うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

『監視役』という気楽な職業

 「社会の木鐸」、「社会の公器」。

 これらは、新聞やTV、雑誌をはじめとするマスメディアが、自らを良識ある存在であるかのように称して使うには大変都合のよい言葉である。

 大所高所から世の中の動きを見つめて、自らの利に捉われることなく広く国民に進むべき適切な方向性を指し示す存在といったところか。

 これが生じて、立法・行政・司法の三権を監視する監視役まで自任し、いまや世論の流れをグリップする大権力機関と化している。その監視対象は三権のみに止まらない。

 医療事故が起こったと聞けば医師や病院を糾弾し、鳥インフルエンザや食品偽装事件が発生したと聞けば農家や中小企業をつるし上げる…といった具合に、事件や事故が起こった背景や要因、因果関係等を詳しく検証しようともせずに、非難の対象になるターゲットを瞬く間に仕立て上げて手当たり次第に糾弾する。そして、何か事件が起こると、朝から晩まで何度も同じ映像やフリップを垂れ流して徹底的な“悪魔退治”に熱狂する。

 彼らは、死刑囚に対しては温かい人権意識を持っているが、なぜか刑務所に入る前の人間に対しては異様なほどの攻撃性を示す。

 その割に、自分達の行動には極めて甘い。社員が痴漢で捕まった、番組でのヤラセ行為やデータのねつ造、視聴率操作のための買収行為など、犯人がマスコミ以外の人間なら死ぬほど糾弾されそうな事件が起こっても、それが身内の起こした犯罪の場合はちょっとしたお詫びだけで軽く禊ぎを済ませてしまう。

 誰でも批判・糾弾することができるのに、誰からも批判されないというまことに都合のよい立ち位置は、“絶対王権”に匹敵する。

 彼らの批判対象から外れるのは、マスコミ自身と宗教団体、部落解放同盟ほか一部のワケあり団体、動物くらいのものだろう。

 そもそも、マスメディアに限らず監視役や御意見番などと称して、他人の行為に文句をつけるだけの立場の人間は、なんとも気楽な立場にあるのだが、世間の常識に疎い本人たちはそれを理解できていない。

 上手くやって当たり前といった義務を課された職業や立場に置かれた人が社会機構の要所に配されており、彼らが安月給にもかかわらず黙々と働いてくれるおかげで世の中は上手く回っているのだ。社会資本のメンテナンスに従事する職業人、警察官や自衛官消防官、教員、病院関係者ほか数えきれないほどの人々が、社会機構をスムーズに動かすために働いている。

 自称“監視役”や“ご意見番”たちは、そういった人々が支える安定した社会機構の上にどっぷりと座り込んで、支える側の人間のミスを血まなこになって探し回り、小さなミスを採り上げては厳しく糾弾して自らの溜飲を下ろそうとする。糾弾される側の人間には一切の弁解も許されないし、それまで積み重ねてきた努力も全く考慮されない。

 こんな馬鹿げたことを続けていては、社会基盤の崩壊は免れない。豪華客船の大広間でぜいたくな料理や酒を喰い散らかしている人間が、機関士や甲板員に文句をつけて叱り飛ばしているのと同じことだ。船員たちがやる気をなくして船が漂流し始めたときに、文句は言えても船を動かすスキルを持たない“お荷物”たちはどう対処するつもりなのか。

 バブル崩壊以降、マスメディアの連中は、無駄の削減とか身を切る改革とかいった類の国民の所得も意欲も削ぐような逆噴射政策を推し進めてきたが、まさに無から有を創り出す苦労を知らないバカ者だと言える。この手のバカは、すぐにガラガラポン的な手法を取りたがるが、一旦失くしたり、壊してしまったものを再建する苦労を理解していないから困る。

 既に存在するものにあれやこれやと文句をつけるのは容易いが、何も無いところから制度や機構等を一から立ち上げて行くには莫大な労力やエネルギー、コストが必要になる。

 パートの雇用調整感覚で、少子化を理由に教員を削減したり、犯罪件数の減少を理由に警察官を削減するのは簡単だが、そういった人材が必要になった時に、どう対処するつもりなのか。

 当たり前のことだが、有用な人材は頼めばポンと現れてくれるものではない。そういった人材の育成には長期間にわたる経験を積み上げが必要で、それには相応のコストが掛かるのは当然のことだ。

 無駄なハコモノ、無駄な組織云々と幼稚な頭で批判する前に、それらを上手く活用する方法を探る方が、はるかに手間もコストもかからないことに気付くべきだ。

 管理通貨制度の下でカネは即座に作れるが、社会に必要な人材はそう簡単には創れるものではない。