うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

人件費が高くて何が悪い

 仕事柄、企業の経営者と話していると、食料加工品などの原材料費の安い仕入品目やITサービスなどのコストを捉まえては、「○○は人件費のかたまりだからなぁ~」というセリフをよく耳にする。

 こういったセリフを吐く裏側には、仕入先や発注先のコストが高いことを揶揄する気持ちやもっと相手(仕入先)の人件費を削ればもう少し安く上がるんじゃないの…といった厚かましい要求が見え隠れしている。

 因みに、全産業ベースでの売上高人件費比率((役員給与+役員賞与+従業員給与+従業員賞与+福利厚生費)/売上高)は、法人企業統計年報によると、ここ数年は13-14% (平成5-6年頃は17%超)で推移しており、思ったほど高いものではないという印象である。

 このケチな経営者だけでなく、我々は日常生活の中で、サービス事業、中でも接客などといった対人サービス事業に類するサービスへの対価を支払う際に、「○○は人件費のかたまりなのに…」などと言って、その値段にケチをつけることが多い。「人件費ばかりで、材料費も掛かっていないのに、ちょっと高すぎるんじゃないか」という気持ちの表れなのだが、裏を返せば、“モノ=有形物”を敬う一方で、目に見えず形に残らない“サービス”を一段低く見てしまうのだろう。

 サービスなんて形の残らないものにお金なんて払いたくないという「スマイル¥0信仰」が、その根底にある。

 それが高じて、中国人やインド人を雇えばもっと安くできるのに…と妄想した挙句に、日本は人件費が高すぎると他人の懐具合にまで口を差し挟もうとする。

 しかし、日本人の人件費が高いことがそんなに悪いことなのか。

 太古の昔の自給自足生活から始まって、必要な物資の物々交換を経て貨幣経済が浸透し、人々の生活レベルは飛躍的に向上した。

 本来、それ自体では空腹すら満たすことができない貨幣を物品やサービスの交換ツールとして活用することによって、人々の購買意欲は大いに刺激され、生産・製造できる品目や品種は爆発的に増加し、生活レベルや生活様式は大きく発展してきた。

 それは、人々を自給自足の生活から離脱させる一方で、何らかの形での労働やサービス提供、あるいは社会生活への参加を強要するようになった。

 そこで、人々は生活の糧を得るため、または、よりよい生活を手に入れるために働き、その対価として報酬(貨幣)を受け取る。それが人件費そのものである。

 誰しも生活レベルを維持向上させたいと思うのは当然のことで、そのために、より多くの報酬を得ようとする行為は何ら非難されるものではない。

 そもそも、“社会”という存在自体が、人々が安全かつ豊かに暮らすための方便として構成されたものに過ぎない。極論すれば、「人間がより豊かに生きて行こうとするための壮大なごっこ遊びをする場」にすぎないのだから、その構成員たる人々の都合のよいように上手く運営して行けばよいのである。

 自分の給料はさておき日本人の人件費は高すぎる、とか、大して材料費も掛かっていないのにずいぶん高いな、なんていうくだらない愚痴の先に待っているのは工場の海外移転による職場の喪失や永遠に続くデフレ地獄だけだ。終いには、他人の人件費にケチをつけていた自分の人件費まで削られる憂き目に会うだろう。

 先に述べたように、他人の人件費に文句をつける背景には、形に残らないサービスよりも形に残るモノを重宝がる思考があるのだが、原料や材料が勝手にモノに変わってくれるわけではないことは子供でも判るだろう。

 地下に眠る鉄鉱石が自分の意思で鉄骨に変わる訳ではないし、大海を回遊するマグロが勝手にシャリの上に乗っかってくれるわけでもない。

 資源や原材料が人々の生活に役立つモノに変わるには、当然、人の手を介する必要があり、それこそ人件費のかたまりと言ってよい。人の手で加工された鉄骨やマグロの切り身もまた、別の人の手によってそれを必要とする人のところへ運ばれて、初めてモノとしての用をなす。およそあらゆるものを人々の生活に役立つモノに変えるということは、無数のサービスの介在なくしてありえない。

 資源や原材料を人間に役立つモノに変える行為そのものこそが「資源」なのであり、それに見合う対価を支払うのは当然のことだ。

 日本がこれだけ豊かな経済大国になり得たのは、日本人の人件費が高く、それを上手く国内に還流させて内需大国を創り上げてきたからなのだ。このことを忘れて、日本人の人件費は高すぎるなどとケチをつけるのは、天に唾を吐くのと同じことだ。

 人が豊かになるために懸命に働き、それに見合う対価を得て消費や投資をすることで豊かになる、そのことが他の誰かの報酬になって…という具合に連関することで社会全体が発展していく、こういった社会構造の基本を忘れてはいけない。仕事なんてものは、人間の生活をより向上させるため、あるいは、それに必要な対価を得るためといった"人間側"の都合でやっているのだから、人間側のベネフィットを優先するのは当然のことだ。自分の給料は高くて当たり前だが、他人の給料は安くないと困る、なんていうわがままは通らない。他人様に十分な報酬があるからこそ、それが巡り巡って自分の懐に入るのだ。給料が勝手に天から降ってくるわけではない。

 戦後の混乱期辺りで思考が止まっている輩は、いまだに過度にモノを崇拝し、サービスや貨幣を蔑む傾向にあるが、こんな時代遅れの発想では、この先もデフレ不況から抜け出すことなどできないだろう。

 国民の間に、サービスや人件費に対する誤った思考が蔓延しているうちは、大阪のバカ市長が敬愛する時代遅れの評論家が、しきりと推奨する「知価革命」とか「知価社会」なんてただの妄想の類にすぎないことがよく判る。