うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

『言葉』への逃避

 先ごろ、日本漢字能力検定協会から発表された今年の漢字は「絆」であった。

 早速、TVや新聞、雑誌などマスコミ各社は、東日本大震災をはじめとする大規模災害が相次いだことを受け、改めて家族や仲間とのつながりや絆の大切さを知ったことによるものと報じている。こういった安易な報道がタレ流されたせいか、街角のインタビューや新聞の投稿記事なんかで、やたらと絆とかつながりを連発するバカが多くて気持ちが悪くなる。

 また、以前から、大震災をきっかけに家族や親しい人との絆を重視する人が増えたといった類のいい加減な論説や調査が雑誌やシンクタンクなどから発表されている。大震災をきっかけに結婚が増えた(震災婚)とか、逆に離婚が増えたという根拠に乏しい妄想や住まいに対する意識が変化し親族との近居を望む人が増えたとか、家族との絆を深めるために内食が増えたなんていうのが、それであるが、なんのことはない、不況で収入が減り外食できなくなっただけのことだろう。

 家族との絆が云々など、不幸にして被災した人々が言うなら理解できるが、以前と変わらぬ生活を満喫しながら、マスコミに乗せられて原発事故の風評被害を撒き散らしているような外野の人間が軽々しく口にすべき言葉ではない。

 街のあちこちで「がんばろう東北、がんばろう日本」と書かれたポスターを目にするが、現実には被災者への金銭的な生活支援や被災地の復興支援という最重要課題は、財源問題がネックになり殆ど放置状態にあると言っても過言ではない。多くの被災者、それも同じ日本人が生活や生命の危機に瀕しているのに、たかだかカネの問題を解決しようともせず被災者を9カ月以上もほったらかしにしている。

 そればかりか、マスコミや政府、多くの国民は、興味の矛先を原発事故の問題にすり替えて毎日のように放射能をネタに馬鹿騒ぎを繰り返している。そこでは、東北を一派ひとからげにして放射能汚染されているかのように扱う一方で、たびたび高レベルの放射線量が測定される杉並や世田谷は何故か正常扱いされている。

 それにしても、閑そうな主婦が、放射能測定器を手にして自警団気取りで町内の放射線量を計り廻る姿は異常である。彼女らは、子供への影響が心配だと深刻そうな顔付けでインタビューに応えているが、便利な東京から決して離れようとはしない。自分達の軽はずみな行動が、被災地に重大な風評被害をもたらすことが理解できないでいる。

 今回の震災や原発問題で水を得た魚のように生き生きとしているマスコミや反原発学者、反原発活動家と同じような原発ゴロや震災ゴロと言って差し支えない。

 マスコミも、年末の特番で大震災で起こった津波の映像(同じものばかり)を垂れ流し、ことさら原発事故の脅威を煽りたて、最後はお決まりのように被災者が頑張ろうとする姿を強調して番組を〆ようとするが、いかにも部外者目線のプロダクトアウト型の番組作りでは被災者のリアルな苦しみを視聴者が理解することはないだろう。

 政府やマスコミ、多くの国民は、問題の核心から外れたところをブンブンと蠅のように飛び廻っているだけで、本当は大したことのない放射能に怯えるふりをして被災者や被災地への金銭的・財政的な支援という本丸から目を逸らそうとしている。彼らは、TVや新聞に紹介される被災者や被災地での補償のない努力を美談に仕立て上げて、遠回しに被災者に自立を強要しているだけなのだ。

 被災者が受けた深刻な不幸をリアルに理解しようとせず、きれいな言葉を並び立ててその場を取り繕っても、被災者の腹は決して満たされることはない。自己満足のために発せられた言葉は、見た目は美しいフレーズであっても中身が伴わず軽々しいものだ。

 支援したつもりのキャッチフレーズやお決まりの“心のケア”とかいった自己満足気味の支援ではなく、真に被災者や被災地が生活を再建できるだけの十分な資金をすぐに支援すべきだ。国債を少々多めに発行すれば済む話で何も難しいものではない。

 絆とかつながりとか言ったフレーズを、被災地への財政支援からの逃避を助ける免罪符にしてはならない。