うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

風評被害の発信源

 震災がれきの処理問題をマスコミが連日のように報じている。

 大震災から1年以上経過するにもかかわらず山のように放置されたがれきを見せられて、被災者の方々もさぞ無念な想いを抱いておられることとお察しする。

 だが、がれきの広域処理問題に関しては、札幌市や福岡市をはじめ、多くの自治体が受け入れを拒否している。特に、被災地から距離的に離れた地域ほど、がれきに付着する(どうせ大した量ではない)放射能による風評被害を恐れて受け入れに対する拒否反応が強いようだ。

 筆者が薄気味悪く感じるのは、がれきの受け入れを拒否する各首長の小心さよりも、彼らに無言のプレッシャーを掛け続ける『民意』である。実際に、がれき受け入れに対する自治体住民へのアンケート結果や自治体へ寄せられた意見などには、放射能による健康被害を懸念する声、周辺の農産物や観光資源への風評被害を心配する声、がれきは被災地で集中処理すべきとの意見などが多くあるほか、放射能を拡散させるなといった頭の悪い意見も散見される。

 昨年末のエントリーでも指摘したが、多くの国民の口から発せられ、街中に氾濫した“絆”とか“がんばろう東北”とかいう美辞麗句は一体何だったのだろうか。大震災なんて所詮は他人事で、被災者や被災地のことなんて構っていられないという薄汚い本音が垣間見える。2011年の今年の漢字に選ばれた「絆」という文字が、いかに軽い気持ちで使われていたのかがよく判る。

 一連の震災がれき報道や受け入れを拒否する住民の声を聴いていると、福島第一原発から200㎞も300㎞も離れた被災地のがれきまで犯人扱い(放射能汚染)されていることと、まるで福島第一原発から漏れ出した放射能のすべてが震災がれきのみに吸収されたかのような報道や過剰反応に対して強い違和感を覚える。

 反原発ゴロや放射能に過剰反応する頭のおかしな人々が云うように、福島第一原発の事故により放射能がバラまかれ被災地全体のがれきに健康を害するような放射線量が含有されているとするならば、すでにがれきだけでなく周辺の人や構築物、鉄道や車両、山林などあらゆる物質が汚染されているはずだ。

 放射能は、わざわざ「がれきだけ」を選んで、そこに居座っている訳ではないからだ。

 そうだとすれば、がれきだけを拒否しても何の解決にもならない。すでに震災後に大量の人員や物資、車両などが被災地から全国へ移動し、今日もそれは続いている。被災地へボランティアに赴いた人は大丈夫なのか、被災地でチャリティーコンサートをしたアーティストは大丈夫なのか、被災地や周辺地域で日常生活を送っている多くの住民は大丈夫なのか。岩手のがれきが放射能汚染されているなら、仙台市民も同じように被ばくしているのではないか。それなら、なぜ、がれきだけを特別視して受け入れを拒否するのか。

 そもそも、がれき受け入れを拒否する人々の頭の中に合理的な判断や冷静な視点は存在しない。

 そういう類の人間は、自分の頭や常識で考えようとせず(そもそも常識がないのかも…)に、マスコミが撒き散らす風評被害に踊らされてその片棒を担いでいるだけなのだ。常識のない外国人ならいざ知らず、当の日本人がマスコミの連中と一緒になって災害に苦しむ被災者の傷に塩を塗るような汚いマネをすべきではない。

 また、震災がれき受け入れに関する調査で、最後に決まって出てくるのが『国が明確な基準を定めるべきだ』というフレーズだろう。

 日ごろは行政や政治に文句ばかり付けて小さな政府を礼賛するくせに、なにか事が起きるとすぐに国を頼ろうとする意気地のなさは何なのだろうか。どうせ、なにか基準をこしらえても、原発再稼働の時と同じく、拙速な議論だとか国は信用できないとか言って文句をタレることは目に見えている。被災地に協力できない自身の卑怯さを直視したくないからといって国に責任転嫁するのは止めた方がよい。

 被災地や被災者は災害により家族や資産、職を失った挙句に長期間にわたり放置され、復興への気持ちが萎えかけている。そんな折に、震災がれきの処理などといった初歩段階の問題で躓いている場合ではない。

 各自治体の首長や住民は、いまこそ震災直後の真摯な気持ちに立ち返り復興を後押しすべきだ。