の素人連中を強引に持ち上げようとするのは、新自由主義構造改革教の火を絶やすまいとする必至の行動の表れなのだ。

 

彼らは、現状の劣勢を跳ね返すために、小泉以前の政治を「古い政治」とレッテル貼りする一方で、小泉以降の緊縮財政や小さな政府路線の政策を「新しい潮流」と持ち上げ、「前進か、後退か」などと巧みに論点をずらそうとする。

しかし、日本を壊滅させかねない小泉アホ政権以降の緊縮政策こそが、もはや「古く淀んだ薄汚い潮流」なのであり、それ以前のいわゆる古い自民党政治と揶揄されるリフレーション政策こそが、日本の復興に向けた経済成長の糧となる『新しい潮流』なのである。