うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

無駄を否定することこそが最も無駄なこと

 TVや新聞では、TPP参加への賛否に関する議論が連日のように大挙して報道されている。

 元々TPP参加論者の多くは構造改革新自由主義者との親和性が高く、その系譜につながるマスコミの多くも議論の当初は賛成の論陣を張っていたが、世の中的にTPPへの反対論が高まりを見せ、TPPの影響が農業のみならず自分たちの業界にも及ぶ可能性があると判断したのか、地方紙や一部のTVで反対論へ旗色を変える動きが見受けられる。そのため、紙面にTPP反対の論者を多く登場させるなど、従来の構造改革騒動や復興増税などとは異なり、TPP賛成論一色の報道とまではなっていないようだ。TPP推進の総本山ともいえる日経新聞世論調査でさえ賛成の割合は45%と半分に満たない。一方で、1次産業の割合が高い地方紙では反対の論説を掲げる記事が多いようだが、相変わらずTPP問題を製造業VS農業という単純な図式に落とし込もうとするレベルの低さはいただけない。

 マスコミをはじめ、TPP問題は難しくてよく判らないと逃げ腰になっている国民の多くは、TPPで最も大きな被害を蒙るのは、今や日本の主要産業とも言えるサービス業であるということを理解しなければならない。生活レベルが下がるか、最悪の場合、職を失う事態になることを覚悟の上でTPPへの賛否を論ずべきということだ。

 日本企業にとって、TPPへの参加は、必然的に加盟国との間、特にアメリカや東南アジアの参加国との間での競争の激化や参加に伴う法制度変更への対応、訴訟リスクの増加などを余儀なくされ、雇用者にとっても生活レベルの低い他国の労働者との競合に晒される。その結果、賃金や雇用条件の切り下げを覚悟せねばならない。

 一方で、賛成論者からは、海外から安くていいものを手に入れることができるとか、日本の農産品を輸出するチャンスが拡大するとかいった類のおとぎ話が吹き込まれる。海外から輸入される安モノなどとっくの昔から溢れるほど入ってきており、いまさら物珍しがるほどのものではない。こんなことが判らないなんて、外に買い物に行ったことがないのだろうか。

 また、日本の農産品の輸出についても、そもそも外国人に高く売ることを誇るかのような時代錯誤な考えを正すべきだ。農業者にとって、自分が作った農産物の付加価値を国民が認めて買ってくれればいいだけの話で、なにも余計なコストを掛けてまで外国へ優先的に売りに行く必要はない。

 国内のデフレを放置することを前提とした日本衰退論を起点に物事を考えるから、このような外需礼賛型の幼稚な議論になってしまう。速やかに財政政策と金融政策とのパッケージ政策を大規模かつ長期間にわたり実施して、国内の実体経済に資金を供給し国民所得を向上させればよいだけの話だ。

 国内の企業や雇用者は、長引く不況による売上や収益の低迷、需要不足下での過当競争に悩まされ続けており体力的にもフラフラの状態だ。いま必要なのは、休息(競争の緩和、カルテルの容認など)と栄養補給(売上増、所得増)なのは明らかなのに、TPPへの参加により、さらなる競争の激化がもたらされるのは確実だ。すぐにでも休みたい時に余計な仕事や運動を強いられて体力が回復するはずがない。この大変な時にTPPとか復興増税なんていう厄介事を持ち込もうとするバカ者の神経は計り知れない。

 だが、このような馬鹿げた話が国民から多数の支持を得ているのも事実である。復興増税にしろ、TPPにしろ、世論調査の賛否が拮抗するということは少なくとも半数近い(現実にはもっと多い)国民が馬鹿話を是としているということになる。増税TPPなど、およそ自分の生活レベルの向上を邪魔するような政策が、スッと認められてしまうのは、多くの国民が自分の能力をはじめ日本全体の能力や将来性に絶望感をインプットされていることに起因している。

 いかがわしい自己啓発セミナーでよくやるように、周囲の参加者から徹底的に自分の無能さを責められたうえに人格否定されるような言葉を浴びせられて、すっかり自信をなくしてしまい、その後に囁かれる甘い言葉や怪しい教義にすっかり洗脳されるのと同じことが、バブル崩壊以降の日本で政界やマスコミ、経済界などから国民に向けて行われてきた。

 日本の借金は世界最悪、公共工事は悪、日本の商慣行は閉鎖的、行政機構は無駄が多すぎる、日本企業にはイノベーションがない、年功序列では良い人材が育たない、労働市場を自由化しないから若者が仕事にあぶれる等々、数え切れないほどの自己否定が喧伝され、すっかり自信を失くした日本人に向かって、構造改革だの、自由競争だの、市場に委ねろなどといった誤った教義が吹き込まれてきた。

 彼らが強調するのは、無駄の排除と競争の奨励であるが、競争を美化するばかりで競争の勝者に対する報奨の源泉となるはずの需要拡大策(=財政支出)については、無駄の排除の観点から一切関知しない。このため、プレーヤーは十分な報奨を得ることなく常に厳しい競争に晒され続けるしかない。その挙句に最後は力尽きて退場を余儀なくされる。全くくだらないことではないか。

 こんな馬鹿げた状況を打開するのは、無駄の存在を容認するしかない。そうしない限り勝者なき不毛な争いは永遠に続くことになる。

 “無駄”の取扱いは難しい。それは、一見社会にとって非効率な存在に思えるが、実際には多くの人にとって所得の源泉になっていたり、業界や雇用者の生活を守る障壁の役目を果たしている。

 日本は、ピークより減少したとはいえH23/9時点で約5,400万人もの雇用者数(統計局HPより)を抱えている。さらに、構造改革論者から、約1,300万人ともいわれる主婦層の労働力を活用せよなどといった威勢のいい提言もある。青臭い構造改革論者のように、無駄を排除せよなんて真顔で言っていたら、これらの膨大な労働力に見合うだけの雇用の場や仕事を提供することなどできず、山のような失業者を生んでしまう。無駄が云々などと役にも立たないことを言う前に、とてつもなく膨大な労働力が国内に存在していることに思いを馳せなければならない。

 冷静に考えれば、筆者を含め、一体何人の雇用者が自分は無駄な存在ではないと言い切れるだろうか。勤務先は他の会社で代替できないほどオンリーワンな存在なのか、自分のスキルは他者に代えがたいほどレベルの高いものなのか、胸に手を当てて考えてみると答えは自ずと出てくる。無駄のない世の中など現実にはあり得ないし、むしろ無駄が存在する状態こそが通常であり、その中で無駄を極限まで排除したような企業が一部存在するからこそ周囲の尊敬を集めるのだろう。世の中の企業や雇用者の殆どは少なからず無駄な部分を持った存在であり、それでよいのだ。その無駄同士のやり取りの中からビジネスや需要が生じ、それが雇用を生み、実体経済を上手く回転させることにつながっている。

 無駄を極限まで排除するのは、自らの存在を否定するのと同じこと。そんな無謀な賭けに国民を巻き込むのはやめてもらいたい。