うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

国家を企業や家計になぞらえる愚行

  政権が代わり、またもや復興増税が現実味を帯びている。

  野田総理は、以前から財務省の傀儡として知られており、復興増税を唱えること自体に違和感はない。こういった動きに対して、財政再建に強いシンパシーを持つマスコミやエコノミスト等からは、“将来世代にツケ送りをするな”とか“政権党としての責任を果たせ”とか“世界的に財政規律への要求が高まっている”とかいった誤ったエールが盛んに送られるなど、増税やむなしとの世論形成が進んでいる。

  復興増税11兆円(たった11兆円で間に合うのか?)の財源として、批判の強い消費税増税を避けて、法人税所得税増税で逃げを打とうとしているようだが、復興財源に増税を充てても、それは単なる企業・家計から政府への所得移転に過ぎず、経済成長には何ら積極的な役割を果たせないのは常識だ。こんな見当違いの手法では、デフレ脱却や復興に必要な名目GDPを成長させることなどできるはずがない。

  個人的な考えでは、法人税増税には積極的に反対する気はないが、このタイミングでの実施が適切かと問われると、やはり『否』と回答すべきだろう。なぜなら、今後数年にもわたり増税を続けるとなれば、ただでさえ東日本大震災後から現在までダラダラと続く消費手控えムードの影響で停滞している企業や家計の消費・投資マインドを一層冷やすことになるからだ。

  小泉(アホ)政権以降10年間にわたり続けられた金融政策頼みの経済運営が、実体経済の押し上げ(=名目GDPの成長)に大した効果をもたらさなかったのは、金融政策の実施規模自体が小さ過ぎたこともあるが、何よりも緊縮的な財政運営、つまり積極的な財政政策がなされていなかったことに尽きる。

  金融政策により借りるカネ(融資)や運用すべきカネは世に溢れたが、それを積極的に活用しようとする借り手の数が少なすぎたため、投資や消費を活発化させることはできなかった。長引く不況の影響で、企業(一部を除く)や家計の消費や投資マインドは冷え切っており、ビジネス環境は非常に苛酷な状態にある。こんな状態でいくらカネを貸そうとしても借り手は現れない。ビジネスの成功確率が限りなくゼロに近い状況下で、企業経営者が、返せる当てのない借金を抱えたくないと考えるのは当然のこと。

  金融政策を実のあるものにしようとする、つまり、民間の投資マインドを喚起しようとするならば、カネの借り手を必死に探すよりも、その借り手が行うビジネスに対価を支払う消費主体(企業や家計)の財布の中身を増やしてやるのが先決だろう。日本のGDPの主たる構成要素は殆どが個人消費や設備投資、政府支出などの国内需要で占められているのだから、その財布の中身に入るべき通貨は当然『円』であろう。だとすれば、企業や家計の財布を豊かにするような適切な財政政策を成しうるのは、通貨発行権を持ち、財政・金融政策の実施主体となりうる政府以外に考えられない。

  そもそも政府が果たすべき重要な役割は、実体経済において企業や家計等の経済主体間で行われる生産物やサービス、財の取引量とその媒介に必要な通貨の流通量を調整することであり、企業や家計と一緒になって節約に励んだり、バブルを煽ったりすることではないはずだ。

  何かと批判される多額の国債残高も、こういった通貨流通量の調整の結果なのであり、管理通貨制度の本質や通貨発行権の存在に思いを巡らせば、国債残高の量を捉えてヒステリックに一喜一憂するなどバカバカしいことだ。

  国全体の生産量やサービスの供給量を把握し、その成長に合わせた通貨量を実体経済に供給することにより、需要家(企業や家計)の消費マインドを刺激し、それによって供給サイド(主に企業)の投資意欲を高水準に保つことを通じて名目GDPを成長させるような経済運営を行うのが基本である。

  デフレ時には需要不足を補うよう積極的に財政・金融政策を行い、インフレが高水位になれば緊縮的な財政・金融政策を採るという世間(企業や家計)の動きとは逆張りの経済運営を行うのが原則だ。

  売上が減っているから、家計が苦しいから財政を引き締めようなんていうそこらの経営者や主婦感覚レベルの幼稚な経済運営をやられては、永遠にデフレから脱却することはない。

  冒頭の復興増税に関しても同じことが言える。日本は財政事情が厳しいからと、世間の流れに同調して増税するような愚かな選択をすれば、早晩、一層のデフレ圧力となって日本経済の足を引っ張ることは自明のことだ。

  いい加減に、政府の役割を企業や家計レベルに矮小化して論じることの愚かさに気付かないと、大震災よりも大きな経済的厄災に悩まされることになろう。